第18話 酒の味

 四階にあるレストランは、ダイニングバーのような内装になっていた。

 間接照明が用いられ、テーブルの代わりに樽が使われている。

 タケ爺と明美はカウンター席に座り、すでにワインを手にしていた。

 ゴロタに気づくと、明美は手をふった。


「おまえのことだから、風呂で寝ちまうだろうなと思って、先に飲んじまった」


「すみません、ゴロタさん。なにを頼みますか?」


 頭をかき、ゴロタは明美のとなりに座って、バーテンダーに告げた。


「ギムレット」


「ほんとは、生ビールだろ。かっこつけやがって」


「ち……生ビールで」


 ゴロタはタケ爺に手の甲を向けて、軽く左右にふってみせた

 明美は目で笑っている。

 お待ちかねの生ビールがやってくると、三人で乾杯した。

 ピザやパスタを注文し、くだらない話をしながら、ゴロタたちは杯を重ねてゆく。

 明美は顔を赤くさせることもなく、次々とワインを飲み干していった。

 さすがにプロだな、とゴロタはタケ爺と一緒にそんな彼女の飲みっぷりを称えた。


 話が松田友則のことになると、明美は、質問をタケ爺に向けた。


「タケ爺さんは、もしかして、わたしに会ったことがあるんですか?」


 タケ爺は今にもテーブルに突っ伏しそうだ。

 それでも、ろれつはしっかりと回っていた。


「ああ。昔、一度だけな。友則と遊んでいるときに、明美ちゃんにアメをやったよ」


「そうだったんですね……。すみません、わたし、よく覚えてなくて」


 タケ爺は孫を相手にしているような顔をしている。


「まあ、会ったのは一度だけだが、友則はよく明美ちゃんの話をしててな。だから、明美ちゃんはおれにとって、昔から親近感のある娘なんだ。また会えてよかったよ」


 タケ爺は〈一鉄〉と書かれた扇をパン、と開いてみせた。


「見覚えがあるだろう?」


 こくっとうなずく、明美。


「トモ兄のものです。律子さんからもらって、大切にしていました」


 タケ爺は目を細め、扇を閉じた。


「これを見せれば、明美ちゃんはおれを追ってくると思ったよ」


「そうだったんだ……」


 明美はしかたなさそうに息をついた。


「わたし、本当は、早番なんかじゃありませんでした。店長に無理言って早退きさせてもらったんです。だって、そんな扇を持っている人なんて、トモ兄以外にはいないですから、気になって」


 明美は少しだけ強く息を吸い、それから顔を上げた。


「すみません、わたし、失礼でしたよね。でも……わたしもタケ爺さんに会えてよかったです。本当に、ありがとうございます。わたしを見つけてくれて」


「友則から手紙の件で相談されたとき、明美ちゃんの話を聞いてな。、探偵を使って、居場所と仕事を調べさせてもらったんだ。んで、このセンスのよい扇子も用意させてもらった。気を悪くするなよ」


「いえ、そんなことは」と、かぶりをふる明美。


 タケ爺は彼女からゴロタへと首の方向を変え、赤ら顔で唾をとばした。


「ゴロタよ。やろうと思えば、おれたちは探偵を使って宛先人の居場所だって調べることができる。でもな、おれは〈森の番人〉で、おまえは〈森の郵便屋〉だ。あの森の力を受けて仕事をするんだ。そうじゃなきゃ、だめなんだ。わかるか?」


 ゴロタは、返事をしようと口を開きかけた。


 ――たしかに、それが、ってやつなのかもな。


 グー……。


 が、タケ爺はすでに寝息をたてている。

 明美は声を抑えて笑い、ゴロタはあからさまに顔を歪めた。


 年老いたバーテンダーは、ドラフトビールをゴロタの前に置くと、「そのままにしておいてやりなさい」というように、微笑みながら人差し指を自分の唇にあててきた。


 ゴロタと明美は申し合わせたように苦笑し、そっとグラスを寄せ、二度目の乾杯をした。


「タケ爺さん、ほんとにいい人ですね」


「変態だけどな」


 明美は口端を上げ、ゴロタにいたずらっぽい目を向けた。

 その目は「あなたもよ」と言っている。


 カウンターバックの間接照明にほんのりと照らされたルイ・アームストロングのLPジャケットが、貫禄のある笑みを投げかけている。

 店内には、彼の曲が流れていた。

 その独特で親しみのあるしゃがれ声が、大人であることの意味を優しく唄っていた。


「不思議ですね」


 明美はワイングラスを傾けている。

 

「わたし、久しぶりに、人に気を許してる気がします。こういう旅行だからかな」


  なんとなく、ゴロタは彼女の目元が北海道で暮らす母に似ているな、と思った。


「優しいですよね、タケ爺さんも、ゴロタさんも」


 黙ったまま、ゴロタは首を傾げてみせる。


「きっと、自分では気づいてないだけですよ」


 もう、ルイ・アームストロングの曲は終焉に向かっていた。

 彼の吹くトランペットが、この空間に名残り惜しさを響かせてゆく。

 鼻をこすり、ゴロタはタケ爺に目を向けた。


「鼻ちょうちんなんかつくってるよ、このじいさん」


 明美は同じように笑い――

 白い手に、滑らかな曲線をもつ顎をのせた。


「すみません、一本だけ頂けますか?」


 うなずき、ゴロタはタバコを一本、彼女に渡して火を点けてあげた。


 紫煙がほんのりとした灯の中でたゆたっていく。

 どこに流れてゆくのかわからない煙を眺め、彼女はゆっくりと語りはじめた。

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