第164話 小手調べ

 空が青い。浮かぶ白い雲は緩やかに流れている。


 そして、目線を落とせば、空の色を映した海が広がっている。360度、全方位が海だ。陸の姿はどこにも見当たらない。

 海上に浮かぶのは、6隻の船だけだ。


 出航から3日目。オレは船の右側の甲板に棒立ちで、吹き付ける風を浴びていた。


「う~ん……不思議だなあ……」


 不思議だ。


 何が不思議なのかと言えば、風の向きだ。今、船は帆を張って前へ進んでいる。


 そして、オレが浴びている風は、斜め前・・・から吹き付けているのだ。魔道具を使っている訳ではない。

 斜め前からの風を受けて、船は前に進んでいるのである。


「……確かに、力の向きを計算すると、前に進めるのか」


 見上げれば、風を受けて斜めに膨らむ白い帆が並んでいる。水の抵抗と、帆の角度を考えれば、確かに前に進めそうではある。


「それでも……変な感じだなあ……」


 感覚的に、前側からの風を受けて、帆船が前に進むというのは不思議な感じだ。理屈は分かるが、頭が混乱するような気分になる。


「何を唸ってるんだ?」


 背後からの声に振り向けば、そこにいたのはカルロスさんだ。その日に焼けた肌と眼帯は、船の上が一番似合っている。


「カルロスさん、船の操縦はいいんですか?」


 さっきまで、色々と指示をしていたはずだけど。


「それなら大丈夫だ。今は風も波も安定しているから、風が変わるまでは、そうやることもない。で、何が不思議なんだ?」


「船が前に進んでいるのに、風が斜め前から来るのが不思議だな、と。理屈は分かるんですけどね」


「ああ、そういうことか。まあ、船乗り以外は実感できるものじゃないのかもな。特に、この船は操作性を何より優先している。風上への切り上がりがここまで出来る船は、そうはない」


「へえ、そうなんですか」


 誇らしげに話すカルロスさんに、曖昧に相槌を打つ。


 残念ながら、オレは帆船の知識がほとんどない。乗ったこともないし。まあ、とりあえず、性能の良い船は、ある程度風上へ向かって走れるらしい。


「ああ、いい船なんだ……。まあ、今はそれを語りに来たんじゃない」


 しみじみと呟いたカルロスさんが、その雰囲気を変える。


「ここまで来れば、いつ魔物が襲って来てもおかしくはない。うちの監視員も目を凝らしてはいるが、先に見つけられない場合もある。コーサクも、心の準備をしておけ。何なら、船内に籠っていてもいいぞ?」


