第三章

俊敏の毒針

 レーカは新しく手袋を用意してしばらく日が流れた。クローゾも大きな動きを見せず、レーカ達は日常を謳歌している。だからレーカたちの危機感は、多少なり疎くなっていたのだ。


「皆、おはよう。今日は新しく教師が入ったのでこのクラスにも挨拶したいそうだー! 入ってきてくれ!」


 入ってきたのは金髪の小柄な男。よく見ると髪に黒のメッシュが一房、褐色の双眸をぎらつかせている。男は大きな声で名乗った。


「俺はキースといいます。スパルタで教えていくから、よろしくね」


 一瞬、目が合ったような感覚。レーカは首をこてんと傾けたが、キースは影でニヤリと嗤いながら薄っぺらい笑顔を貼り付ける。容姿に限っては小柄で童顔。完全に自分の容姿を理解しているからこそ違和感が一切なかった。


「キース先生、それでは他のクラスへ」

「はい、もちろん」


 ギンヤの一言で他教室へ挨拶に回るべく、キースは退出する。レーカに残されたのは目が合った違和感と、あの薄っぺらい不気味な笑顔だった。

 キースは上手く潜入に成功し、レーカという少女のあまりにも馴染んだ様子に笑みを浮かべる。つまりレーカは、クラスという空間において危機感に欠けた状態だったのだ。


(これなら、あっさり暗殺なんてできちゃうんじゃないかな?)


 そしてキースは一瞬、歪んだ笑顔を誰にでもなく見せたのだった。




「ああ、思いの外早くに潜入は完了したよ。どうもありがとう、君は引き続き監視を頼むよ」


 キースは誰もいないところでに話しかける。挨拶を終え、教室を移動してレーカのクラスへ向かう。そして、ギンヤのサポート役として授業に参加し始めた。


「ええっと、この殻人族の儀礼……そうだな、人生においての出来事に対して殻人族は行事を行うんだが、それはどれも甲殻武装を用いて図形を描く。これは皆知っているよな?」


 何人かの生徒が頷く様子が見える。そのままギンヤはある問題を出した。


「なら、これはわかるかー? ルリリ、答えてみろ」


 ギンヤは甲殻武装の先端で三角形を描く。


「それは同意の意味です」

「正解だ」

「今の三角形の他にもバツ印が拒否や拒絶、五芒星が依頼、正円が求愛、楕円が誓いと決まりがあるんだ。皆にはこれから言葉を使わずに意思疎通をしてもらう!」


 と、ギンヤは甲殻武装で五芒星を描いて頼んだ。そして、申し訳なさそうに付け加える。


「すまん、間違えた。言葉は使っていいが、その都度どのような意味を込めたのかを甲殻武装の動きで説明するんだ。皆、できるか?」


 生徒が全員頷くのを確認して、ギンヤは場所を校舎の外まで移動した。開けた場所で自分の言葉のニュアンスを儀礼的に説明する。キースも生徒たちを見回りながら、ふらふらと徘徊していた。甲殻武装を取り出して、あたかも意思を伝えるかのように動かす。

 しかしその瞬間、何かがレーカ目掛けて飛び出した。


「きゃ……な、なに!?」


 咄嗟に身につけていた手袋で受けたが、手袋が溶けている。手袋が焼けた跡のように繊維はちぎれ、黒ずんでいた。


「なに、これ?」

「毒……?」


 ルリリが隣でまじまじと手袋を見つめ、首を傾げる。そしてどこから飛んできたのか、二人は警戒を始めた。ルリリは毒と判断したが、毒系統の甲殻武装を持つ生徒は少なくともこの中にはいない。


(まさか、ね……)


 ルリリはふと新しく来たキースを疑うも確証が持てず、疑念は思考の外へ追いやられてしまった。



 ***



「すみません、レーカさんはいますか?」

「ん?」


 その日の晩になって、ルリリはレーカの家を訪ねた。アトラスが出迎えるが、ルリリは先に要件を述べる。


「アトラスさん、ですか?」

「ああ、そうだけど」

「突然訪ねたのは許してください。……レーカさんが狙われているかもしれないんです!」

「っ⁉︎ それは本当なのか?」

「もしかしたら、というだけで──」


 ルリリは今日の出来事を一から十まで話した。その話を聞いてアトラスは憤慨する。未遂に終わったが、自分の娘が誰かに毒針で狙われたのだ。


「わかった。それについては俺も調べてみるよ……。今日はもう外が暗い。だからレーカと一瞬に泊まっていってくれ」

「……はい」


 アトラスの言葉でルリリは家の中へと入っていった。レーカとルリリの視線が合う。レーカははしゃいだ声でルリリを歓迎する。


「あ、ルリリ! なに、うちに泊まっていくのー?」

「ん。今日はお世話になります、レーカ」


 慣れない空間に緊張する。少しだけ、かしこまった言葉でルリリは返したのだった。

 所謂、お泊まり女子会の幕開けである。

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