第181話 閑話 狩人の準備

 故郷の村の再建を目指す狩人ルヴィは、日々を忙しく過ごしていた。


 冒険者として活動しながらの人脈作りと資金貯め、村長として必要な知識の習得と、やるべきことが多い。


 この日も、友人から譲ってもらった帝都の家の一室で、夕食後に文字の勉強をしていた。


「むう……。どういう意味だ……?」


 眉間に皺を寄せて唸るルヴィの目の前には、一冊の本があった。使い古された本だ。その本を読みながら疑問の声を上げるルヴィに、同じ部屋で書き物をしていた少女が声を掛ける。


「ルヴィさん、どうかしましたか?」


「ああ、エミリオ。ここの意味が分からないんだが……何でこの話の流れで『蕪を買った』なんて台詞が出るんだ?」


「ああ、そこですか」


 エミリオという男性名で呼ばれた少女、エミリーが嬉しそうに解説を始める。短く切り揃えられた髪と男物の服を着たその姿は、成長期前の少年に見えなくもない。だが、観察眼に優れた狩人であるルヴィにとっては、一目で見破れる男装だった。


「そこは『蕪』ではなくて『顰蹙ひんしゅく』と読むのですよ。大昔の帝国では蕪は家畜の食べ物だったのですが、それを知らなかった王国の料理人が、蕪を使った料理を帝国の貴族様に出してしまったのです。そのときの貴族様の様子から、蕪は顰蹙の代名詞のようになったらしいです」


 エミリーはうんうんと頷きながら解説を続ける。


「確かに、お前に出すのは家畜の餌で十分だーって意味で受け取ったら怒りますよね。……僕は好きですけどね。蕪のスープとか。冬は温まります」


 にこやかに笑う少女に、ルヴィも笑いながら返す。


「なるほど。ありがとう。俺も蕪は好きだよ」


 ルヴィの言葉にエミリーは目を輝かせる。


「おお~! 一緒ですね!」


「あ~……そうだな」


 エミリーの純粋な視線を、ルヴィは苦笑いで誤魔化した。どちらかと言えば、ルヴィは蕪の美味しさではなく、入手と調理の手頃さが好みだったからだ。保存が効いて、適当に切って鍋で煮ればスープになるのが良かった。


 とは言え、わざわざそれを目の前の少女に伝える必要もないので、ルヴィは自分の好みを飲み込んでおくことにした。




 本の文字を追うことに集中していたルヴィが顔を上げると、窓の外はすっかり暗くなっていた。夜が更けている。冒険者として活動するルヴィは朝が早いので、もう寝る時間だ。


 すぐ近くでカリカリと筆を動かすエミリーに声を掛ける。


「そろそろ遅い時間だから終わりにするか」


 ルヴィの声にエミリーも顔を上げた。


「わあっ、確かにもう真っ暗ですね。僕も終わりにします」


 そう言って、エミリーは机の前で伸びをした。


「ん~っ。疲れたっ」


 エミリーが作っているのは、村の復興に関する計画書だ。必要な資材や資金、人手など、様々な事柄が記載されている。

 ルヴィが席を立ってその計画書を覗き込む。その内容は、今のルヴィには理解できない部分も多い。自らの未熟を実感しながらも、ルヴィはエミリーにお礼を言った。


「ありがとう、エミリオ。俺じゃ分からなかったことばかりだ。お前がいてくれて良かったよ」


 ルヴィの心からの称賛に、エミリーは少し顔を赤らめた。


「い、いえいえ。僕はこれでお給料をもらってますし! ルヴィさんは恩人ですし! これくらい当然です!」


「それでも、俺が助かっているのは事実だからな。ありがとう」


 ルヴィからの信頼を籠めた笑みに、エミリーは慌てたように立ち上がる。その顔は先ほどよりも赤くなっていた。


「あの、僕も好きなので! あ……えっと、計算とか準備が! だから大丈夫です! あの、ええと、お風呂! 行って来ます!」


 エミリーがバタバタと部屋を飛び出して行く。


「行ってらっしゃい。転ぶなよ」


 ルヴィは目を細めて、走って行くエミリーの背中に声を掛けた。


 出会ってから早数ヶ月。未だに褒められ慣れていないらしい少女は、ルヴィにとって数少ない大切な人間だ。確かに行き倒れになっているところを助けはしたが、世話になっている部分の方が多いと思っている。


