第八話 シリルの心
だがここ、この冷え切った病室で、シリルは自分にできるだけの事はしようと思う。ミラでも同じ事は言うかも知れないが自分の口からも是非言っておきたかったのだ。
「お母さんに会ってあげて下さい」
ハルはミラを死なせてしまった事に強い悔悟の念を感じ、苦しんでいる。シリルも伊緒も、そしてミラの感情プログラムでさえも今さらこのことを弦造に詫びる必要はないと思っているのだが、ハルがそう思っている以上はその意に沿いたい。
「断る」
今度は弦造が冷たい表情と断固たる声で返す番だった。
「ハルがミラの亡霊に依存したのは絶対に許せなかった。あいつのひどい不注意でミラが死んだというのに、アンドロイドにすがって、現実逃避をするばかりだった」
「お母さんを責めないで下さい。今責めてもミラさんは帰って来ないのですから」
弦造は一瞬力なく微笑んだ。
「それはミラの感情プログラムが言わせているのか。本物のミラの亡霊でも同じことを言ったろうな。そういう娘だったよ。お前もミラも確かによくできた機械だ」
「機械」という言葉そのものではなく、その言葉の奥に滲ませた侮蔑の色に眉根を寄せるシリル。それでも根気よく弦造を説得しようと思う。
「お母さんを許してあげて。今お母さんを許してあげないとお母さんは一生重荷を負ったままなのですから」
「それがあいつには相応しいわ」
「……」
「やはりお前など、うちに入れるべきではなかった」
「軍用として想定される仕様を盛り込んだ被験体の試験中、その感情プログラムに
酷くせき込む弦造。医師が機械を操作するとすぐに落ち着く。
「当時の貧乏部署では自前の試験所は持てない。メーカーも我々のしようとすることに深入りはしたがっておらず、協力は極めて限定的だった。それ故秘匿性の高い民間の試験所を必要に応じて借り、本体の定置場を各職員の自宅とすることになっていた。
本来なら『素体A』と『素体B』を引き継ぐ評価用機体として三体目の男性型アンドロイドがうちに送り込まれてくるはずだった。その直前にあんなことがあったからな。あいつはうつ状態で精神的に完全におかしくなりつつあった。正直あいつがどうなっても構わないどころか、さっさといかれてしまえばむしろ清々すると思っていたし、そうなるべきだとさえ思っていた。だが後々が面倒そうなので、やむを得ず急遽あいつの治療を兼ねてミラのコピー体アンドロイドとして置く事にしたのだ。当時はまだ一家庭に二台のアンドロイド置く事は不自然だった。それにお前を学校に行かせるなどのメリットもあった。そこでの行動や反応をモニターすることはメーカーにとっても我々にとっても興味深い試験になりそうだった」
「だからお前は『素体C』として
「お前がうちに来て一年ほどか、高校に入ってから大きな変化が見られた。その頃、シリルはあの島谷医師と出会ったのだな?」
シリルは沈黙で答えた。
「それ以来脳機能の感情系に限定されるエラーや想定外の反応が徐々に増えていった。我々はこれを
「そして廃棄したらあのざまだ。幹線道路で大爆発を起こしたのがお前を積んだ回収車だったと知った時は目を剥いたぞ。そしてそれから十年以上も経って突然に島谷医師から正式な譲渡の依頼を受けたことにもな。いやはや、お前はいつも周囲を騒がせてばかりだった」
天上を向いた弦造の青灰色の瞳は何かを懐かしんでいるのか、一点をじっと見つめている。
「シリル」
「はい」
「今の人生は楽しいか。充実しているか。その『心』とやらでそう感じているのか」
「はい、とても。心があるからこそ今の私は本当に幸せです」
シリルは自分の幸せを見せつけてやるかのような笑顔で応えた。
「そうか。そいつは良かったな」
投げやりで冷笑的な声だった。
「……」
「もし本当に自分に心があると言うなら、お前は―― いや、やめておこう」
意地悪な微笑みを浮かべる弦造。弦造は目を閉じ落ちてゆくように浅い眠りについた。
長い沈黙が過ぎる。
弦造がミラに会いたいと求めていないことがシリルには疑問だった。そしてシリルは疲れていた。死を目前にした人間を目の当たりにするのも初めてだったし、これほど長く弦造と会話をしたのも初めてだった。ミラには申し訳ないと思いながらもシリルはミラにその意識を明け渡す。
すうっと闇に吸い寄せられような錯覚にとらわれるシリル。しかし五感はミラと共有したままシリルの意識は脳機能の片隅に落ちていった。
◆次回
第九話 天に召す
2020年10月18日 21:30 公開予定
※2020年10月25日 加筆修正をしました。
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