第206話 塩むすび
お米を炊く前にお風呂に入ってきた。屋外作業での汚れを落とし、綺麗になった。準備は完了だ。
「ふうぅ、はあぁ」
使い慣れた台所の中で深呼吸をする。心臓の鼓動が速い。何だか緊張している。まあ、待ちに待った日だ。当然か。
とりあえず、慌てず焦らず進めるとしよう。
まずはお米を研ぐところからだ。ボウルを準備。お米の量は……2合でいいか。秋になってロザリーさんとミザさんは帝国に帰ったので、家には家族3人だけだ。あまり多く炊いても仕方ない。
という訳で、ボウルに2合分のお米を入れる。計量カップは前もって作っておいた。魔力で脳を強化し、元の世界の記憶を探りながら自作したのだ。
「1合~、2合~っと」
ボウルにお米を入れ、水を注ぐ。そして軽くクルクルと掻き混ぜ、白く濁った水を捨てる。そしたら緩く曲げた手で、軽く優しくかき回す。
「う~ん、指に当たるお米の感触。久しぶりだなあ」
呟きながらボウルに水を入れる。底から軽く混ぜると真っ白に濁った。水を捨て、再び研ぐ。
3回ほど繰り返すと、水の濁りは薄くなった。半透明くらいだ。このくらいでいいだろう。
「水を吸わせるのは……新米だしな。時間は短めでいいか」
ふっくらと炊き上げるために、お米には水を吸ってもらう。少し放置だ。
お米がいい感じに水を吸った。粒が膨らみ、手に持つと少し柔らかい感触だ。
「うん、これなら大丈夫だな」
さっそく炊いていこう。
炊飯に使うのは鍋だ。この世界には炊飯器なんてものはない。オレがまだ作ってないから当然だな。
使う鍋は、ガルガン工房で作ってもらった特注品だ。オレが元の世界で炊飯に使っていたものと、寸分違わぬ大きさになっている。記憶を掘り返して、同じ大きさのものを作ってもらったのだ。
「さすがガルガン工房。いい仕事してる」
職人に敬意を抱きながら、水を切ったお米を鍋へと入れる。そこに水を投入。身体強化を発動しての目分量だ。ほぼズレはない。
ただし、水の量は気持ち少なめにした。この新米は自然乾燥させただけだ。まだ水分が多いだろう。
水を入れたら、最後にお米を平らにならす。
「よし。これでお米を炊く準備はできた……。やるか」
蓋をした鍋をコンロへと移動し、中火で加熱を開始する。ここから先は気が抜けないな。
「身体強化のレベル上げとこ」
魔核から魔力を汲み出して、特に脳を強化する。五感を拡張。時間も正確に計測可能だ。
感覚を研ぎ澄ませて、鍋へと意識を集中する。
じっと待っていると、鍋の中からボコボコと沸騰音が聞こえてきた。このまま少し待機だ。
蓋から吹きこぼれの泡が出て来るようになった。熱の通ったお米の、柔らかくて優しい匂いがする。懐かしい匂いに、ついつい頬が緩んだ。
沸騰の状況を見極め、少しだけ火を弱める。久しぶりに嗅ぐお米の炊ける匂いに、急速にお腹が減ってきた。その空腹を我慢しながら少し待つ。
コンロの火を弱火へと変える。鍋の中からは、小さな沸騰音が響いてくる。もう少しだ。
たぶん、炊き終わった……と思う。時間的には問題ない。鍋の蓋を開けてみる。
「ふおおっ」
蓋を開けた途端に、白い湯気が大量に出てきた。湯気に混じったお米の匂いに、つい声が漏れる。
湯気が晴れた鍋の中を覗き込むと、ふっくらと炊きあがった白いお米の姿があった。特に沸騰の泡が残っていたりもしない。ちょうど良いようだ。
「あ~、美味そう~」
今すぐ食べたい。だけど、まだ我慢だ。まだ蒸らす工程が残っている。
再び蓋をして、少しだけ加熱する。火を止めたら、コンロから降ろして放置だ。お米が程よく蒸れるまで待機。
木製のしゃもじを片手に鍋の前で待つ。しゃもじもお米用に新しく作ったものだ。今日が初使用となる。
「……そろそろ、いいかな?」
鍋の蓋をそっと開ける。中にあるお米は、蒸らしたことによって艶が光っていた。う~~ん、美味しそう!
