第261話 ディシールド領
曇天の灰色の空の下、オレたちは今、ロゼの実家であるディシールド領を走っている。
貿易都市を出発して10日、ようやく領地に入ったのだ。長かった。帰ったら道を作る事業に投資しようと思う。
移動時間を短縮するには、やはり真っすぐな道とトンネルが必要だ。
「ふむ、懐かしいな……。コウ。領地に入ってはいるが、ここは南北に長い形をしているのだ。屋敷までは、まだ2日は必要だな」
オレに話し掛けながらも、ロゼの視線は流れていく景色に注がれている。
「かなり細長い形の領地なんだね」
「うむ。家の役割を果たすためにそうなったのだ」
「役割って言うと、あれだっけ。魔境の管理?」
「そうだ。この森の奥にある魔境から、強大な魔物を外に出さないこと。それがディシールド家の役割となる」
「大変そうな役割だねえ……」
走行する改造馬車の左手。そちらには深い森が広がっている。この森を奥に進めば、異常に濃い魔力を持つ土地に辿り着く。
巨木が立ち並び、濃すぎる魔力によって巨大化した魔物たちが闊歩する、まさに魔境だ。
上級の魔物が多く生息するほか、特級の魔物の棲みかでもあるため、もし魔物が溢れた場合には街の一つや二つは簡単に滅びる事態になる。
それを防ぐために魔境を含めて土地を管理し、先頭に立って魔物を狩るのが貴族の本来の役割だ。
貴族の強力な魔力も、本来は魔物と戦うための力である。
というかまあ、魔力が多くて強い人間がリーダーになり、先頭で魔物と戦う内に特権階級として扱われるようになった、というのが貴族の歴史だと思う。
今の貴族がどうなのかはアレだけど。
とりあえず、ロゼの実家は古くからの慣習を守り、帝国の最西端で、魔物の脅威から人々を守る“盾”として役割を果たしているらしい。
うん。
「それで、実戦で使われる“盾”が右のこれなんだ」
「うむ。ディシールド領が誇る“国守の蒼璧”だ。ふふん、帝国の建国以来、この壁を魔物が越えたことはないのだぞ?」
「そりゃすごい。偉業だね」
左の森から右へ視線を変えると、先が見えない程に青い壁が続いている。高さは10メートルくらいだろうか。真っすぐ前を見て運転しても目に入る長大さだ。
壁の上には、たまに見回りの兵士らしき姿が見える。
「この地にディシールド家が来た当時、この壁はただの土塁だったが、長い年月をかけて今の形にしたのだ。青いのは魔境で採取できる鉱石を砕いて、表面に塗装しているためだな。とても頑丈になるのだぞ」
「へえ~、見た目も綺麗だけど、実用的なんだね。……塗るのは大変そうだけど」
「うむ。全ての壁を青く染めるには、数十年の時を要したのだ」
数十年……。スケールが大き過ぎて想像がし難い。だだ、この世界の人間の身体能力で数十年なら、途轍もない大工事だったのだろう。
こっちでは、一人一人が小型重機並みの能力を発揮できるのだ。
「壁を作る際には、初代の当主が活躍したと伝わっているな。地属性の魔術の使い手で、戦闘よりも土木作業の方が得意だったらしい」
「へえ。なんか面白そうな人だね。ロゼの魔術適性も、そこから引き継いでるんだ?」
「うむ。地の適性はディシールド家の特徴だな。防衛戦において最も役立つ魔術だ。もっとも、私はそちらの使い方が苦手なのだがな。直接切りに行った方が早い」
「ロゼは足が速いもんね」
「ふふ。さすがにリックには勝てないがな」
地属性の次に風を得意とするロゼは、スピードを生かした戦い方をする。地の魔術は地面を揺らして相手の脚を止めたり、土を隆起させて盾に使ったりと補助が多い。メインの攻撃は剣による斬撃だ。
そして、リックにスピードで勝つのは無理だろう。風の精霊使いであるリックは貿易都市最速の『運び屋』だ。速さだけならレックスを上回る。
