第171話 異郷の言葉

 薄暗い森の中を連行されること1時間ほど。リコ達の村に着いた。建物は全て木製。子供達が無邪気に走り回っている。

 平穏そのものの風景だ。


 少し生臭い匂いがするのは、海で獲れた魚を加工しているためだと思う。


 キョロキョロと村の様子を眺めるオレに向かって、気の強そうな娘さんことリコが話しかけてくる。


「ここが私たちの村よ」


「いい所だね」


「そう?ありがとう」


 褒められるのは満更でもないらしい。いい所だというのは素直な感想だ。ルヴィと過ごした村を思い出す。


 ちなみに、普通に会話しているが、1時間で新しい言語を覚えた訳ではない。


 リコ達が話している言葉は、オレ達の言葉の方言みたいなものだった。文法は完全に一緒で、名詞と一部の動詞、音の調子が違う。

 日本で山奥のド田舎に行って、畑仕事をしているおばあちゃんに話しかけたら、何を言っているのか分からない。くらいの感じだった。


 全く交流のなかった場所同士で言葉が近いのは、たぶん言葉の起源が一緒だからだと思う。


 この世界の言葉は、たぶん精霊語から派生している。精霊語は、精霊に呼びかけるための世界の言葉。詠唱のためにうたわれる願いの言葉だ。

 魔道具に刻み込む魔術式も精霊語が使用されている。


 魔道具を作るために昔少し調べたが、精霊語は人が作ったものではないと伝えられているらしい。


 その真偽は分からないが、少なくとも、お互いの魔術の詠唱は同じだった。

 ちょっと実験した結果、リコに使ってもらった風の魔術の詠唱は、カルロスさんが知っているものと、ほとんど変わらなかったのだ。


 そんな訳で、お互いの言葉はそう遠いものではなかった。それでも、オレの素の理解力ではもっと時間が必要だっただろうが、今は脳を強化中だ。

 リコと回りの人達にひたすら質問をし続けたおかげで、ある程度会話はできるようになった。


 聞いた話を整理すると、ここは島らしい。リコ曰く、とても広いとのこと。村はここ以外にも何ヶ所かあるのだとか。

 また、島の外からやって来た人間を見るのは初めてだと言っていた。


 魔境の海を越えようとする命知らずの人間は、そうはいないらしい。まあ、当然だよな。オレ達もけっこう危なかったし。


 襲って来た蛸とか鮫とか名状しがたい海生生物とかを、しみじみと思い出していると、リコが話しかけて来た。


「グル兄がおさのところに知らせに行くから、ちょっと待ってて」


 グル兄というのは、オレ達に一番最初に話しかけてきた、ゴツい男性である。本名はグルガー。岩の擬人化みたいな雰囲気だ。固くて強そう。リコの兄らしい。

 ついでに次の長候補なのだとか。


 そのグルガーさんが、村で一番大きな建物に向かって歩いていく。あそこが長の家のようだ。


「分かった。待ってるよ」


「ああ、大人しく待つとしよう」


 リコの言葉に応えたのはオレともう1人。その声の主に振り向けば、そこにいるのは日に焼けた眼帯の人物だ。


 当然だがカルロスさんである。オレが脳を強化した上で、この世界に来た当初の経験を活かして理解したリコ達の話し方を、オレと変わらない時間でカルロスさんは飲み込んだ。


 さすがは貿易都市のトップの1人。怪物の一角である。超優秀ですね。


 そして、その優秀なカルロスさんは、楽しそうに片目を細めている。


「楽しそうですね、カルロスさん」


「ああ、ここでは生活様式も、話す言葉も微妙に違う。海を越えて異郷に来たという実感が沸いてきたところだ。楽しいに決まっている」


 未踏の海を越えることは、カルロスさんの長年の夢だった。それが叶ったのだから、嬉しそうな表情なのも当然か。

 でも、その隻眼の中にある熱は、消えていないように見える。


「そして何より、話の通じる人間がいるのがいい。この島を航海の中継点にできるなら、俺たちはもっと前へ進める」


 着いたばかりなのに、もう次を見据えているようだ。すごいな。オレはここまででも、かなり疲れた。


「もっと前へ、ですか……。世界一周でも目指すんですか?」


「世界、一周?」


 オレの言葉をオウム返しに呟いて、カルロスさんが片目を見開く。


「……ははは、いいな。いいじゃないか、コーサク。せっかくだ。目指してみるとしよう。空白だらけの世界の地図を、俺達が埋めるのも悪くない」


 ……余計なことを言った気がする。というか、言ったな。帰ったらウェイブ商会の副商会長さんに怒られそう。

 今でもカルロスさんが現場に出過ぎて大変だって愚痴ってたのに。


 カルロスさんを止めるのはオレには無理なので、帰ったら謝ろう。お詫びの品は何がいいだろうか。アリスさんのところの洋菓子?


 持っていく菓子を思い描いているオレに構わず、カルロスさんが口を開く。その視線の先には、長の家から出て来たグルガーさんの姿があった。


「そのためにも、この地での信頼を勝ち取る必要があるな」


 そう言って笑うカルロスさんと、こちらに向かってくるグルガーさんの目が合う。グルガーさんは険しい表情だが、カルロスさんは強い笑みで受け流した。


 そのまま睨み合った状態で近くまで来たグルガーさんが、重く低い声でオレ達に指示を出す。


「来い。長がお前たちと話すと言っている」


 端的な指示だ。それだけ言って、背を向けて歩き出す。その後ろに、先ずカルロスさんが続いた。


「行くぞ」


 カルロスさんの短い言葉に、オレ達も歩き出す。


 そうして村の中を進めば、こちらを観察してくる視線が大量にぶつかってくる。


 初めて見るものへの不躾な視線に、他の船員たちは居心地が悪そうだ。オレはあまり気にならないけど。

 黒目黒髪が目立つのはいつものこと。視線には慣れた。


 ちなみに、カルロスさんは全く動じた様子がなかった。前を真っすぐ向いて、堂々と歩いている。

 前にいるから表情が見えないが、たぶん笑っているのだと思った。


 少し歩けば長の家の前まで着く。近くで見ると大きな屋敷だ。濃く変色した木材が、年月を感じさせる。


 その扉の前で、立ち止まったグルガーさんがオレ達を睨み付ける。


「入れ」


 またも端的に言い、そのまま中へ入っていく。カルロスさんがそれに続いた。


 オレも行くとしよう。平和に話し合いが出来るといいな。

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