第4話 腹の虫
「そんなに綺麗ではないですが、整頓はしてるつもりです。その辺空いてるところにお座りください。」
半ば強引に家に押し込まれた。家主はキッチンに立ち、早くも何やら作っている。「多めに買っててよかった〜」
と言いながらテキパキと慣れた手つきで作業を始めている。
部屋を見渡すと、低めの机に座椅子が一つ置いてある。隅の方におしゃれな座布団もあり、おそらく来客用と思われる。しかし家の中のものを勝手に触るのも良くないと思い、机の近くに直に座ることにした。
人の家をじろじろみるのはあまり好ましいとは思えないが、他に特段やることもないので仕方がない。外見通り、畳であったり、障子であったり、昭和時代には良くある内装だ。家主が言っていたように、綺麗に整頓されている。
さて。
一体どうしたものか。
いつも通り仕事に行き、いつも通り仕事をこなし、いつも通り帰宅し、朝を迎える・・・。そう思っていた。
まさか住んでいた家がないなんて、数時間前の自分には全く考えられない出来事だ。そしておそらく家があったであろう場所には全く別の建物が建っていた。またその建物の中に今現在自身が滞在していると言うのもなんとも言えない感覚だ。
公園で少し休憩していただけで、こんな風になるなんて。もしかして慌てすぎていつもと違う道を歩いていたのか?可能性はなきにしもあらずだ。確かに道を覚えるのは苦手で、今の職場も1週間かけて覚えた。 しかし、3年も通い続けた道を間違えるか?
うーんと考え込んでいると、少し手が空いたのか家主がこちらに向かってきた。
「あ!すみません!座布団も出さないで。こちらどうぞ。」
と隅にあった座布団を渡してくれた。
「ありがとうございます。」
座布団を受け取り尻に敷く。
「なんか静かですね。テレビつけておきますね。チャンネルは自由にどうぞ。」
とリモコンを渡された。
とりあえずニュースを見る。
最近のニュースはもっぱら感染症関係のものばかりで、気が滅入ってしまうのであまり見ていなかったが、知らない人の家でバラエティを見るのもどうかと思ったので、とりあえずニュースを見てみる。
すると
妙な違和感があった。
アナウンサー同士の距離が近いのだ。
画面が切り替わり、街の人にインタビューする映像が流れた。
これもおかしい。
街の人たち、おそらく都会と思われるが、誰一人としてマスクをつけていない。
大丈夫なのか?
他のチャンネルに変えてみる。
野球中継のニュースだったが、観客がいる。
なぜ?
妙な胸騒ぎをさせながら、ザッピングを繰り返すがどのチャンネルも今ではありえないことが次々と起こっている。
どういうこと・・・。
「おまたせしました〜」
と家主の声が頭上でした。
どうやら食事が出来上がったようだ。
木製のトレイに箸が二膳、ご飯茶碗が2つ、味噌汁のお椀が2つ、野菜炒めが入った大皿が1つ、取り皿が2枚乗せられていた。
家主がそれぞれ1つずつ目の前に置いてくれた。
「ありがとうございます。」
「どうされたんですか?」
「え?」
「いえ、チャンネルを頻繁に変えられていたので。みたい番組が見つからないんですか?」
「そう言うわけではないのですが、ちょっと気になることがありまして・・・」
「気になること、ですか?」
「ええ。でも気のせいかもしれないので・・・」
「そうですか。あ、冷えないうちにどうぞ。」
食事を勧められ、挨拶をしてから食べ始める。味噌汁を啜ると、なんとも言えない幸福感と安心感に包まれた。まさに五臓六腑に染み渡る。
ふとテレビの声が聞こえた。
「いや〜こんな時代が来るとは思ってませんでしたねぇ。スマートフォンでも驚きなのに、腕につけて会話ができるなんて、科学の進化はすごいですね。このアップルウォッチ、また店頭の前に行列ができるんじゃありませんか?」
ん?なんだって?