というか、空を飛べるので、大抵の人間は追い付くことが不可能だ。
そう言おうとしたところで、車内に小さく曖昧な声が響いた。
「……リーゼ起きた?」
「いや……ただの寝言のようだ。まだ眠っている」
「そっか……この青い壁を見たら、機嫌直るかな?」
「ふむ、どうだろうか。リーゼは動かない物にあまり興味を示さないからな……」
「ああ、そう言えば確かに……」
夫婦揃って小さく息を吐く。
今日は朝からリーゼがご機嫌斜めなのだ。夢で、良く遊ぶ孤児院の子供たちを見たらしい。
その結果、みんなに会いたい。家に帰りたいと大号泣だ。当然のように爆破の魔術が暴走したので、オレが全て散らすことになった。
改造馬車は頑丈だが、さすがに内側からの衝撃には弱い。
リーゼの気を逸らそうと、ロゼと一緒に頑張ってはみたものの、旅の目的を考えればここで帰るのは無理だ
すぐに帰るから、と嘘を言う訳にもいかず、結局リーゼは泣いて体力と魔力を消耗し、今は疲れて眠っているのである。
ちなみにタローは寝ているリーゼに尻尾を握られて動けないので、リーゼの隣で暇そうに伏せている。すまんタロー。
「ええと、壁の内側にはもうすぐ入れるんだっけ?」
「うむ。門がもう少し先にある。壁を越えれば安全な場所だ。リーゼが目覚めたら、今日は満足するまで遊ばせるべきかもしれないな」
「そうだね。さすがに小さい子に旅は負担だしね」
長旅は大人ですらストレスが溜まるものだ。改造馬車に乗っているだけとはいえ、幼いリーゼも平気ではないはず。
これまでの旅の最中でも息抜きに遊ばせてはいるが、今日は時間を長めにとった方がいいだろう。
そう考えながら改造馬車を走らせる。門を通り抜けるまで、リーゼが起きないことを祈ろう。
“国守の蒼壁”の門は、それは武骨で頑丈そうなものだった。
両開きで通常時は開かれているようだが、上級や特級の魔物の侵入を防ぐことを想定した扉は、厚さがオレの体よりもある。
“爆破”の魔術でも破壊するのにどれくらい必要だろうか。正面からぶつかっては、オレでも突破できないかもしれない。
オレはその威容に驚きながら門に近付いたのだが、門番である兵士も驚いた顔をしていた。
「こっちから領地に入る人は珍しいですよ」
「ははは、少し急いでいたもので」
デュークさんからもらった通行証を見せながらのやり取りだ。
当たり前だが、領民が暮らす場所は“蒼壁”の内側にある。当然、外部と繋がる安全な道もそちらにあるのだが……オレたちは時間短縮のために“蒼壁”の外側を走って来たのだ。
安全な経路は山をさらに2つ越える必要があるため、貿易都市からの最短ルートは壁に沿う形で北上することだった。
今回は一刻も早くリーゼの魔術を封じたかったので、オレとロゼの戦闘力や、改造馬車の速度、魔物の発生頻度などを踏まえて、こちらの道を選んだのだ。
そんなオレたちの事情を知らない兵士は少し不審な顔をしながら、オレから受け取った通行証へと目を通す。
「自由貿易都市の魔道具職人ですか……一緒に乗っているのはご家族ですか?」
「ええ、妻と娘。それから従魔の白狼です」
兵士が眠っているリーゼ、その隣で寝そべるタロー。それから、頭巾で
「――はい。問題ありません。ご協力ありがとうございます。それにしても、さすが、貿易都市の技術は進んでいますね。馬のいない馬車など初めてみました」
「貿易都市でも珍しいものですよ。この馬車のような変わった魔道具を作っていたおかげで、領主様と縁を結ぶことができました」
「なるほど、道理で……。ああ、すみません。国外の方が正式な通行証をお持ちなのは珍しいもので」
納得したように頷いてから、兵士はオレたちを通してくれた。事前に聞いてはいたが、通行料も荷物の検査もないらしい。
門を越え、しばらく走ったところでロゼが頭巾を取った。
