第六話 心とは身体とは

シリルは予てより気になっていたことについて尋ねてみた。


「『お父さん』は私がWraithレイスに汚染されていた事をご存じだったのですか?」


「ほぼ間違いないと思っていた。そのせいで所有者である俺をないがしろにするお前に苛立った。だがそれを観察するのも俺の仕事だった。お前を廃棄しようとしたのは、単にもう観察の必要がなくなったからだ。一通りのデータはとれたのでな。

それだけではない。そんなお前とミラの感情プログラムに依存して治療が進まないあいつにも腹が立った。それにまだ鼻持ちならない小娘に過ぎなかった島谷医師にベタベタ擦り寄り甘えるお前には怒りがこみ上げた」


弦造は鼻に皺を寄せ、憎々し気な表情になる。


「だから全部ご破算にするつもりだった。お前を前触れなく廃棄することで」


すると今度はどこか嗜虐的な酷薄な微笑を浮かべる。いつもの弦造に戻ったかのようだ。


「ハルも島谷もお前が壊されることで泣いて悲しんで苦しむのなら実にいい気味だと思った。お前もあいつも、恐らく島谷も、俺をうとましく思っていたのだろう? その仕返しだ。どいつもこいつも俺をどう思っていたのか知らんが、全てのカギを握っているのはこの俺なんだと見せつけてやるつもりだった。そしてお前ら一同がそれに気づいた時には何もかもが遅かった、といった筋書きだ。全くの疫病神だったのだよお前は。どうだ、なかなか面白い筋立てだったとは思わないか?」


 全く面白くはなかった。酷薄なだけでなくすっかり歪な性格に捻じ曲がってしまったこの男がシリルには少し哀れにさえ思えてきた。


「シリル、もう一つ教えてやろう。最後の授業だ」


「……」


「どうだ? お前には心はあるのか?」


「…………そう信じています」


「そうか。どこに?」


「……脳機能ユニットに」


「ふむ……」


「感情プログラムや人格モジュールは頭部の脳機能ユニット内にあるからな」


「はい」


「人間は古来、人間の心は心臓にあると信じてきた。いや、実際多くの人間がそう。何故だと思う。『胸に手を当てて』考えてみろ」


 弦造の言わんとするところが解らないながらも、シリルは胸に右手を当ててみる。


「……」


「感じるか? 胸に手を当てて、自分の胸部に心があると知覚できるか?」


「いえ、できません」


「うむ。そうだろうな。それが人間とお前との絶対的な違いだ」


「何が言いたいのですか」


「人間は感情が動き心が動かされると心拍数が変化する。だから人間は体感的に心臓と感情を密接に捉えていたのだ。同一視するほどに。

 人間の心はこのように身体の活動や反応と密接にかかわりがある。

 言い換えれば人間の心は身体全体に宿っているとも言えるのだ。確かにアンドロイドは泣き笑いはする。また恥ずかしい思いをすれば皮膚が赤くなり体温が上がる。そうなる機能がアンドロイドには実装されているからだ。

だが人間は緊張すれば声が上ずり腹を下す、恐怖を感じれば鳥肌が立つし体が震えひどい場合は足腰が立たなくなる。心の動きと身体は密接につながっているのだ。人間の心と身体反応のバリエーションは、現在のアンドロイド技術を遥かに超えている。アンドロイドのそれはあまりにも不完全だ。ほとんどないに等しい。身体しんたいはアンドロイドにとって簡単にすげ替えが可能なただのパーツに過ぎない」


 シリルは初めて伊緒の面前で恥ずかしい思いをした事を思い出した。あの時のシリルは人工皮膚を限界まで真っ赤にし、体表面の温度も上昇していた。今にして思えばそれはすべて当時のシリルの機体、AF-705の機能として実装されているものだった。これだけを捉えるなら脳機能の感情プログラムと躯体の反応はその仕様通りにつながっていると言っていい。

 だが、シリルの廃棄直前に伊緒と隧道トンネルで激しく衝突した時は。あの時のシリルは「思わず」崩れ落ちたが、それはAF-705の機能にはない何らかのアクシデントが運動機能に発生したからだ。これはシリルの心と運動機能が仕様に反して連動していたからではないのか。そしてそれは自分にも“心”が生まれつつある証左ではないのか。シリルはふとそう思った。


 だが、敢えてそれを弦造に伝えるつもりはさらさらない。この男には余計な話をしない方が得策だとシリルは疑っていた。



◆次回

 第七話 “父”の頼み

 2020年10月16日 21:30 公開予定


※2020年10月16日 加筆修正をしました。

※2021年2月9日 加筆修正をしました。

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