第196話 次への準備

 新年が始まって少し経った。


 オレはいつものように、農場の一角にある温室にいる。ただし、いつもと違って足が震える程に緊張していた。


「ふうぅ……。よし! エイドル、アルド。収穫を始めようか」


「ええ。ようやくですな」


「おう! やるぜ!」


 収穫。そう、収穫だ。温室の中で育ててきた稲は、今や黄金に実っている。収穫の時期だ。稲刈りである。


 鎌を持ち、育ち切った稲の前に立つ。色付いた穂先は、その実の重さで垂れ下がっている。


 高鳴る胸を押さえつつ、稲の前でしゃがみ込む。そして、左手で稲をまとめて掴み、右手に持った鎌を当てて手前に引いた。


 ザクリッ、と、繊維を断ち切る感触が鎌から伝わってくる。


 鋭く砥がれた鎌のおかげで、稲は一振りで刈り取ることができた。稲と土の繋がりは断たれて、刈られた稲はオレの左手で揺れている。


「ふふ、ははははっ」


 笑い声が口から漏れる。初めてのお米の収穫に、背中がぞわぞわと泡立った。


 お米の栽培が成功したという実感に、興奮が収まりそうにない。やっと、オレはここまで来たのだ。


 勝手に持ち上がる頬をそのままに、熱の籠った息を吐き出す。


 さあ、収穫を続けよう。





 3人で行った稲刈りは、あっという間に終了した。元々、稲の数もそう多い訳ではないから当然だ。


 刈った稲は部屋の一角に積んでいる。その前に立てば、稲の濃い匂いが鼻を突く。嗅ぎなれない匂いだが、不快ではなかった。


「よし、じゃあ実を外そうか。脱穀だね」


「そうですな」


「魔道具使うんだろ? 初めてだな!」


 テンションの高いアルドの言う通り、オレが試作した脱穀機を使用する。


 突起の付いた金属製のドラムが回転するだけの簡単な仕組みだ。デカいオルゴールみたいなもんだな。


 本体はオレが両手で抱えて持てる程度の大きさだ。取れた実を入るための木箱が設置されている。


 その脱穀機の魔石に触れ、魔力を補充する。これで準備は完了だ。


「回転開始っと」


 オレの操作によって、脱穀機のドラムが回転を始める。部屋の中に稼働音が響き始めた。


 動作に問題がないことを確認し、刈り取った稲を一掴み手に取る。脱穀開始だ。なんだかドキドキするな。


「じゃあ、やるよ」


「ええ、どうぞ」


「おう!」


 2人に声を掛けて、手に持った稲の穂の部分を回転するドラムに当てる。


 途端に、稲がドラムの回転方向へと引っ張られた。握る力を強めて抵抗すると、ババババッ、と、連続した音が響く。


 音が鳴る度に、穂から実が弾き飛ばされていくのが見える。


「おお~、すげ~」


 稲をドラムから離してみれば、全ての実が外れていた。寂しくなった稲が手元で揺れている。脱穀は完璧だ。ただし……。


「……予想よりかなり飛び散ったな」


 脱穀した実は、かなりの数が木箱に入らず部屋に飛び散っていた。要改善だな。


「……魔道具へ囲いを設置した方が良いのではないですかな?」


 エイドルの意見はもっともだな。


「でも、すげえ楽だぜ!」


 アルドの前向きな姿勢がありがたい。


「まあ、改善点が見つかったのはいいことだ。後で改良しておくよ。とりあえず、今は仮補強っと。『防壁』展開」


 脱穀機を囲うように防壁を展開する。これでちゃんと木箱に入るはずだ。


 さて、脱穀作業を続けよう。





 脱穀の作業が終わった。目の前には収穫したお米がある。籾殻に包まれた実が、木箱の中に詰まっていた。


 その中へ両手を差し入れてみる。ズズッと、詰まったお米へ手指が沈んでいく。両手を掬い上げれば、溢れたお米が零れ落ちた。


「ふふ、ふふふふ」


 喉が震える。嬉しくて仕方ない。今、オレの前には収穫したお米があるのだ。


「収穫は成功ですな。それでコーサク殿……この先はどうするおつもりですかな?」


 隣でエイドルが聞いてくる。これからの話。今後の予定だ。ああ、ちゃんと頼まないとな。