「ふむ。変装と言うのは初めてだが、意外と緊張するものだな」
「オレも少し緊張したけど、ロゼは自然に見えたよ」
「ならば良いが」
家を出たとは言え、ロゼはこの地の領主の娘だ。幼い頃には兵士に混じって訓練を行っていたようだし、ロゼ自身の容姿は母親のロザリーさんに良く似ている。
正体がバレた場合には騒ぎになることが予想させるので、領地に入ってからはお忍びモードだ。
デュークさんに聞いた話によると、少女時代のロゼは可愛らしい上にとても強く、身分を気に掛けずに兵士たちに接していたようなので、それはもう人気があったらしい。
兵士たちのアイドル的な存在だったのだとか。
当時の可愛いロゼを見られなかったのは非常に残念だ。いや、もちろん今でも可愛いけども。それでも、少女時代のロゼを見たかったなあ、とは思う。
カメラがなかったのが残念だ。もし絵とか残ってたら見せてもらおう。
さらに少し走り、見晴らしの良い草原に出たので馬車を停めた。
少しここで休憩だ。
馬車を降りて伸びをする。固まった体が解れていく感触が気持ちいい。空を見上げれば、雲も途切れて青い空が見えていた。
風も弱く、休憩には丁度いい環境だ。
お茶の準備でもしようかと思ったところで、微かに獣の声が耳に届いた。
ワオオオォォォォン……。
「犬……いや、狼?」
狼ではある、と思う。だけど、なんだか幼い鳴き声というか……昔のタローみたいな。
「ふむ? 敵意は感じないな。誰かの従魔か?」
「うみゅ……タロー……?」
ロゼがリーゼを抱いて場所を降りてくる。寝ぼけまなこのリーゼは、遠吠えをタローのものだと思ったのか、目元を擦りながらタローの名を呼んだ。
名前を呼ばれたタローは前に出て、耳をピクピクと動かしながら一点を見つめている。
その視線を追うと……草原に白い毛玉が見えた。急速に近づいてくる毛玉が、楽しそうに声を上げる。
「ゥワン!!」
ものの数秒で距離を詰め、最後に大きくジャンプした白い毛玉は、タローの周りを嬉しそうにグルグルと回り始めた。
「ふむ……白狼の仔だな。首輪があるから、やはり誰かの従魔のようだ」
ロゼが平然と呟いた。
その言葉の通り、現れたのは幼い頃のタローに良く似た子犬サイズの白狼だ。
元気を持て余しているようで、タローにぶつかりながらも走り回るのを止めない。
「ヴォフ」
鬱陶しくなったのか、タローが短く吠えながら前脚で小さな白狼を捕らえた。
「わふっ!」
太い前脚で地面に押し付けられながらも、突然の乱入者は楽しそうに尻尾をぶんぶんと振っている。
その様子をリーゼが目を丸くして見ていた。眠気は吹き飛んだようだ。
「……タローがふたりいるー」
「ふむ。リーゼ、小さい方はタローではないぞ?」
「?」
リーゼが不思議そうな顔をした。あれ? もしかしてリーゼ、タローのことを白狼じゃなくて、“タロー”っていう魔物だと思ってる……?
「ママ~、じゃあなんてなまえなの?」
リーゼが小さな白狼を指差す。それはロゼもオレも知らない――
「アナ! アナスタシア! 勝手に走って行くなって、いつも言ってるだろうが!」
名前、分かったかもしれない。
声の方向に視線を向けてみれば、一人の若い男が草原を走って来るところだった。赤茶色の髪をした、18歳前後くらいの若者だ。全力で走ってきたのか息が荒い。
「はあ、はあ、悪い、うちの白狼が迷惑を、って兄ちゃん!?」
オレの顔を見て、急に驚いた顔をする。なんだか忙しない奴だ。というか、オレの顔を知ってる?
「え~と、前に会ったっけ?」
さらに驚いた顔をされた。
「ええ!? おいおい俺の顔を忘れたのかよ兄ちゃん! 俺だよ俺! ディーンだよ!」
……は? マジで?
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