第263話 幼い白狼

 秋空の下でのランチタイム。太陽の光は温かく、風も穏やかに流れている。良いピクニック日和だ。


 組み立て式のテーブルを囲み、昼食は賑やかに進んでいる。


「うおおっ、うまっ! 兄ちゃん美味いぜ!」


「ぅわん!」


 まあ、賑やかなのは、主にディーンとアナだけど。


「はいはい。分かったから、もう少し落ち着いて食いなよ」


「むぐっ!」


 ……口に詰め込みながら返事って、それ落ち着くつもりないだろ。


「ふふふ。良い食べっぷりだな。スープのおかわりは要るか?」


「もらいます! ありがとう奥さん!」


「ふふふ」


 ロゼが空になったスープの器を受け取り、大盛りにしてディーンに返す。気持ちいいくらいに食べるディーンに、何やらロゼも嬉しそうだ。

 まあ、元々ロゼは世話好きだ。孤児院に顔を出しても、すぐに子供たちと仲良くなって懐かれるくらいだし。


 ……もしかしたら、さっきディーンが『兄ちゃん、お似合い夫婦って感じだよな! 奥さんが美人で羨ましいぜ』って言ったせいかもしれないけど。


「いや兄ちゃん、燻製肉も美味すぎて驚いたけど、こっちのチーズリゾットってヤツもめちゃくちゃ美味いな! なんか噛めば噛むほど美味いぜ! どうなってんの!?」


 テンション高いなあ。普段なに食ってんだろ。ちょっと心配だ。


「美味しいのは、出汁を吸わせながら炊いたからだね。内側まで旨味が染みてるんだよ。あとはチーズの質もいいから、簡単だけどいい味になってる」


 チーズリゾットのお米は、普通に炊いたときよりも芯がある。だけど、その芯の残り方は、良い意味での歯応えになっている。

 オリーブオイルにコーティングされたお米は口の中で簡単に解れ、いつもより一粒一粒が良く分かる。じっくりと噛み締めれば、吸った出汁の旨味とチーズのコクが広がり、シンプルなのにとても満足感がある味だった。


