第18話 ぷにょぷにょ

 一週間ほどたって、近本家の財政はほんの少しではあるが、潤いを取り戻した。俺は両親から仕送りを貰い、先生のもとへはお給料が入った。まあ、先生の場合、その大半は返済に消えたのだが、それでも俺の仕送りで電気代を支払うことができた。


 つまり、省エネエアコンもまた息を吹き返したということだ。


 省エネというのは本当に素晴らしいと、この数日間で俺と先生は思い知らされることとなった。先生と俺のない頭で、電気代の計算をしたところ、ある程度、気温を高めに設定しておけば、夜、眠るときにエアコンをかけていても、電気代は低く抑えられるのだ。


 これによって、俺と先生の夜の生活(深い意味はないぜ)は格段に快適となった。


 そして、とある日の朝、いつもよりも早く目を覚ました俺は、寝ぼけ眼で朝の支度をする先生を眺めていた。俺は社会人って大変だなと、完全に他人事のように彼女を眺めていると、先生が俺の起床に気がついた。


 スーツ姿の先生は「あれ? 今日は早いんだね」とイヤリングをつけながら俺に微笑みかける。俺は頭を掻きながら、目覚まし時計を見やる。


「もしかしたら、もう少し眠るかもしれないです。とりあえず先生のお見送りをします」


 平日の朝だというのに、俺に焦りはない。


 何故ならば、数日前に俺は一ヶ月にも及ぶ夏休みに突入したからである。そう、もう俺は目覚まし時計に毎朝、安眠を妨害される心配はないのだ。


 余裕しゃくしゃくの俺のそんな姿を見て、先生はツンと唇を尖らせると、ベッドにぺたんと腰を下ろした。


「いいなぁ……近本くん……」


 そう言って羨ましそうに指をくわえる先生。


「先生も、夏休み欲しいなぁ……」


「子どもみたいに駄々こねるのやめてくれませんか?」


「だって、先生も近本くんと一緒にゴロゴロしたいもん……」


 と、高校教師とは到底思えない駄々をこね始める先生。先生はバタンとベッドに倒れこむと「ごろごろ……」と言って、ベッドの上を転がる。


「ほら、先生、早く行かないと遅刻しますよ?」


 冷めた目でごろごろする先生にそう言うと、彼女は上体を起こす。


「そうだけどさ……」


 先生はしばらく羨ましそうに俺のことを眺めて「はぁ……」とため息を吐いた。


「じゃあ、行ってくるね。お利口さんにしてるんだよ……」


「任せてください。先生の分まで家でごろごろしてるので」


「もう、近本くんの意地悪……」


 そう言って、先生は俺の頬を軽くつねってからベッドを降りた。



※ ※ ※



 つい先生に意地悪がしたくて、ごろごろするなんて言ったが、なんだかんだで目が覚めてしまった俺は、昼前には家を出て街を散策することにした。仕送りが入ったばかりだったので、古本屋を何件かはしごして欲しかったライトノベルを何冊か買って昼過ぎに家に戻る。


 家のドアを開けて部屋に入ったとき、俺はふと異変に気がついた。


 靴がある……。


 玄関には脱ぎ捨てられた先生の靴が転がっていた。


「おかえり~」


 と、直後、部屋からそんな声が聞こえ、顔を上げるとそこにはネグリジェ姿の先生が、微笑みながらチャーハンを食べていた。


 平日の真昼間だというのに……。


「ちょ、ちょっと先生、何やってるんですか?」


「何って、お昼ご飯を食べてるんだよ。近本くんの分もあるから早くこっちにおいで」


 と言って先生は俺を手招きする。俺は狐に摘ままれたような感覚を覚えながらも、靴を脱いで家に上がる。


「ってか、何で家にいるんすか……」


 俺の記憶が正しければ、今朝確かに先生はスーツ姿で家を出て行った。いつもならばそのまま夕方まで帰ってこないはずなのに、何故か先生は当たり前のようにネグリジェ姿で部屋にいる。


 俺が首を傾げていると、先生は何やら嬉しそうに笑みを浮かべて、ピースをした。


 なんだ? 過労で頭がおかしくなったのか?


