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中宮の容態急変――そんな知らせに、源氏はたたき起こされた。主殿寮で宿直しているときで、源氏は慌てて女房に衣服をつけさせ、中宮のいる殿舎に渡った。もう明け方近くなっており、外にはうっすらと朝の光がさしはじめている。
だが、中宮の容態の急変とは、病気のせいではなかった。女房の話では、しきりに腹部を押さえてうなり声を上げているという。陣痛が始まったのだ。
女房たちは急いで白装束に着替え、僧を招き入れる使いたちが慌ただしく足音を響かせて駆け出ていった。
それから篝火が焚かれ、読経の声が響くのに時間はかからなかった。
そして昼過ぎ――玉のような女御子が生まれた。病体の母から生まれたとは思えないくらい、健康な赤子であった。すぐに御湯殿の儀が行われ、そのまま初夜を迎えたが、母子ともに健在であった。宮中にもすぐに急使がたてられ、使いに立った宰相中将の次男は帝もことのほかお喜びであったと伝えてきた。
ひとまずは安心であったが、中宮の体が体だけに源氏の中で忌まわしい記憶が呼び出された。源氏の長男の誕生の日がその長男の母親の命日となった。だが今はそんな不吉な思い出を吹き払うかのように、中宮は健やかであった。
一連の
だが、五夜の儀は中止せざるを得なくなった。中宮の容態が、今度は病気の症状として急変して悪化したからである。新宮誕生であれほど多く集まっていた僧たちも大半を帰してしまっており、その隙を突かれてといった感じであった。
「物の怪が現れました!」
そんな知らせを受けた源氏が中宮の所へ飛んでいったのは、ちょうど昼時分のことであった。源氏が祈祷所に入ると、依代の少女は少女本来のものではない気味の悪い笑みを浮かべていた。まさしく老人のそれであった。そしてそれは、源氏にとっていつか見た顔つきであった。源氏が言葉もなくたたずんでいると、少女に憑かった霊は調伏に苦しみながらも語りだした。
「許さん! 子々孫々まで祟ってやる。右大臣の
少女であって少女ではない老人は、うなるような声をあげ続けた。右大臣というのが現職の本院家の富小路右大臣ではないことは誰にも明白だ――それは紛れもなく九条前右大臣のことである。
「中宮も、そして東宮も許さん! わが娘の生んだ一宮を差し置いて立太子したばかりか、加冠まで先んじるとは……悔しい……悔しい! 許さん!」
そこでばたっと、少女は倒れた。源氏は全身に寒気が走った。こんなにも執念深いとは……かの、前民部卿は……。
しばらく呆然として震えていた源氏は、我に返ったあと大声で叫んだ。
「僧を増やせ! 加持をもっとさせよ! 怨霊を退散させるのだ!」
あまりに力んで叫んだので、源氏は体の平衡感覚を失って力が抜け、その場に前かがみに両手をついた。宰相中将と権大夫が慌てて両脇から駆け寄って源氏を支えた。
源氏は主殿寮のひと棟の一室で、前右大臣の子息の三兄弟と対座していた。
「中宮様にもしものことがおありになるといけないから、明日にでも東宮様をご希望どおりにお連れしようか」
「いや。あの物の怪は、東宮様をもお恨み申し上げていると言っておりましたぞ。東宮様をお連れするのは危険だ」
そんな兄弟たちの会話を、源氏は目を閉じて黙って聞いていた。今は深呼吸するだけで精一杯で何も思考が働かず、兄弟たちの話にも入れない。
「しかし東宮様をお連れしないとなると、中宮様や東宮様のお気持ちは」
そこで三郎兵部大輔が、兄二人の会話に入った。
「
「それでは情というものがなさすぎぬか」
次兄の反論に、兵部大輔は目をむいた。
「物の怪は情よりも恐ろしきものにてござる」
源氏は何と言ったらいいのか、誰に同調すればいいのか分からずにいた。若い者たちは感情で好きなことが言える。しかし自分は、少なくとも彼らより分別を持っていなければいけない……そんな気持ちが焦りとなり、またこの非常事態とも相俟って源氏から分別を取り上げているようでもあった。
兄弟の議論は続く。源氏は黙ったままだ。そうして一睡もしないままそろそろ明け方という頃に、宰相中将の次男が息を切らせて入ってきた。
「中宮様のご容態が、お悪くなりましてございます」
その知らせに、四人は同時に立ち上がった。
早速に宮中へも使者が出される。使いは宰相中将の次男であった。
