第126話 出発
長期の旅に出るとなれば、やるべきことは多い。
ガルガン工房の倉庫で、整備の終わった改造馬車を見る。ピカピカだ。新品のように磨かれている。
「おう。摩耗した部分は交換した。ついでにいくつか素材も変えとる。耐久性は上がっとるぞ」
「はい。ありがとうございます。今回は急ぐので助かりますよ、親方」
「気にすんな。帰って来たら、また持ってこい」
オレの目を見てガルガン親方が言う。無事に帰って来いという、親方らしい言い方だ。
「はい。必ず」
-移動手段の確保完了。
愛用の荷車に魔道具を載せて、石畳の通りを進む。前は苦労して運んだものだが、身体強化を自力で発動できるようになった今は軽い労働になった。人混みを進む脚が軽い。
向かう先は孤児院の近くにあるグラスト商会だ。
「ごめんくださーい!」
「おう、コーサク。来たか」
相変わらず、人相の悪いギルバートさんが出迎えてくれた。近くにいた商会員に、荷車ごと魔道具を渡して確認してもらう。
「数も種類も問題ない。取引完了だな」
ギルバートさんに納品書へサインしてもらった。これで旅の間の仕事は問題ない。
「ギルバートさん。ロゼのこと、ありがとうございます」
オレが不在の間は、ギルバートさんの奥さんであるアリシアさんに、ロゼがお世話になる。
「はっはっは。世話をしたいって言ったのはアリシアだ。気にするな。それよりも、無事で帰ってこいよ。帝国は今荒れているからな」
「はい。気を付けます」
空になった荷車を受け取りながら答えた。
-仕事の前倒し完了。
都市の市場を巡り、旅の食料を購入する。日持ちする穀物や野菜、肉類を見て回る。
いつもは保存食を大量に作っていたが、オレが魔力を得たことで、冷凍庫を使用する余裕もできた。新鮮な肉類も持って行ける。
それに、今回はオレとレックスの2人旅だ。男2人、肉が足りなくなったら現地調達でもいいだろう。
旅の間の栄養を考えながら、大量の食料を買い込んだ。
-食料の確保完了。
レックスと一緒に冒険者ギルドで手続きをしている。護衛依頼の手続きだ。
いつものように、トールさんがいる窓口で依頼を発行してもらう。
「では、お二人ともサインをお願いいたします」
オレとレックスで、それぞれ依頼者、受領者の欄に名前を書く。
「はい。ではこれで手続きは完了です。他に何かございますか?」
「トールさん、ちょっと訓練場を借りてもいいですか?期間は今日だけで」
「はい。問題ありません。使用料はギルド口座からの引き落としでよろしいですか?」
「大丈夫です。それでお願いします」
冒険者ギルドの敷地内には、広い訓練場が存在する。冒険者なら誰でも無料で使用できるが、オレは冒険者ではないので有料だ。
「じゃあ、レックス。ちょっとよろしく」
「おう!任せろ!」
レックスと2人でギルドの中を進む。建物の奥にある分厚い扉の先が訓練場だ。
訓練場では、今日も何人かの冒険者が思い思いに特訓をしていた。割合的には若い冒険者が多い。買ったばかりの剣を振り回せる場所は、都市の中ではこの訓練場以外にあまりないのだ。
空いているスペースに2人で移動する。ここなら誰かにぶつかる心配もないだろう。
「始めようか。よろしくお願いします」
「おう!じゃあ、行くぜ!」
レックスが高速で踏み込んでくる。顔目掛けて迫ってくる拳を必死に避ける。次は脚が伸びてきた。どれもこれも速い。当たったら不味い威力が見える。うん。普通にヤバい。
「危なっ!ちょっとレックス!ペース速過ぎ!うおっとおっ!もうちょい手加減!っはあ!」
「はっはっはあー!何言ってんだ!戦いで相手が手加減してくれることなんてねえ!!さっさと慣れろ!!」
「それはそうだけどー!!うわっ!!」
空気を切り裂いて飛んでくる攻撃をひたすらに避ける。スピードが足りない。魔力を回す。胸の奥から全身へ、より多く、より強く魔力を巡らせる。体のギアを上げる。
「はっはあー!!マシになって来たじゃねえか!!こっちも上げて行くぜー!!」
「いや!レックスは上げんなよ!!さすがに厳し、うおお!?」
地面を転がり、土埃に塗れながら応戦する。本気で行かないと、旅の前に重症を負いそうだ。レックスの攻撃を潰すために、こちらからも仕掛ける。
「っらあ!!」
「はあっはっはっはー!!」
-オレ自身の準備は、まあ、及第点だ。
旅の準備が終わり、出発の日がやってきた。
家の前でオレ達2人を見送るのは、2人と1匹。アリシアさんとロゼ、タローだ。
「アリシアさん。ロゼのこと、よろしくお願いします」
「ええ、まかせて。気を付けてね」
「はい」
その優しい微笑みが頼もしい。
「じゃあロゼ、行ってきます。体には気を付けて。あまり激しい動きは駄目だよ」
やっぱり、このタイミングで行かなくてもいいのではないか、という考えが頭をよぎる。この期に及んで揺れている。
「ふふふ。心配し過ぎだ。この子が無事に産まれることは、天秤の悪魔のお墨付きだぞ?私よりも、気を付けなければいけないのはコウの方だ」
近づいてきたロゼに抱きしめられる。オレの胸に埋もれた顔は見えないが、微笑んでいるのだろうと思った。
「私もこの子も、ちゃんと無事で待っている。だから安心するといい」
ロゼが顔を上げる。その空色の瞳に見つめられる。
「行ってらっしゃい。気を付けて」
返す言葉は一つしかなかった。
「うん。行ってきます」
互いに離れる。遠くなった体温が寂しい。だが、大丈夫だ。オレが帰る場所はちゃんと理解した。早く帰ってこよう。
「わふ!」
タローに呼ばれる。また少し大きくなったタローが、自分もいるとアピールしていた。
屈んで、その白い毛を撫でまわす。
「タロー。ロゼのことをよろしくな」
「わふ!」
タローも頼もしくなった。オレと同じ黒い目には、やる気が輝いている。大丈夫そうだ。
これで出発の挨拶は終わりだ。レックスは既に改造馬車に乗って待っている。オレも行こう。あまり時間を掛け過ぎると、旅に出る決心が薄れてしまいそうだ。
オレが帰ってくる場所を、もう一度眺める。ロゼとタローがいるこの家が、この世界でオレが帰ってくる場所だ。
それを目に焼き付けて、最後にもう一度口を開いた。
「行ってきます」
帝国へ出発だ。
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