 船内に籠るのも、ありだとは思う。それでも。


「いえ、魔物が襲ってきたときは、オレも協力しますよ」


「そうか。なら頼んだ」


「はい」


 海上に逃げ場はない。船が沈んでしまえば終わりなのだ。言ってしまえば、船内も確実に安全な場所ではない。

 自分の身を守りたいのならば、戦う他にないだろう。





 左舷の方向。遠目に見える水面が、白く輝いている。


「飛魚の群れ接近!!数……200以上!!」


 輝きの正体は羽。キラキラと太陽光を反射する薄い羽が、水を切って近づいてくる。


「戦闘員、左舷に集まれ!!監視員は他の魔物にも注意しろ!!」


「「「「おうっ!!」」」」


 オレも邪魔にならない位置に移動し、近づいてくる存在に目を細める。


 流線形の魚体。滑空のために広げられた羽。見た目は……トビウオだ。ああ、見た目は。


「……デカくね?」


 比べるものがない故に分かり難いが、オレの目には2メートル近くあるように見える。その巨体が、この船目掛けて全力で飛んできている。


 デカい。そして速い。ついでに、無感情な目が怖い。


 遠い昔の記憶をたどれば、確かトビウオの飛ぶ速度は、時速数十キロにもなったはず。


 それが2メートル近いサイズで突撃してくるとなれば、ぶつかったら大惨事だろう。バイクに轢かれるようなものではないだろうか。


「やべえな、海……」


 ボソリと呟いたオレの声は、他の船員たちの怒声にかき消される。


「風で逸らすぞ!!合わせろ!!」

「「「おう!!」」」


「盾構えろ!!抜けてきた奴を止めるぞ!!」

「「「おお!!」」」


「剣を持ってる奴は、止まった飛魚にトドメを刺せ!!」

「「「おおー!!」」」


 士気は旺盛。連携は抜群。こちらの戦力に不足なし、と。


 オレはあまり出しゃばらない方がいいだろう。連携取れないし。討ち漏らした奴を、ピンポイントで狙うとしようか。


 胸の奥から魔力を汲み出す。いつでも魔術を発動できるように待機する。そう威力は出せないが、片方の羽だけでも歪められれば、まともに飛ぶことはできなくなるはずだ。


 静かに戦闘態勢に入ったオレの前で、船員たちの魔術が発動する。


「「「「――――『風よ、防げ!!』」」」」


 船の左側に風が渦巻く。海水が巻き上げられて煌めくのが見える。


 その風に煽られて、飛魚たちが空中で不安定に揺れる。互いにぶつかり、海に落下し、船底に衝突する。

 ド、ド、ド、と鈍い音が、足場の下から響いて来た。


 それでも、勢いに任せて甲板の上まで飛んできた飛魚を、船員たちが盾を使って止める。


 湿った衝突音が響く。近くで見ると、やはり大きい。人と同じくらいのサイズの巨大魚だ。その体重はどれほどだろうか。


 その重さと速度が生むエネルギーを、船員たちは見事に受け止める。オレの魔力の感覚が、発動された身体強化の気配を捉えた。


「羽には気を付けろ!!腕くらいは飛ぶぞ!!」


「分かった!!任せろ!!」


 互いに注意を飛ばしつつ、船員たちが素早く動く。船まで乗り上げた飛魚たちが、確実にその数を減らしていく。


 良い練度。鮮やかな手並みだ。さすがカルロスさんが率いる船乗りたち。


 さあ、オレも働くとしよう。


 魔力の感覚に集中すれば、海中から上昇してくる魔力が3つ。


 海面に出て来るその魔力に会わせて、爆発の魔術を準備する。タイミングは、今っ!


「『爆破!!』」


 ボンッ!!と、空中に爆発が3つ咲く。


 その衝撃に、水面から飛び出た飛魚たちが弾かれる。そして、空中に煌めく割れた羽の欠片。


 風を掴む方法をなくした3匹の飛魚は、そのまま海へと落下して行った。次に飛んでくることはないだろう。


「……1匹、ちょっとズレたな」


 波がある分、空中を指定するのが難しい。揺れを考慮しつつ、何とか微調整するしかないな。


 船を襲おうとする飛魚はまだいる。船が飛魚の縄張りを越えるまで、気を抜かずに戦おう。





 数十分後。戦闘は終了した。こちらに怪我人はなし。今は甲板の掃除をしつつ、船は平穏に進んでいる。


 何で掃除をしているかと言えば、甲板が血だらけだからだ。


 飛魚たちの血で、凄惨な有様である。その血を、船員たちが海水を使って洗い流している。


 その姿を、オレはぼうっと眺めている。連携が良すぎで、下手に手伝うと邪魔になりそうなのだ。

 まあ、そもそも身体強化をロクに使えないオレは、体を使う作業全般で邪魔になるんだけど。


 そんなオレのところに、カルロスさんが近づいてくる。


「コーサク、さっきは助かった」


「いえいえ。あれくらいはやりますよ」


 オレは大して働いていないと思う。オレがいなくても、全員無傷で乗り越えただろう。


「ああ、そういえば、カルロスさん。さっき、魔道具で船を進ませなかったのって、何か理由があるんですか?」


 さっさとスピード上げて逃げれば良かったのでは?


「ああ、それか。飛魚はそう強くない魔物だから使わなかった。魔力は、緊急時に備えてなるべく温存しておきたいからな」


「なるほど」


 あれはまだ、消耗を抑えて戦う相手だと。


「この先に進めば、嫌でも使う機会が増えるだろうさ」


 カルロスさんの隻眼が遠くを見る。その先にあるのは、これから起こる困難だろうか。


「……なるべく、その機会が少ないことを祈ってますよ」


 戦いなんて、少ない方がいいに決まっている。


「はっはっは。そうだな。できれば少ない方がいい」


 2人で笑う。本当にその方がいい。さて、カルロスさんにもう一つ聞きたいことがある。


「カルロスさん。船の上に乗った飛魚、食べてもいいですか?」


 船の上には、数匹の飛魚が横たわっている。2メートル近いサイズが数匹だ。少し食べさせてもらえないだろうか。


 貿易都市にいると、海の魚って食べる機会ないんだよ。


「……ああ、いいぞ」


 少し空いた間が気になるが、許可は貰った。まずは捌いてみるとしよう。

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