第202話 戦闘開始
森の中に戦闘音が響き渡る。戦っているのは魔物と人。
魔物は全てを食い尽くす巨大な蟻。暴食蟻だ。黒く硬い外骨格が、太陽光を鈍く反射している。
無言で迫りくる黒い群れは、人にとっては恐怖でしかない。
対するは魔物を狩ることを生業とする冒険者たち。理由は様々なれど、依頼人との縁に引かれて集まった者達だ。
少数で固まり、確実に暴食蟻を撃破していく。その手並みは鮮やかだ。
個々の強さでは冒険者が勝る。だが、暴食蟻との圧倒的な数の差により、戦いは拮抗していた。
体がひしゃげ、足の折れた暴食蟻が、森の奥へと勢い良く飛んでいく。
「がーはっはっは!! まだまだあ!!」
2メートルを越える暴食蟻を軽々と切り飛ばしたのは、筋骨隆々の大男。ベテラン冒険者のゴルドンだ。
戦闘で使用するのは、魔力で強化した己の肉体と、愛用の大剣のみ。鍛え抜いた肉体さえあれば、小手先の魔術なんて必要ないと、その戦いが示している。
「おおお!!」
襲い来る暴食蟻に向けて、大剣が振り下ろされる。響くのは衝突音。ひたすらに頑丈さを求めた大剣が、暴食蟻の甲殻を叩き潰した。
体を縦に割られた暴食蟻は、足を震わせながら絶命する。
だが、暴食蟻の数は多い。ゴルドンが大剣を振り下ろした隙を目掛けて、別な暴食蟻が突撃する。
「はあ!!」
ゴルドンは、暴食蟻の体に半ば埋まった大剣を無理やり持ち上げて、そのまま横へと凪いだ。空気すら押し潰す勢いで振られた刃が、暴食蟻の頭へとめり込む。
そのまま振り抜かれた大剣によって、暴食蟻は頭を分離させながら飛んで行った。
構えを戻すゴルドン。その背後に次の暴食蟻が忍び寄る。
「ゴルドンさん、先に行き過ぎですよ」
落ち着いた声と共に振るわれた大剣が、ゴルドンの背後に迫った暴食蟻の首元を切り裂いた。頭部を失った体が地面へと崩れ落ちる。
ゴルドンよりも一回り小さな大剣を握るのは、『黄金の鐘』の長男グレイだ。
「おお!! すまんすまん!! ちょいと張り切り過ぎたな!!」
そう笑いながらも、ゴルドンは襲ってくる暴食蟻を粉砕していく。
「敵の数は多いですからね。気を付けていきましょう。背中は任せてください」
ゴルドンに声を掛けながら、グレイは襲い来る暴食蟻の節を確実に断っていく。
「がっはっは!! 頼んだぞ!! では行くか!!」
呵々と笑いながら、ゴルドンは暴食蟻の群れへと突撃する。その死角を守るようにグレイも追従した。
2人が大剣を振るう度に、暴食蟻が潰れ、あるいは切り飛ばされていく。ただただ単純な暴力が、暴食蟻の群れを食い破る。
森の中で、大量の水が荒れ狂う。意思を持ったように宙を進む水が、暴食蟻へと纏わりついた。魔力の籠った水の力に、暴食蟻はその動きを鈍らせる。
「ジーン! お願い!」
水の魔術を操るのは、『黄金の鐘』の長女エリザ。迫りくる暴食蟻を弾き返し、拘束し、その動きを遅延させる。
「うん」
エリザの声に、『黄金の鐘』の次男ジーンが疾駆する。その手には弓と矢。戦場を駆け回りながら、姉が捕らえた暴食蟻へと矢を撃ち込んでいく。
ジーンは走る。暴食蟻の甲殻は硬く、矢の効果は薄い。狙うのは、常に体を繋ぐ節の部分だ。弱点への射線を確保するために、縦横無尽に軽やかに、森の中を飛び回る。
「……矢が足りなくなる。――、――」
急速に減っていく矢筒の中の感触に、ジーンはポツリと呟き、魔術の詠唱を開始した。
「――『木よ、その形を変えろ』」
ジーンが倒れた木に触れながら魔術を発動する。その効果は劇的だ。手が触れた先の木が、バキバキと音を立てて変形する。たった数瞬で幾本もの矢が出来上がった。
その中の一本を手に持ち、ジーンは自身の魔力を通す。そのまま流れるように、エリザへと向かう暴食蟻を射た。
空中に魔力の軌跡を残して、即席の矢が暴食蟻の節を貫通する。
「うん、問題ない」
矢の出来と強化の具合に、ジーンは納得したように頷く。そこへ、エリザの詠唱の声が響いた。
「――――、――――」
長年共に戦ってきた姉弟であるために、ジーンには姉のすることが分かった。矢を回収し、木を蹴って大きく空へ跳び上がる。
「――『水よ、我が敵を押し流せ!』」
エリザの魔術が発動し、大量の水が暴食蟻へと殺到する。濁流に飲み込まれた暴食蟻が、互いの体をぶつけ合いながらもがき、木々へと衝突していく。