「エイドル、春になったら、このお米は全て・・発芽させてくれ。作った水田に植える。ああ、実験用に温室でも少し育てたいから、いくつか分けておいてくれよ」


「ええ、仰せのままに。ですが、良いのですかな? その……召し上がらなくても?」


 エイドルがオレの顔を窺ってくる。まさかエイドルに気を遣われるとは……。


「いいよ。大丈夫だ。今はまだ食べない。今は、増やすことに専念する。次の収穫からは、ちゃんと食べられる量が採れるだろう?」


 この量を栽培できれば、かなり余裕ができる計算だ。


「……そうですな。ええ。了解いたしました」


 エイドルが大仰に礼をする。


「……コーサクさん、ちょっとくらいなら食べてもいいんじゃねえの?」


 成り行きを見守っていたアルドが聞いてきた。不思議そうな顔だ。2人とも、オレがどれほどお米を食べたがっているのかを知っているのである。だけど。


「いや、今は我慢しておくよ。“ちょっと”で済ませる自信がないしね」


 一回お米を食べてしまったら、これ以上我慢ができる気がしない。


「それに、オレが食べた分だけ次の収穫は減るからね。今は増やす方を優先するよ」


「う~ん……分かった」


 そうだ。まだお米は食べない。まだ十分な量はない。オレは毎日お米を食べられる環境が欲しいのだ。

 今さら少しだけ食べて、数ヶ月も我慢するなんて耐えられそうにない。


 だから、これでいい。水田での栽培に全力を尽くそう。


「さてと、収穫はこれで終わり! エイドル、お米用の肥料の準備は?」


「ええ、終わっております。持っていかれますかな?」


「うん、田んぼに行って土と混ぜてくる」


 春に向けて、土作りの開始だ。


「俺も行く!」


 アルドが元気に手を上げた。手伝ってくれるならありがたい。


「じゃあ、アルド。2人で行くか」


「おう!」


 うん。一つ一つ、ちゃんと準備して行こう。





 アルドと2人で田んぼへと来た。リューリック商会の手を借りたおかげで、形は完全に仕上がっている。

 使われるのを待つだけになった田んぼは、冬の寒空の下で眠ったように沈黙していた。そんな土地を見ながら呟く。


「さてと、春にはちゃんと起きてもらわないとな」


 そのために、肥料を追加して行こうか。


 エイドルが作った肥料は、荷車に載せて持ってきた。肥料というだけあって臭い。帰ったからちゃんと体を洗わないと、リーゼに嫌われそうだ。気を付けよう。


 小屋の鍵を開けて、土を耕すために作った魔道具を数本取り出す。棒の先に付いた刃が、冬空の下で鈍く輝いた。


 ……いい加減、この魔道具に名前を付けよう。言い辛いわ。ええと仮称:耕耘棒で。うん、いいな。


 じゃあ、作業を始めよう。


「アルド、田んぼに肥料を撒いてくれ。オレが混ぜていくから」


「いいけど、コーサクさんの方が大変すぎねえ?」


 アルドが首を傾げて聞いてくる。


「ああ、それなら大丈夫だよ。『魔力腕:8』発動」


 オレの魔力に呼応して、半透明な腕が出現する。その腕に、耕耘棒を持たせていく。これでよし。


「おおー! すげー!」


 宙に浮かんだ魔力アームと耕耘棒を見て、アルドが目を輝かせている。


「これで、オレ1人でも問題ないよ。アルド、肥料は頼んだ」


「おう! へへへ、やるぜー!」


 アルドがテンション高く肥料の袋を運んでいく。そして、眠ったままの土地に肥料を撒き始めた。


 この世界の人間らしくアルドの動きは速い。身体強化は発動済みらしい。


「よし、行くか」


 耕耘棒を起動して、土と肥料を混ぜていく。魔力アーム2本につき耕耘棒は1本。オレ自身を含めて5人分の作業量である。


 魔力は十分で、気力は溢れるくらいにいっぱいだ。今なら、何でもできそうな気がするな。

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