アップルウォッチ?販売されてしばらく立つが、新商品でも出るのだろうか。しかしこの時期に新商品なんて出すとは思えないが・・・。
すると家主が口を開く。
「ほんと凄いですよねー。わざわざスマホ出さなくても、腕につけておけばそのまま会話ができるらしいですもんね。」
「ん?新商品ではなく?」
「新商品ですよ!これから販売開始されるんですから。きっと夜から並ぶ人もいるんでしょうね〜。」
なんだかおかしい。アップルウォッチが販売開始されたのは確か、2015年・・・。
もしかして・・・。いやいやありえない。
だがしかし、他に理由があるか?
「ちょっと聞いても良いですか?」
「はい。なんでしょうか?」
「マスク、されてませんよね?大丈夫なんですか?」
質問としては最善ではないと重々承知で、しかし聞いておきたい事だった。そもそも、まったくの他人が同じ皿から野菜炒めを取るのもとても躊躇している。相手は気にしてないようなので、それだけ信頼してもらえているのか、もしくは今起こっていることに対して無頓着なのか・・・。
「マスク、ですか?そういえばマスクされてましたね。花粉症なのかなぁと思ってました。私は花粉症ではないので、この時期は桜のかをりを胸いっぱい吸い込んでますよ。良いかをりですよねぇ。花粉症の方ってこの時期辛いそうですよね?」
「いえ、花粉症ではないんですが、最近流行してますよね?新型の・・・」
「アップルウォッチですか?マスクとなにか関係があるんですか?」
「同じウエアラブル用品ですが!それではなく菌的なものが流行ってませんか?」
気が動転している。少し落ち着こう。
「ん〜。インフルエンザは結構早い段階から流行ってましたね。そっからは緩やかに減っていく感じで、人数は感覚ですが昨年よりは多かったんじゃないですか?それがどうかしましたか?」
「そうですか。」
今年のインフルエンザは確かかなり少なかったはず。というか、そもそもニュースになったのをほとんど見ていない。
ということは・・・。
「それでは、今日何年の何月何日ですか?」
自身が持っているスマートフォンで確認すればすぐわかることでもあるのだが、確認するのがなんとなく怖かった。
「急にどうしたんですか?地球が回った回数はわかりませんよ?」
(勿体ぶらないで早く教えて欲しい・・・。)
「回数は大丈夫です。」
「今日は2015年4月4日ですよ。」
おお。
「そうでしたね。ありがとうございます。」
これで違和感がすっとなくなった。
留めに自分のスマホを見てみた
画面には4月4日そして小さく2015と書いてあった。やはりそうなのか。
ああ。なるほど。だから家がなかったのか。あの建物は3年前に建てられたものだ。
そしてマスクをしている人が少なくて、人との距離も近くて、平然と人を家に上げられて・・・。
何故かはわからないが、5年前にタイムスリップしたようだ。
5年くらいだと街並みはそんなに変化はなかったようだ。逆に大きく違っていればここまでたどり着くことも難しかっただろう。
そんなことを思っていると、腹の虫が落ち着いたきた。
「ご馳走様。」
食器を積み、流しへ持っていく。
「そのまま置いていてください。」
と家主は言ったが、食事をご馳走になっている手前、何も手伝わないというのも気がひける。
家主の食器も受け取り、これはやらせてくださいと食器を洗い始める。
その間に家主は風呂を入れに行ったようだ。
さてこのあとどうするか。
家主に本当のことを言ってもいいのだが、いったい信じるだろうか。普通は信じないだろう。自分自身も馬鹿げていると思っている。タイムマシンに乗ってきたわけでもない。なんせ時空を飛んだ記憶がない。
ましてや他に頼れる人もいない。遠方より仕事の関係でこの地に引っ越してきたのは3年前。知り合いがいればそちらに頼れるのだが、そっちには親族もいないから大変ねと親に言われたことを思い出す。
外といえば、春とはいえどまだまだ寒い日が続いていた。雨が降っていないのは幸いだ。