その炊き立てのお米に、しゃもじをサクリと入れる。そして、お米を潰さないように優しく、切るように混ぜていく。
これで、お米を炊く全行程は終了だ。7年ぶりの炊飯、上手くいったと思う。
さて、このお米をどうやって食べるのかと言えば。
「よし。塩むすびだ」
ご飯を軽く握って、シンプルに塩だけで味付けする。具材もなしだ。あの日、夢にまで見た塩むすびを、今ここで作ろう。
熱々のご飯を握っていく。身体強化を発動しているおかげで、熱さはそれほど感じない。
「あちちっ」
いや、ちょっと強がりを言った。我慢はできるけど、やっぱり熱い。
その熱いご飯を、柔らかく、ふんわりと握っていく。形ができたら、手のひらに塩を付けて何回か手の中で転がす。これでよし。
出来上がったのは、丸く握られた塩むすびだ。その数四つ。さて、ロゼとリーゼのいる居間へ持って行こう。
テーブルの上には塩むすびとお茶が並んでいる。
ロゼはオレの隣に座り、膝の上にリーゼを乗せている。リーゼは、初めて見る塩むすびを不思議そうに見ていた。
「……コウ、食べないのか?」
隣でロゼが聞いてくる。
「いや、いざ食べるとなると緊張しちゃってね」
心臓がドキドキだ。この瞬間を待ちわび過ぎて、何だかおかしな気分になっている。もしかして、これも夢だったりしないだろうか。
「コウ、早く食べないと冷めてしまうぞ」
ロゼが優しく言ってくる。そうだな。食べよう。そのために、今まで頑張ってきたのだ。
「よしっ、いただきます」
手を合わせて食事の挨拶をする。そして、塩むすびを一つ手に取る。指先には、少しべた付くお米の感触。お米の輝きが美しい。
真っ白な塩むすびを、口元へと近づける。
震える口を開け、ゆっくりと、塩むすびへ歯を立てる。舌には最初に塩の味が広がった。じっくりと、お米を噛んでいく。一粒一粒を噛み締める。
甘い。柔らかい。ああ、お米だ。お米の味がする。野生の物だったとは思えない程に美味い。口の中でほどけていくお米が、ただただ美味しい。懐かしい。嬉しい。
「……ああ、美味しいなあ」
小さく、そう呟いた。
「ふふふ、コウ。涙は拭いた方がいいぞ」
「うえ?」
言われて気付いた。確かに頬が冷たい。いつも間にか泣いていた。困ったことに、自分の意思では涙が止まらない。
「うわ、どうしようこれ」
「一回拭いた方がいいだろう。リーゼも心配しているぞ?」
ロゼの顔から視線を落とせば、リーゼが小さな手をオレに伸ばしていた。眉を寄せて、心配そうな表情だ。
「パパー」
リーゼが慰めるように、オレのことを呼、ぶ……?
「「リーゼが喋った!」」
ロゼと綺麗に重なった。リーゼが意味のある言葉を喋るのは初めてだ。
「お、おおお! リーゼが喋ったよ!」
「う、うむ。リーゼ、私のことも呼んでくれ。ママだぞ。ママだ」
オレもロゼも大騒ぎだ。ロゼは、リーゼに自分を呼ぶように頼んでいる。その光景を見て、どうしようもなく、笑いと涙が止まらなくなった。
溢れる感情のままに2人を抱き締める。
「ロゼ、どうしよう。オレは今、すごい幸せだよ」
笑い泣きのオレの言葉に、ロゼがオレの背中に手を伸ばしながら応える。
「ふふふ。それなら、この幸せをずっと守らなければならないな」
ロゼの優しい声が耳へと届く。うん。そうだ。オレは守ろう。大切なものを全て守って、この世界で全力で生きよう。
大切な人達がいて、美味しいご飯があるのなら、きっとオレは何だってできる。
数十年後。自由貿易都市から広がったとある穀物は、大陸の主要穀物の一つとして、その地位を確立した。
「オコメ」と呼ばれるその穀物が大陸中に広がった影には、嬉々として「オコメ」に合う料理を開発し続ける、一人の変わった男の姿があったとさ。
めでたし、めでたし。
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