「先生も今日から夏休みだよっ」


「はあ? ってことは先生、本当に無職になったんですか?」


「そ、そんなんじゃないよっ。有給だよ。先生ね、今年まだ一度も有給休暇を取ってなかったから、先生よりももっと偉い先生が、有給取ってもいいよって言ってくれたんだよ。だから、今日の午後から先生も夏休みだよ」


 そう言って微笑むと改めてピースをする先生。


「一緒にごろごろしようね」


 それから俺は先生の作ってくれたチャーハンをありがたく頂いて部屋でくつろいでいた。先生もまた棚ぼたのように手に入った夏休みを満喫すべく、ベッドに寝そべると、指をくわえながらファッション誌を眺めていた。


 が、不意に。


「あ、そうだ」


 と、雑誌から顔を上げると俺を見やる。


「近本くん、一緒にゲームしようよ」


「ゲーム?」


「実はね、先生、面白いゲーム持ってるんだよ」


 そう言って立ち上がると、押し入れを開けてガサゴソと物色し始める。


 そして、


「あったっ」


 と、先生は両手に見覚えのないケータイゲーム機を掲げて、俺を見やる。


「なんすか、それ……」


 そう尋ねると、先生は目を丸くする。


「え? 近本くん、知らないの? ゲームガールカラーだよ……」


「あぁ……知ってます。トゥイッチの古いやつですよね。そう言えば幼い頃に父親が……」


 先生からゲームガールとやらを受け取ってまじまじと眺めていると、先生が冷めた視線で俺を見やる。


「その化石でも見るように見つめるの、やめてくれないかな……」


「い、いやいや、そんなことないですよ……だけど……」


 俺は根本的な疑問を抱いた。


「これ、どうあがいても二人では遊べない気がするんですが……」


 最新のトゥイッチならばまだしも、ゲームガールはどう見ても一人用だ。が、先生は余裕の表情で俺を見やった。


「ちょっと待っててね」


 そう言って先生は再び、押し入れを漁ると「じゃじゃーん」とゲームガールをもう一台掲げた。


「ドッキングケーブルでつなげば二人で遊べるよ」


「ってか、何で二台も持ってるんですか……」


「先生、小さいころ友達がいなくて、ママが友達ができるようにって、二台買ってくれたんだよ」


「ああ、そうなんっすね……」


 そんなことをニコニコしながら言う先生を見ていると、何だか悲しくなってくる。


 が、まあ、確かになかなかいい暇つぶしにはなりそうだ。先生は床で胡坐をかくと、俺に手を伸ばす。


「ドッキングするから、近本くんの貸して」


 そう言って俺からゲームガールを受け取るとケーブルで二台のゲームを繋いだ。


「ん……なんだか思ってたよりも短いね……。ほら、近本くん、もっとそばに来ないとケーブルが届かないよ?」


 そう言って先生は、隣の床をポンポンと手で叩くので、俺は先生のすぐ隣に腰を下ろした。


 近い……。


「わぁ……懐かしいなぁ……何年ぶりだろう……」


 ゲームのスイッチを入れると先生は目を輝かせながら、ゲーム画面を眺める。と、そこで俺は気がつく。


「もしかして、これって『ぷにょぷにょ』じゃないですか?」


「あれ? 近本くんも知ってるの?」


「知ってます。って言っても、昔友達と何回かやっただけなんで、あまり自信はないですが……」


 まあ、基本的なルールは覚えているが、正直、何連鎖も続けられる自信はない。


「じゃあ近本くんは甘口を選べばいいよ。先生は辛口にするから、そしたらいい感じで勝負が出来そうだね」


「相手になんないかもしれないですけど、それで一回やってみましょう」


 そう言って俺は甘口を選択して、ゲームが始まる。上から落ちてくるので、とりあえずルールを思い出すために、連鎖はさせずにぷにょを潰してみる。俺は横目で先生を見やった。先生は画面に集中してぷにょを積んでいた。どうやら先生は集中するとペロッと舌が出る癖があるようで、なんだかそれが舌をしまいわすれた猫みたいで可愛い。


「油断してると、負けちゃうよ?」


「え?」


 と、そこで再び画面を見やって愕然とする。いつのまにか、俺のぷにょの上には大量の透明なぷにょが乗っかっている。俺は慌ててぷにょを積んで、それを消していくが、その間にも先生が連鎖をして逆に透明なぷにょが増えていく。


