第117話
《悪魔の水ショゴス》がゲルルフの周囲へと広がっていき、彼の血塗れの身体が露となった。
手足はあらぬ方向に折れ曲がっている。
近くで交戦していたゲルルフの部下達と《瓦礫の士》が落下音にゲルルフの方を振り返り、彼の拉げた姿を目にしていた。
「ゲ、ゲルルフ様が、賊に敗れただと!」
「そんな馬鹿な……わ、我々はどうすればいいのだ!?」
アルマとメイリーが、ゲルルフの近くへと降り立った。
ゲルルフの顔が傾き、アルマを睨みつけた。
直後、ゲルルフは口から黒い血を大量に吐き出した。
「ア、アル、マ……ぐっ、ぐふっ、がはっ!」
「あの高さから落ちたのに結構元気じゃないかと思ったが……落下直後に一瞬ショゴスを実体化させて、衝撃を軽減したか。だが、生身でまともにソレに触ったなら、どっちにしろ決着はついたな。その身体じゃ、まともに動くことは疎か、意識を保つことも難しいだろ? それとも、まだやるか、ゲルルフ?」
アルマとゲルルフは、二人睨み合った。
ゲルルフにはまだ《悪魔の水ショゴス》がついている。
ゲルルフがその気になれば、《悪魔の水ショゴス》で身を守りながら、毒水をばら撒いて最後の悪足搔きをすることもできる。
地面の上であるため、先程のようにまた落下ダメージを叩きつけられる心配もない。
ただ、ゲルルフは既にまともに動けない状態であった。
アルマの言う通り、いつ自身の意識が途絶えてもおかしくはない。
それにゲルルフ本人が重症である以上、動き回ってアルマを追い詰めながら、他のアイテムで《悪魔の水ショゴス》の補佐を行うことも難しい。
「今のお前は、もう脅威じゃない。ただ、ショゴスの扱いだけは面倒だからな。これ以上やるなら、まともに動けないお前をショゴスごと埋め立てることになるぞ」
「う、うう、ううう……! この俺が……ズリングの支配者であり、やがては世界の支配者となるこのゲルルフが……なぜ、こんなところで……!」
ゲルルフは唸り声を上げた。
ゲルルフには、アルマの言葉がハッタリではないことは、これまでの言動からすぐにわかった。
アルマは既に、ゲルルフを敵として捉えていない。
どうとでもできる相手として見ている。
そしてそれは事実であるのだ。
最後の足掻きで行き当たりばったりで暴れようとも、アルマ相手にどうにかできるとは思えなかった。
「今、大衆の前で……悪魔の力を借りて造った、《支配者の指輪》を外して罪を認めろ。そうすれば、命だけは見逃してやる。ゲルルフ、非道なお前でも、無為に自分の発展させた都市で戦争を引き起こしたくはないだろう?」
ゲルルフはアルマの言葉を聞き、自身の指輪へと目をやった。
アルマはゲルルフが公の場で《支配者の指輪》の洗脳効果を解き、正式に罪を認めることでズリングで後継戦争が勃発することを防ごうとしているのだ。
誰に正義があるのかわからないまま事態を収めてしまえば、第二、第三の争いの火種となる。
ゲルルフは震える手で、自身の《支配者の指輪》を摘まんだ。
指輪を摘まんだまま、ゲルルフの腕は動かない。
額に皴を寄せ、苦悶の表情を浮かべていた。
アルマに降伏して見逃してもらうか、最後の悪足搔きをするのか。
その決断ができないでいるようだった。
「お前が一番わかってるだろ? これ以上やっても無駄だってな。わかりやすく言ってやる。賭けに出るかどうかで天秤に掛けてるつもりだろうが、お前に選べるのは俺の恩情で生かしてもらうか、生き埋めになるかのどっちかだ」
「若造が、知ったような口を……! 俺は長い年月を掛けて、ようやくここまで来た! お前が思っているより、遥かに長い時間をだ! 全てを失うくらいならば、いっそ……!」
ゲルルフはそう言いながらも、指輪から手を放すこともしない。
結局のところゲルルフは臆病で保身がちな人間なのだ。
自身の命に執着し、悪魔の力を借りて若さを得てまで生きながらえてきたゲルルフである。
自分の命が惜しくないわけがない。
しかし、それとまた同様に、悪魔の力とズリングでの権力は、彼が長い人生で得たその全てである。
権力と悪魔の力、そして我が身。
これまでずっとこの三つに執着して生きてきたゲルルフである。
アルマから突き付けられた選択に対して答えを出すことができず、呻き声を上げながら指を押さえていた。
「ゲ、ゲルルフ様が悪魔の力を使っただと!」
「何の根拠があって、そんな戯言を!」
「だ、だが、あの不気味なスライムは……」
アルマとゲルルフの対話を目にし、ズリングの民衆達に混乱が広がっていた。
「お、俺は、俺は俺は……」
ゲルルフは地面の上で這いつくばった姿勢のまま、指輪を押さえ、涙を流す。
ゲルルフも頭では、悪足搔きをしても何の意味もないとわかっているはずだった。
「ア、アルマ……俺は……降伏す……」
ゲルルフが絞り出すようにそう口にした、そのときだった。
『ゲルルフよ、余と今一度、追加の契約を交わそうではないか』
女声の《念話》が、塔周辺へと響き渡った。
頭に響いてきた謎の声に、事態の成り行きを見守っていた兵や民衆達が、おろおろと周囲を見回す。
「つ、追加契約……だと? お、お前に、今から俺を助ける手立てがあるというのか、《叡智のストラス》!」
ゲルルフが喜色に満ちた声を上げ、まともに上がらない首を必死に持ち上げる。
『うむ、そうだ』
「だ、だが、そのような手段……これまで一度も口にはしなかったはずだ! いや、しかし、なんでもいい! 俺を助けろ、《叡智のストラス》!」
『なんでもいいと流されては困る。お前さんが一番よく知っておろう? 余らは契約がなければ何もできぬのだ』
「なっ、ならば、早く言え! その契約を!」
メイリーがゲルルフの様子を見て、困惑した目をアルマへと向けた。
「メイリー、止めろ!」
メイリーは地面を蹴って跳び上がり、ゲルルフ目掛けて爪を振りかぶった。
だが、素早く伸びた《悪魔の水ショゴス》の触手が、メイリーの身体を叩き落とした。
メイリーは腕を交差して受け止めてはいたものの、腕にくっきりと毒触手の痕が残っていた。
「あ、主様、さすがにアレがあったら、肉弾じゃ無理だよ!」
メイリーがアルマへと叫ぶ。
アルマは目を細め、塔の方を睨みつけていた。
『ゲルルフよ、この新規の契約での、お前さんの願いは何も叶えぬ。だが、これまで通り、対価だけはいただくぞ』
「な、なに! ふざけているのか、《叡智のストラス》! アルマはお前の鏡を見つければ、きっと叩き壊すだろうな! 俺だけが、お前を上手く使ってやれる! 俺を助けろ! 助けろストラス! 助け、助けてくれっ……! 百年の仲だ! 悪魔とはいえ、少しは情もあるだろう……! お前は、最後に俺の命を取り立てるつもりか!」
『最後まで聞けと言うておろう、ゲルルフ。生贄を捧げよ、この都市の中にある、お前さん以外の全ての者を……文化を、記録を、アイテムを、存在した証を』
「こ、この都市の、全てを……だと?」
『どれ、お前さんの手で今から捧げるのは難しいであろうから、この余が直接顕在して取り立てることにする、というのはどうか? 無論……そこの錬金術師と、竜の使い魔も含めてな』
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