 我ながら良い出来。しっかりと味もあるおかげで、お米を初めて食べるディーンにも好評だ。


「そういえば、ディーンは普段なに食べてるの? 兵士って食事も出る?」


「むぐむぐ、ん。ああ、飯は基本的に毎日出るぜ。体を動かすから量はたっぷり。……代わりに味はそれなりだけど」


 ディーンが“それなり”と言うなら、たぶんあまり美味しくはないのだろう。

 魔境の管理がある分、領地の広さに対して兵士の数が多いみたいだし、仕方ないのかな。と、思って隣を見てみると、ロゼが何やら思案顔だった。


「ロゼ、どうかした?」


「ふむ、いや……昔聞いた話では、兵士に出される食事の評判は悪くなかったはずなのだが……?」


 記憶を探るように、ロゼの目が遠くなる。昔聞いた話、とは言っているが、たぶん兵士に混じって訓練していたときのことを思い出しているのだろう。

 ロゼなら、たぶん一般の兵士と同じ食事をしていたはずだ。


 ロゼが不思議に思うと言うことは、ロゼが領地を出た後に、兵士の食事の味が落ちたのだろうか。


 ……いや、どうかな。冒険者時代のロゼは、必要なら不味い食事も気にせず食べていたからなあ。他の兵士が、ロゼの前では食事に文句を言わなかっただけかもしれない。

 うちの奥さんは、味覚は正常だけど、許容範囲はかなり広いのだ。


「そういや、他の先輩たちも最近は前より味が落ちたって言ってたぜ」


「そうなんだ」


 じゃあ、ロゼの思い違いという訳じゃないのか。ごめんなさい。


「ふむ……何が原因だろうか。食事の質の低下は、兵の士気に関わるのだが……」


「うん。ちょっと気になるね。着いたら聞いてみようか」


 義理とは言え、親の領地の話だ。何が起きているのか気になるし心配だ。変な事が起きていなければいいけど。

 力になれることがあれば協力しよう。


「そういや、兄ちゃんたちは領主様のいる町まで行くんだよな。魔道具職人として領主様に呼ばれるなんてすげえじゃん」


「ああ、うん。まあ、珍しい物を作ってるおかげでね」


 ロゼの正体についてはディーンにも秘密にしている。オレの身分は“領主に呼ばれた魔道具職人”だ。


「出世したなあ兄ちゃん。昔はあんなにヒョロヒョロだったのに」


 しみじみとディーンが言う。


「それはオレの台詞だよ。ディーンこそ昔は小さかったのにね。今はすっかり見違えた」


 オレの財布を盗んだ頃の、薄汚れた姿は面影すら残っていない。


「へへへ、あのとき兄ちゃんに出会えたおかげだな」


 照れ臭そうに笑いつつ、ディーンは最後に残ったベーコンにチラリと目を向けた。


「はいはい。逞しく育ったようでオレは嬉しいよ」


 分厚いベーコンの最後の一切れを、ディーンの皿に入れてやる。


「兄ちゃんありがと!」


 満面の笑みのディーン。まったく、世渡りも上手くなったもんだ。




 昼食も終わり、のんびりとお茶を飲む。


 さっきまで食事に集中していたリーゼは、今はロゼの膝の上でウトウトしている。アナと走り回って体力を使い、お腹も膨れたので眠くなったようだ。

 牛乳入りのチーズリゾットが気に入ったのか、昼食中はとても静かだった。やっぱり食べるの好きだよな、リーゼ。


「ふふ、リーゼはお昼寝の時間だな。コウ、馬車に寝かせてくるぞ」


「うん、よろしく。眠ってると外は少し寒いだろうしね」


「うむ」


 ロゼがリーゼを抱いて馬車へと移動する。運転の振動で起こすのも悪いし、今日はもう少し休憩だな。


「わん!」


 聞こえた鳴き声に馬車から視線を逸らすと、草原の上で白い塊が2つじゃれ合っているところだった。


 タローとアナだ。リーゼは眠ってしまったが、アナはまだまだ元気なようで、タローと一緒に草の上を走り回っている。


「さすが狼。小さくても走るの速いなあ」


「あの速さですぐどっか行くから、いっつも大変なんだよ」


 頬杖をつきながら、ディーンが小さく笑った。幼い白狼に振り回されているらしい。


「好奇心旺盛な頃だもんねえ」


 タローのときはどうしてたっけ……ああ、孤児院で小さな子達と遊ばせてたんだ。どっちも底なしの体力だったから、上手い具合に運動になっていた気がする。

 オレはあんまり苦労してないな。


「ホント、何にでも突っ込んで行くんだよなあ…………」


 小さく溜息を吐き、ディーンはアナを目で追ったままオレを呼ぶ。


「なあ兄ちゃん」


「どうかした?」


「アナのこと、一緒に連れていかねえ?」


「……うん?」


 それは、言葉通りの意味だろうか。アナをうちで飼わないか、と?


「周りの先輩たちにも言われてんだけどさ。群れで生きる魔物ってやつは、やっぱり同じ種族と一緒に暮らした方がいいって。それに、俺もまだ自分のことで手一杯だからさ。兄ちゃんなら、アナのことを安心して預けられるぜ」


「ふむ……なるほどねえ」


 まあ、同じ種族と暮らした方がいい、という点には同意だ。狼としての動き方を、人は狼に教えることができない。

 タローだって、他の冒険者が従魔にしている灰色狼と一緒に狩りを勉強したからな。


 それに、ディーンの暮らしが大変なのも事実だろう。普通に生きるのだって大変なのだ。若い上に旅を続けるディーンに余裕がないのも分かる。


「オレとしては構わないけど、家族との相談が必要かな。まあ、嫌だとは言わないと思うけど。リーゼも気に入っているみたいだし」


 ロゼも気にしないだろう。タローも、見た感じ仲良くしているようだ。


「でも、ディーンはそれでいいの?」


 寂しくないか? という問いかけにディーンは笑って答える。


「べつに死んで別れるんじゃねえんだ。寂しがることなんてねえよ。生きてりゃ、どこかでまた会えるだろ」


 いつか聞いた台詞と、同じような言葉だった。


「……それならいいけどね。あとは、アナの気持ちかな?」


「そうだなっ、おーいアナ! こっちに来~い!」


 椅子から立ち上がり、ディーンがアナを呼ぶ。


「ぅわん!」


 良い返事が聞こえた。……しかしアナはやって来ない。その場でジャンプし、再び走り始める。


「まったくあいつは……」


 ディーンが歩き出す。アナは楽しそうにディーンから逃げ始めた。


「こら、止まれアナ!」


「わん!」


 止まる気配のないアナに、ディーンはとうとう身体強化を使って走り始める。


 草原の上を走り回る一人と一匹を眺めること数分。ようやくディーンがアナを捕まえた。


「ふう、はあ……疲れた」


 アナを抱えてディーンが戻ってくる。


「アナ。お前、兄ちゃん家の狼になってもいいか?」


「わふ?」


 状況の分かっていない幼い狼に、ディーンは笑い掛ける。


「お前より大きな兄貴分の狼がいて、遊んでくれる可愛い子がいて、美味しい飯を用意してくれる2人がいるところだよ」


「わんっ」


「はは、お前、飯の部分にだけ反応したな?」


 アナはぶんぶんと尻尾を振っている。


「ま、アナの気持ちも大丈夫そうだぜ」


 目の前まで来たディーンが笑いながら、オレにアナを渡してきた。反射的に受け取る。


「うおっと」


「わふっ」


 腕の中でアナが暴れ、ひたすらオレの顔を舐めてくる。


「うお、ちょっ、ストップ!」


「ははははっ、さすが兄ちゃん。もう懐かれてるぜ――んじゃあ、よろしくな」


 いや、まだロゼにもタローにも、了解をもらえてないんだけど。




 それから戻って来たロゼに許可を取り、タローからの一声ももらい、アナは何事もなく家の子となることが決まった。

 リーゼは眠ったままだが、むしろ喜ぶだろう。


 そして一時間ほど、昼食の片付けも済んだので、オレ達は再び出発する時間となった。この旅には急ぐ理由があるのだ。


「それじゃあディーン。アナはうちで面倒を見るよ」


「うむ。しっかりと育てよう」


 馬車に乗り込み、外に立つディーンに声をかける。


「おう。任せたぜ。兄ちゃんなら心配はしてないけどな。帰りはまたここを通んの?」


「いや……たぶん別の道を通るかな」


 それはつまり、ディーンと会うのはこれで最後ということだ。


「そっか……そりゃあ残念。ま、縁の精霊様が気を効かせてくれたら、そのうちまた会えるだろうさ。じゃあな兄ちゃん。またいつか会おうぜ」


「うん。また会おう。それまで元気でね。リィーンにはちゃんと手紙出すんだよ?」


「分かってるって」


 ディーンが苦笑いをする。


「じゃあね」


「おう」


 お互いに手を振り、オレは改造馬車を発進させた。


 遠くなるディーンに向けて、アナだけがいつまでも視線を送っていた。

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