第165話 飛魚の刺身

 2メートル近くある魚を捌く。それはもう重労働だ。捌くというより解体と言った方が正しいだろう。


「マグロの解体ショーって、すごかったんだな……」


 本当にすごいわ。超大変だぞ、これ。


 飛魚の巨体の前、遮る物のない太陽の下で、汗だくになりながらそう思った。海の匂いを含んだ風は涼しいが、それでも体の熱が上がっていく。


「包丁が重いー……」


 首から下げたタオルで手汗を拭い、包丁を握り直す。鋭い刃が、ギラリと太陽光を反射した。


 利き手に感じるのは、包丁とは思えないほどに重い感触。まあ、それも当然だろう。手に持つ刃物は、普通の包丁の数倍は長い。


 知らいない人が見たら、きっと武器だと思うことだろう。見た目はほとんど片刃の直剣だ。


 巨大な魔物が多く生息するこの世界では、オレが持っているような長い解体包丁は珍しいものではない。

 貿易都市の横を流れる大河でも、化け物じみた大きさの魚は良く獲れる。


 だから、魚用のデカい包丁も普通に売っている。


 ただ、取り回しは最悪だ。本来は、身体強化を使って扱うものなのだと思う。生身のオレにはとてもきつい作業だ。

 だけど、ただでさえ少ない魔力をここで消費する訳にはいかないだろう。


 魚捌くのに魔力を使って、戦闘では役に立ちませんでしたー、では、さすがに笑い話にもならない。


「レックスがいれば楽だったのになあ……」


 レックスはオレ達の結婚を見届けて、ふらりと旅に出てしまった。今はきっと、どこかの魔境にでも潜っているのだろう。


 ここにレックスがいれば、一瞬で3枚におろしてくれただろうに。実に便利な魔術だと思う。


 羨ましい。オレの爆破の魔術は戦闘では使えるが、料理には全く役に立たないのである。


「はあ、レックスさん、ですか?」


 どうにもならないオレの呟きを拾ってくれた声がある。若い声だ。まだ高さの残る少年の声。


 目に入ってくる汗をタオルで拭って顔を上げれば、そこにいるのは、良く日焼けした少年だ。


「そうなんだよ、ジャス君。オレの友達にレックスって奴がいてね。料理にすごく役立つ魔術を使えるんだ」


「はあ、そうなんですか」


 反応が薄いなあ。オレにとって、料理で役に立つは褒め言葉なんだけど。


 横たわる飛魚の体を挟んでオレの向かいにいる少年はジャス君。飛魚の解体は1人では大変だろうと、カルロスさんが手伝いにつけてくれた。


 今回の航海における最年少の少年である。14歳らしい。海と船と冒険譚が何より好きな男の子だ。

 その熱意と、若者特有の無鉄砲さで、2回目の航海に出る船員に飛び込んできた。


 若いが優秀らしい。魔術を使い、過不足なく帆に風を送る腕前は中々のものなのだとか。


「ああ、ジャス君。ちょっとそこ持ち上げて」


「はい」


 そんなジャス君に手伝ってもらいながら、巨大な飛魚を解体していく。徐々に姿を現す新鮮な身が眩しい。

 美味そう。テンションが上がるね!