食器を洗い終わり、布巾で食器を拭いていると、家主から声をかけられた。
「もし良ければお風呂入って行きませんか?」
「え?」
「あ、嫌なら良いのですが、その、家がないとおっしゃっていましたし、なんなら一晩泊まってゆっくりされても大丈夫ですよ。今から動かれるのも危ないでしょうし。近くに宿などもありませんから。」
思ってもみない提案だった。
いやでもそれではお願いしますというのも期待していたように聞こえるかもしれないので、反射的に断った。
「でも、大丈夫なんですか?」
「なにが、ですか?」
「あ、いえ、ちょっと気になりまして・・・。こちらに来られてから、スマホお持ちなのにどなたかに連絡する様子もなかったので、お知り合いが近くにいらっしゃらないのかなと思いまして・・・。」
「気になる?」
「はい。通常、思った場所に家がないなんていう状況、あり得ませんよね?例えばそんなあり得ない状況が自分に降りかかったとしたら、どうするかなと考えたんです。まず、知人や友人、家族などに連絡すると思ったんです。だって不安で仕方がないじゃないですか。初めてアパートの前でお会いしたときも、そんなそぶりがなかったので、気が動転されてるのかなと思っていたのですが、一向にしようとされない。だから思ったんです。連絡するには遠い場所にいるのか、少なくとも近くには頼れる人がいないんじゃないかと。」
こちらが悩んでいる間に、家主はそんなことを考えていたのか。
「はい、まぁ、そうなんです。」
物理的な距離だけではないが肯定する。
「でしたら是非。部屋も1つ物置のようにしている部屋があるので、お風呂に入られてる間に片付けておきますね。なんなら具体的な解決策が出るまでこちらにいていただいても構いませんよ。」
なんたる提案。申し訳ないと思いながらも、ここはどうしようもない。お願いすることにした。家主はハンモックとベッドがあると伝え、ベッドがある方を勧めてくれたが、さすがにそこまでは申し訳ないと思い、ハンモックを借りることにした。
風呂に入りながら、今日1日のことを振り返った。
災難な日だった。ちょっと公園で休んだだけで、まさか家がないなんて。ましてや5年も前にタイムスリップするだなんて漫画やアニメの世界だけだと思っていた。まさか自分がこんなことになるなんてつゆも思っていなかった。地味でいて、平凡な人生を送ってきていたのにここにきてこんなイベントが待ち受けているなんて・・・。と同時に自身の冷静さに驚く。普通こんなことがあれば慌てふためいたり、不安になったりするものだと思っていたのだが、いざ当事者になってみると意外と落ち着いている。
しかし、ここの家主に出逢っていなければ、今ごろ星空の下で野宿だったかもしれない。
そして温かいご飯を誰かと一緒に食べたのはどれくらいぶりだろうか。仕事上、昼も一人で済ませることが多い。
こうやって風呂に入ることもできなかっただろう。
「こちらにズボンとシャツとタオル置いておくので使ってください。」
と家主の声が聞こえた。
「わざわざありがとうございます。」
もしかすると実は運がいいのかもしれない。
風呂に入ったあと、家主は部屋を案内してくれ、明日は休みだから何か必要なものがあれば買いに行こうという話になった。確かに今日着ていた服で数日間過ごすとなるときつい。
建物がほとんど変わっていないので、おそらく一人でも買い物にはいけるだろうが、ここはお言葉に甘えよう。ハンモックの使い方を軽く習い、礼を伝える。
家主が部屋を出たあと、近くに荷物を置き、ハンモックに潜り込む。少しコツがいるが慣れればなんてことはない。
しかしここの家主は本当に親切だな。
ふっと気が抜けると、急にまぶたが重くなってきた。いろいろあったからなぁ・・・。
微睡に落ちていった。
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