 そして、


「あぁ……」


 ばったんぎゅーと俺の負けを知らせる文字が画面に表示される。先生を見やると先生は得意げに笑みを浮かべる。


「先生、ぷにょぷにょには少し自信があるんだ」


「なるほど、ルールはだいたいわかりました。もう一回やりましょう」


「激甘にしてもいいよ」


「いや、大丈夫です……」


 くそっ、先生が調子に乗り始めている。意外と負けず嫌いな俺は、少しイラッとしながら相変わらず甘口を選択して再プレイする。


 が、今度は自分のぷにょは見ずに、ひたすら先生のぷにょを観察することにした。


 なるほど、こんな風に積んでいければ、連鎖するわけか……。次のぷにょとその次のぷにょを見ながら、積んで行けば俺にもできるかも……。と、自分でも実践してみる。そうこうしている間にも先生は順調に連鎖をしていく。そして、俺も試しに三連鎖をしてみると、どうやら相殺されたようで、邪魔な透明なぷにょの落ちてい来る数が少し減った。


 なるほど……。


 また、負けはしたが何となく感覚はつかめてきた。そして、もう一つ気づいたのは、先生は俺を舐めているのか、それとも自分のプレイで精いっぱいなのか対戦相手の俺のぷにょをあまり見ていないようだ。


「先生、もう一回やりましょう」


「うん、いいよ」


 それから俺は計十回対戦した。その間、俺は何度か勝てそうな場面かあったが、俺はあえて負けることにした。とにもかくにも先生に油断をさせまくる。


 そして、


「先生、もう一回」


「近本くんもなかなか負けず嫌いだね……」


「先生に勝つまでやりますよ」


「じゃあ強がらないで、激甘を選べばいいのに……」


「いや、俺は逆に次は中辛にします」


「へえ、強がるねえ……。悪いけど先生、近本くんのこと簡単に倒しちゃうよ?」


 と、余裕しゃくしゃくである。


「本当に俺に勝てますか?」


「か、勝てるよ……」


「じゃあ、もしも次のバトルで俺が勝ったら、俺の言うこと何でも聞いてくれますか?」


「そ、それは……」


「もしかして、自信ないんですか?」


 そう言うと、先生は少し焦ったように「そ、そんなことないよ……」と返事した。


「絶対に勝てるならいいんじゃないですか?」


「ホントに中辛でいいの?」


「その代わり俺が勝ったら、先生の身体のどこかに触ってもいいですか?」


「ひゃっ!?」


 と、俺の言葉に先生はぽっと頬を赤らめて目を丸くする。


 もちろん、本気でそんなことをするつもりはない。が、こう言っておけば、先生は焦って冷静な判断力を失うに違いない。


「さ、触りたいって……近本くんは先生のどこに触りたいの?」


「さあ、どこでしょうかね? でも、先生が絶対に勝てるなら、そんなこと気にする必要もないんじゃないですか?」


「そ、そうだけど……」


 と、先生は小さく答える。


 そして、運命の一戦が幕を開けた。俺はさっき練習した要領で、どんどんとぷにょを積みつつも先生の動向を確認する。先生が連鎖を始めたところで、こっちも連鎖をして相殺する作戦だ。が、先生はさっきの俺の言葉が気になっているようで、今一つ、動きに切れがない。それどこから「なっ……間違えた……」と、操作ミスをする始末だ。そうこうしている間にも俺は素早くぷにょを積んで、一足早く連鎖を完成させる。


「なっ……」


 先生は積まれる無数の透明なぷにょにさらに焦る。そんな、先生の耳元で「どこに触ろうかな……」と囁くと先生は「ひゃっ!?」と肩をビクつかせると、泣きそうな目で俺を見つめる。そのせいで、さらに操作ミスをする先生。


 そして……。


「やったー勝ったっ!!」


 俺はあっさり先生に勝ってしまった。先生は画面を見つめたまま呆然としている。が、すぐに罰ゲームのことを思い出して、顔を真っ赤にして俺を見つめる。


「ち、近本くんは……せ、先生のどこに触りたいの?」


「え? いや、そんなの冗談ですよ。先生に勝ちたかったので、精神攻撃をしただけです」


「だ、だけど、先生、あんなに大見栄きって負けちゃったし……」


「いや、だから冗談ですってば……」


「…………」


 と、なにやら気まずい空気が部屋を襲う。が、先生は俺から顔を逸らすと、ゆっくりと俺の方へと手を差し出した。


「じゃ、じゃあ手に触ってもいいよ……」


「いや、でも……」


「手、つなごう?」


 と、先生は恥ずかしそうにずっと手を差し出す。俺はそんな先生の手にゆっくりと触れると、先生の手をぎゅっと握りしめた。


「…………」


「…………」


 俺と、先生はそれからしばらく手を握っていた。

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