 だけど、内心興奮しているオレとは対照的に、ジャス君はつまらなそうな顔だ。チラチラと動く目線の先には、働く他の船員たちの姿がある。


 オレの手伝いをするくらいなら、先輩たちと一緒に働いて少しでも自分の腕を上げたい、みたいな表情をしている。


 素直なことだ。とてもいいと思う。


 カルロスさんがジャス君をオレの手伝いとして指定したのは、最年少であることと、その頑張り過ぎる姿勢からだろうか。


 人間、常に気を張っているのは無理だ。力を入れ続けていては、いつか緊張の糸が切れてしまうものである。


 他の船員たちも、休憩の時間には好きに騒いで過ごしている。その中で、休憩のときにもロープワークやら何やらの復習をしていたジャス君は少し目立っていた。


 他の船員たちは、その姿を微笑ましく見守りながらも、たまに無理矢理バカ話に引きずり込んでいた。


 気分転換も大切なことだ。そんな訳で、ジャス君には少しオレの楽しみに付き合ってもらおう。


「よし、ジャス君。ちょっと味見してみようか」


「え、はい。……え?このまま?」


 切り出した身を、そのまま一口大に切っていくオレを見て、ジャス君がマジで?みたいな顔をした。


 マジだよ、マジ。本気だよ。


 日本人としては良く分からない考えなのだが、ここの人達はあまり魚の生食をしないらしい。


 するところもあるにはあるけど、少数派だ。オレが貝を食べて死にかけた海辺の村は、そんな数少ない場所だった。

 まあ、そのせいで死にかけた訳だけど。


 でも生食って、新鮮だからこそできる一番贅沢な食べ方じゃない?


 せっかく毒に強い体なのだから、食べてみればいいのに、と思う。


 川ならともかく、塩分濃度の濃い海では菌も繁殖しにくい。獲れたての魚なら、刺身でも問題ないだろう。

 現にオレの毒見の魔道具は、この飛魚を生で食べても問題がないという結果を伝えて来ている。


「毒とかないから、生でも大丈夫だよ」


「は、はあ、そうすか」


 少し引いた顔のジャス君には構わず、持ってきた醤油のビンを取り出す。


 それを、飛魚の刺身の上に軽く垂らしてっと。


「いただきます」


 指先で一切れ摘まんで、そのまま口に放りこむ。


「うわ、ホントに食った……」


 ジャス君の失礼な声も気にせずに咀嚼する。というか、正しく言うと、気にする余裕がなかった。


 美味い。


 久しぶりの、新鮮な、生の魚。しかも獲れたて。


 口を動かす。咀嚼する。新鮮な海の味を噛み締める。常に飛び跳ねるせいか、脂は少ない。だけど旨味が濃い。淡泊な味わいを醤油が引き立てている。

 歯を押し返す、しっかりとした食感がとても心地良い。


 ああ……。


「お米が欲しいなあああーーー!!」


「うお……!?」


 炊いた白いご飯を、今すぐ山盛りで持ってきて欲しい。刺身と醤油だぞ。白米以外に相手はいないだろ!

 酒?お米が腹に溜まってから持ってこい!


 ああ!お米が欲しい!寿司も食いてえなあ!海鮮丼とか掻き込みてえなあ!!ああ~!!


「あ~……はあ」


 ちょっと思考が暴走した。久しぶりの美味い海産物に、つい抑圧されていた感情が漏れ出てしまった。


 ジャス君がドン引きした顔でオレを見ている。いや、危ない人じゃないよ。普段は真面目に生きてるんだよ?


「「……」」


 不審者を見るような眼差しが痛いなあ。


「あー……。ジャス君もどうぞ。美味いよ」


「え……。う、はい。食べます……」


 断ったら殺されるとでも考えていそうな表情で、ジャス君が刺身に手を伸ばす。微妙に悲痛そうな顔だ。

 ジャズ君の中でオレの評価がヤベえ奴になった気がする。そんなことしないのに。


 まあ、食べてくれるならいいや。オレは今の内に、生姜でもすろうか。次は生姜醤油で食べよう。


 そんなことを考えているオレの横で、ジャス君が目をつぶって刺身を口に入れる。ゆっくりと咀嚼する。

 そして、その目が驚きに開いた。


「え、あれ……?え?……うまっ……!」


 おお~。初の生魚で美味さが分かるとは、ジャス君いいねえ。美味しいなら何よりだよ。


 さて、オレは荷物から生姜を持ってくるとしよう。


 そのために立ち上がれば、目に入るのはどこまでも続く青い海。弧を描く水平線が、永遠に続いているように見える。


「この先に、お米があるといいなあ」


 手に入ったら、帰りは海鮮丼だな。ああ、楽しみだ。

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