第32話 伊緒の交際宣言
誰にも気づかれないようひとつ息を吸い込んで由花が
「ね、あんた達付き合ってるってホント? すごい噂なんだけど」
「えっ 噂になっちゃってるの? そ、それはヤバいな……」
今度は本当に少し困った顔になる伊緒。二人はおどけたふりをして本心を隠す。
「ほらほら素直に吐けよー」
「うわやめろ彩希やめろー、由花もやめろー」
「ほらほら素直に吐きなさーい」
「二人してやめろってー。あひゃひゃ、つ、つっ、付き合ってるって言うか…… ああ、うん、何て言うのかな、まあ、付き合ってる、でいいんじゃないかな…… うん」
「やっぱりそうだったの……」
「マジかそれ……」
「それってさ、矢木澤からも伊緒の事が好き、みたいな? そういう事言ったの? 矢木澤シリルが、伊緒に、好きって……」
「え、ああ、うん、ま、まあ…… そう…だね。あ、あの、これ絶対誰にも言わないでね。内緒にしといて欲しいんだ、お願い。こう言うの知られるとまずいらしいから」
顔を真っ赤にしてもじもじする伊緒とは対象的に、暗澹たる表情で顔を見合わせる由花と彩希。これで二人の失恋もほぼ確定したわけだ。予想はしていたがやはり死刑宣告を受けたに等しいショックだ。それにアンドロイドに恋する伊緒も伊緒だが、アンドロイドが人間を好きになるだなんてあるはずがない。以前に由花が言っていたようなバグがシリルに発生しているのだろうか。
「あ、そう言えば見たところ二人とも前より仲が良くなったみたいで良かった」
由花と彩希の大好きだった笑顔で嬉しそうに二人に話しかける。今の二人にとっては胸が苦しくなる笑顔。まるで盛夏期のひまわりが咲いたようだ。
「えっ?」
「どゆこと?」
「うん、時々さ、何て言えばいいのかな、やけに張り合っているみたいで対抗意識が強いっていうか、そんな感じがする時があったんだよね、二人とも。今は普通に仲が良くない?」
「え、そ、そうだった、かな?」
「そんな事無かったわよ……絶対。伊緒気にしすぎ」
「それに、まああたし達もう張り合う理由もなくなっちゃったみたいだしさ」
両手を頭の後ろに組んでとぼけた声の彩希。
「え、何か理由があったの?」
「あ…」
「もうほんとしょうがないわね。でもそうね。確かに今は私と彩希は張り合ったりなんかしてないの。 誰 か さ ん の お か げ で 」
「えっ! 誰かさんて誰? それってまさかあたし? あたしのせいなの? 何で? どんな理由?」
「どんなもこんなもないんだよこらー」
「ちゃんと責任取りなさいよこらー」
「あひゃひゃ! やめて! やめてってば! やめろー! くすぐるなー!」
久しぶりの会話にすっかり盛り上がる伊緒だったが、彩希や由花にとっては泣きたくなるほど悲しくつらい会話だった。それでも二人は堪えて笑い合えて会話が出来た。気が付くと三十分以上も二人とじゃれながら話し込んでいた。
「あっいけない、もう戻らないと。シリル置いて来ちゃってるから」
「へえ、やっぱり下の名前で呼ぶんだ」
「あー、はいはい、お熱いですね、じゃあまたね」
「あ、そうだ、シリルもここに連れてきていい?」
「え、ええと…」
「 絶 対 い や 」
彩希が口ごもっている間に由花が鋭い眼を光らせて一言のもとに切って捨てる。
「そっか… ごめんね。しかし二人ともシリルへの当たりが強いなあ…やっぱり嫌い?」
「伊緒、あんた本当に判んないの?」
「ん? 何が?」
鋭い
「ああ、うんうん、何でもない何でもない、気にしないで。じゃあまた。お昼する機会でもあったらよろしくね」
「あ、いいね。でも最近はずっとシリルと一緒だからなあ」
伊緒の悪意のない一言を受け更にすうっと目を細める由花。言葉の温度が突然氷点下百度を超える。
「あ、そ。ならいいわよ。どうぞ末永くお幸せに」
「ええ、なんか、何かごめん。何か由花凄い怖いんだけど…」
訳も分からず困惑する伊緒。一方の由花はあたかもトリトンにある火山が液体窒素(※)を噴き出して噴火する正にその瞬間にまで来ている。二人の目が一瞬交錯する。
見かねた彩希が小柄な由花の右肩を抱いて軽くゆさゆさ揺する。彩希が伊緒以外にこんな事をするのを伊緒は見た事がなかった。
「いやあ、こいつさ、さっき食べたタコ焼きにタコ入ってなくて機嫌悪いんだよ。いいじゃんねえ、タコくらいさあ」
「このっ… タコはあんたっ!」
由花が彩希にきつい声で言い返すと背中に強烈な平手打ちをお見舞いする。パチーン、といい音が響く。完全な八つ当たりだ。
「いってぇっ」
「あはっ、やっぱり仲良くなったよね。じゃあまたね! 今日はお話できてよかったよ!」
「じゃぁねー」
「またね」
伊緒を見送る二人の顔は、陽気な夏の光とは真逆の暗さに覆われていた。
▼用語
※液体窒素:
窒素族元素の窒素(分子式N2)が液化したもの。窒素は常温常圧下では無味無臭の気体だが、-195.8℃(77K)以下で液化し始める。これに触れた生体組織は重度の凍傷になるので注意が必要。窒素は安定した分子なので重宝され、液体窒素は様々な用途の冷却材として利用されている。
地球由来の生物にとって窒素は必須の元素である。
【次回】
第32話 まがい物
5/17 22:00 公開予定
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