 今は文字を教わったり、村の復興準備を手伝ってもらったりしつつ、同じ家で暮らしているが、少女に出会うことがなければ、最低限の文字を覚えるのにも、まだ数ヶ月は必要だったことだろう。

 近くにいてくれる少女に、ルヴィはとても助けられている。


 そんな2人暮らしだが、ルヴィには少しだけ大変なことがあった。


 それは、少女が男装をしていることに気が付かないふり・・をすることだ。ルヴィが初見で見破った男装だが、エミリーはまだバレていないと思っているらしい。


 田舎から出て来た少女は優秀ではあるが、経験が足りなかった。たまに見せる無防備さに、一時期裏の組織に身を寄せていたルヴィとしては不安になる程だ。


 それでも、その秘密を指摘するつもりはルヴィにはなかった。人の隠し事をわざわざ暴くのは趣味ではなかったし、少女が男装していても、風呂上りの薄着から目を逸らしたりする程度の苦労しかなかったからだ。


 言いたくなったら言えばいい。それがルヴィの姿勢だった。



 一方で、エミリーは湯船に身を沈めながら悶えていた。


「う~ん、どうしよう。いつ話せばいいんだろう」


 少女は完全に、自分の秘密を打ち明けるタイミングを逃していた。数ヶ月も男のふりをしてしまったせいで、話す踏ん切りが付かないのだ。


「もっと、早く言っておけば良かったなあ……」


 ルヴィが信頼できる人間であることはすぐに理解できたのだから、もっと初めの頃に言えば良かったと、エミリーはブクブクとお湯に沈みながら反省した。


 その悩みが取り越し苦労であることを、少女はまだ知らない。






 数日後。ルヴィがいつものように依頼から帰ってくると、エミリーが一通の手紙を差し出して来た。


「ルヴィさんにお手紙ですよ」


「ああ、ありがとう」


 ルヴィが手紙を開くと、それは古い知り合いからだった。かつての故郷へ行商に来ていた商人ゼツからの手紙である。


 一ヶ月前に、覚えたての文字を使い、エミリーに確認してもらいながら書いた手紙への返信だ。その手紙の内容を、一文字ずつ追うように読んでいく。


「……どうですか?」


 エミリーが、眉を寄せ、心配そうにルヴィに聞く。その問いに、ルヴィは軽く息を吐き、笑みを浮かべながら答えた。


「……村を再建するのなら、また行商に来てくれるってさ」


「本当ですか! 良かったです!」


 エミリーが嬉しそうに飛び跳ねる。


 村が魔物に滅ぼされて以降、当然だが行商人が来ることもなくなった。村を再建したとしても、行商人のルートから外れてしまったままでは、必要な物資を距離が離れた都市まで買いに行く必要がある。


 ゼツからの手紙には、村の再建に出来る限り協力する旨が書かれていた。かつて村まで行商に来ていたゼツが再び手を挙げてくれたのは、かなりの幸運だ。


 ゼツに心の中で礼を言いながら、ルヴィは目を閉じて今後の行動を考える。そして、目を開けてエミリーを見つめた。


「エミリオ。俺は一度、村に行ってみようと思う」


 ルヴィは脳裏に故郷の光景を思い浮かべる。


「帝都では不足している素材の中で、あの村の近くで採れるものがいくつかあった」


 その考えは、帝都で冒険者として活動した知識と、村の狩人としての知識、両方があるからこそ出たものだ。


「ゼツさんが協力してくれるなら、あの村の近くで採れた素材を売り出せると思うんだ。だから一度、村の様子を見たいと思う」


 ルヴィの言葉を受けたエミリーが少し考えた上で口を開く。


「……そう、ですね。いいと思います。村の特産品にできるのなら、色々と良い点が多いです」


 思考を回すエミリーを見て、ルヴィは軽く笑った。


「それで、エミリオ。一緒に行くか?」


「え……僕もですか?」


 驚いたようにエミリーが目を見開く。


「いや、無理にとは言わないけどな」


 ルヴィの苦笑いを、エミリーの元気な声が押し退けた。


「いえ! 行きます! 一緒に行きたいです!」


「……そうか。それなら、準備をして、2人で行ってみるか」


「はい!」


 そうして、2人は旅の準備を始めた。旅の途中でエミリーが性別を隠せなくなるのは、もう少しだけ先の話だ。

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