その様子を上から観察し、ジーンは空中で弓を構えた。
「ふっ」
衝撃で動けない暴食蟻へと、強化された矢が突き刺さる。次々と、暴食蟻たちが沈黙していく。
兄妹の連携は、確実に暴食蟻の前進を止めていた。
森の中で刃が煌めく。
「カハハハハ!!」
黒い群れを切り裂いていくのは、『切裂き男』の綽名を持つ冒険者スライ。両手には二本の直剣。その剣が視認できない程の速さで振られ、その度に、暴食蟻はその身を分断されていく。
「獲物の横取りは許さねえゼぇ! くたばれ蟻どもォ!」
剣に籠められるのは怒り。自分の
諸々の感情を籠め、歯を剥き出しにスライは吠える。
燃える怒りとは裏腹に、その剣技は冴えわたる。速く、鋭く、精緻に動く。嵐のような剣戟が、暴食蟻の群れを両断していく。綽名を持つに相応しい強者が、襲い来る敵を切り裂いた。
きつい。何がきついって、戦場の全体を把握して対応するのがきつい。
誰も失わないことを作戦の第一優先として設定したオレは、後衛へと陣取り、戦場全体のフォローをしている。
防壁の魔道具により暴食蟻を分断し、閉じ込め、冒険者の負担を減らす。場合によって魔力アームを飛ばして手助けをする。そして、自分に襲い掛かってくる暴食蟻は魔術で排除する。
維持できる限界まで身体強化を発動してもなお、情報の処理がきつい。
「あ~、そのうち鼻血でそう」
頭が重い。後衛なのに地味にダメージを負っているが、これは仕方ない。やはり数の差は大きいのだ。
依頼を受けてくれた冒険者たちは奮闘しているが、襲ってくる暴食蟻を迎撃するので精一杯の場所も多い。これ以上無理をしようとすれば、どこかが崩れる。
先に女王蟻を倒したいところだが、今はまだ無理だ。戦いが始まってから、女王蟻は後方で守られている。そこまで進む手段がない。
現状は耐えるしかない。暴食蟻の数を減らし、女王蟻へ手が届くようになるまで耐久戦だ。
……問題はこのペースでオレが行けるかだ。冒険者は多く集まってくれたが、それでも今は人員がカツカツだ。余裕が全くない。
「……もう一人くらい、こう、オレの周りを守ってくれる強い人が欲しい……」
そうすれば、戦場全域へ意識を向けるのに集中できる。まあ、それは贅沢だ。今いる人間でやるしかない――
「ふむ。ならばその役目は私が担おう」
背後から聞こえた聞き覚えのあり過ぎる声に、慌てて振り向く。
そこに立っていたのは、赤みかかった金髪を揺らして微笑む女性。オレの最愛の人だ。
「ロゼ!? 何でここに!?」
目の前にいるロゼは完全装備だ。かつて一緒に買いに行った鎧を身に纏い。細い直剣を腰に差している。この姿を見るのはいつ以来だろうか。懐かし過ぎて驚いた。
いや、それよりもなんで!?
「リーゼは!?」
「リーゼはお母様に見てもらっている」
いや、そうだろうけど!
驚愕に染まっているだろうオレの顔を見て、ロゼは笑みを浮かべる。有無を言わせない強い微笑みだ。
「いつだって、コウを守るのが私の願いだ。それに、あのときに言ったはずだ。守るのなら一緒に、だと」
……覚えている。それは、結婚の儀式で言われた言葉だ。
ロゼの目を見る。いつものように綺麗な空色の瞳には、決意の色が燃えている。
「……そうだね。そうだった」
いつだって、ロゼはオレよりもずっと強いのだ。
「オレは繋がった全てを守りたい。だからロゼ、オレを守って」
オレの言葉に、ロゼは満開の笑みで応える。
「ふふふ、ああ、任された」
ロゼが剣を抜き、オレを追い越して駆け抜ける。目指す先は、接近してきた暴食蟻。
細く美しいロゼの剣が、軽やかに振るわれた。蟻の頭部に触れた剣先が、そのままの勢いで顔を両断する。
「ふむ。多少硬い、が、問題はないな」
ロゼの剣の腕にも翳りはないらしい。オレの愛する人は頼もし過ぎるな。
さて、オレの身の安全はロゼに任せて、オレは戦場へと集中しよう。
目を閉じる。身体強化も脳だけでいい。魔力による知覚を拡張。意識を戦場へと溶かす。全ての戦いの場をオレの意識下に置く。
ロゼのおかげで負担は減った。さあ、
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