中宮はほとんど息をしていない状態であるという。非常事態ということもあって、居合わせた三兄弟は御几帳の中まで入っていった。前右大臣の子息は男兄弟だけでも十二人いるが、ちょうどこの三人だけが中宮と同母の兄弟なのである。
源氏のみは遠慮して御几帳の外にいたが、中宮が横になっているのは同じ部屋のうちのすぐそばで、兄弟たちの話し声は間近に聞こえる。
「息をしておられない」
「でもまだ、御身は暖かいぞ」
そんなやり取りによると、中宮はまだ崩じてはいないようであった。源氏はしきりに、口の中で念仏を唱えていた。
宰相中将の次男や蔵人たちが、それから何度も主殿寮と内裏の清涼殿との間を往復した。帝はすでに前後もお分かりにならない状態で、蔵人以外の一切の人を内裏に入れないように指示されたという。
そして昼前、中宮は静かに息を引き取った。三十八歳であった。意識不明のままの旅立ち立ったので、今際の言葉も辞世の歌も残らなかった。辞世と言えば、出産にために宮中を出て主殿寮に行く際に、帝に対してお詠み申し上げた歌が辞世といえば辞世となってしまった。
逢ふことの 限りのたびの 別れには
死出の山路ぞ 露けかりける
もはやこの時点で、中宮は二度と宮中には戻れないことを予感していたのかもしれない。
君のみや 露けかるべき 死出の山
遅れじと思ふ 我が袖を見よ
帝の御返し歌である。
中宮は結局自分の生んだ東宮の即位を見ることもなく、国母ともならないうちに逝ってしまった。
中宮の崩御とともにそれまでの加持祈祷の声もぴたりと止まり、無情にも僧たちはぞろぞろと退出していく。その後の主殿寮は火の消えたような静けさに包まれたが、それも束の間に女房たちの号泣の声が殿舎に満ちた。
三兄弟も妹の遺体にすがり、声をあげて泣いていた。源氏も今は、涙をとどめるべきすべを知らなかった。恐らく内裏にも知らせは届いているはずである。帝のお嘆きはお察し申し上げるのにも余りある。この場に居合わせるべきは夫君の帝であるはずであったが、お立場上それが許されないのがお気の毒でもあった。
そのとき、激しい足音がして四宮が駆け込んできた。そして変わり果てた母の姿を見るなり、その場に転がりまわって泣きじゃくり始めた。
新宮の
宮中では即日に中宮の葬儀の議定が、左近の陣で開かれた。中宮の崩御と前後して左大臣も老妻のうちの一人を失い喪に服していたので、上卿は老右大臣であった。
中宮の遺体はその日の夜に主殿寮から大内裏の南東の神祇官の東院へ移され、そこに安置された。そこまで遺体を護送した車は中宮が日常愛用していた糸毛の車で、そのすぐあとを童形の四宮が喪服を着てわら草履を履いた姿で、徒歩にて付き従っていた。そのとぼとぼとした歩みが、より一層人びとの涙を誘った。
葬送に定められた当日は、ものすごい豪雨となった。道には水が出て通行も困難となり、鴨川も氾濫して車が橋を渡ることもできなくなった。結局その日中宮の遺体は荘厳寺に安置され、また同じ日に東宮も母の喪ということで宮中を退出して左近衛府に遷った。中宮の遺体が荼毘に付されたのは、その翌日である。
しかし、国中が中宮の崩御を悼んでいる時、左大臣だけはやはり国中に背を向け、自分の妻の法要を父の御寺で執り行ったりしていた。
中宮の四十九日の頃まで、梅雨は明けなかった。打ち続く雨は帝の御涙が乾かないことを象徴しているかのようで、四十九日の前日には東院にて中宮職主催の中陰法事が行われた。これは源氏の発願で、帝もすぐにお許しになった。これが当代の中宮職における最後の行事となり、これをもって中宮職は解散して源氏の中宮大夫の任も終わる。
そして四十九日の法事は故関白の御寺で行われ、中宮の男兄弟は異母や僧籍に入っているものも含め、多武峰の前少将以外はすべてが参列した。前右大臣の威光はその亡き後も、全く劣ってはいないようであった。
中宮の代わりにこの世に生を受けた皇女は無事に育ち、
ただ、その頃に慶事もあった。麗景殿女御が、無事に男皇子を出産したのである。帝の六宮になるわけだが、帝のお心はそのことの上にはなかった。
そんな帝のご様子を拝するにつけ、源氏はそのお姿に自分を重ねてしまう。近い将来、源氏が帝と同じ立場になる可能性は十分にある。帝のお嘆きがすべて自分のものになることを思えば、とても他人事とは思われず、帝に対し奉り同情以上のものを持つ源氏であった。
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