第25話 追及

 球技大会二日目も終わった夕方の校門。

 心地よい疲れに包まれた生徒たちがそれでもまだにぎやかに思い思いの私服で下校している。祝賀会に向かおうとする希美代の自家用高級自動運転車は既に校門わきに停車している。希美代がそれに乗り込もうとすると、背後から声をかける者がいた。


荻嶋おぎしまさん」


「あら島谷さん」


 伊緒いおはなんだか妙に馴れ馴れしい口調を投げかける希美代に少し苛立ちを覚えたが、感情を表には出さないよう努めた。


「話があるんだけど」

「そう、じゃあ乗ってく? あなたの祝賀会場にも送らせるから」

「いや、いい」

「いいのよ、こっちはあまり時間もないし。遠慮しないで」


 無表情の伊緒に不審を抱きながらも再度車を勧めると、少し浮かない様子で希美代の隣に座る。


「ねえ、きっとMVPは矢木澤さんね。すごいじゃない。あ、ハンドボールではあなただったっけ?」


 発車するなり機嫌よく伊緒に話しかける希美代。しかし伊緒はそれとは関係のないことを唐突に口にする。


「ずっとGH組のコーチングしてたんだって?」

「え、ええ。どれだけ役に立ったかはわからないけどね」

「そか。それで、シリルの出た試合だけはシリル専従で色々アドバイスしてくれたんでしょ。二階観戦席で。マルチグラスで通信までして。ありがとう」

「べっ別に大した事なんかしてないって。やだなあそんな風に言われちゃうと」


 希美代は一瞬ぎくりとした表情を浮かべたが、すぐに気持ちも話題も切り替える。


「そう言えば話って何よ」

「うん……」

「どうしちゃったの? 矢木澤さんの事?」

「……うん、まあ」


 伊緒は座席に座ってからずっと、少し硬い表情で正面を向いたままだ。そんな伊緒に希美代は少し得意げに話す。


「どんな事? 何でも聞いて? 自分で言うのもなんだけど、私、かなり詳しい方だと思うし」


「うん。いや、その…… マルチグラスの事」


「え――」


 思いもしなかった話題にはっとする希美代。


「あれってトライトンの超高級品だよね」


 希美代の表情が曇り少し俯き加減となり正面に向き直る。


「そうね。TK8030。先月出た最新機種。それがどうかした?」


 希美代は俯いたまま何気ない風を装って答えた。しかし、TK8030と言えば超多機能型で400万円は下らない機種だ。伊緒の抑揚のない言葉が続く。


「それで何を撮って何を解析させてたの」


「――どういうことよそれ」


 伊緒の表情は変わらないままだが、希美代はたちまち伊緒以上に表情を固くする。


「言葉通り。だって学校にこっそり持ち込むのにあんなすごいの要らないよね」


 伊緒の言う通り校則違反を見とがめられて没収された日には目も当てられない。学校側としても扱いに困るので、ただ没収するだけでは済まないだろう。ちょっとした騒動になるのは目に見えている。


「別に何もしてないわよ。人聞きの悪い。たまたまあれしか持ってなかっただけ」


「――動機としては、Kreuzsternクルツシュテン社の幹部技師の娘としてシリルの――AF-705のデータ採り」


「だから! してないってそんな事!」


「うん、だといいなと思ってるんだ」


 希美代は語気を強めたが伊緒はそれを意に介さず少し緊張した顔と声のままだ。


「……だ、大体どこにそんな証拠があるって言うの」


 希美代の声は少し上ずっていた。


「確かに証拠なんてないよ。でも、やってない証拠もないでしょ。それに、証拠があるのかーっ、っていう人ほど大抵推理が当たっている人なんだよね。あ、これって今見てる刑事ドラマの話なんだけどさ。あはは」


 最後は伊緒の厳しい表情が少し砕け、自嘲的ともとれる笑い声を発する。


「っ」


 希美代は唇を噛むしかなかった。

 伊緒の変な笑い声もすぐに引っ込む。希美代には目を向けず正面を向いたまま、困った風にも見えるあいまいな笑みを浮かべる。そのまま少し憂鬱そうにぼそぼそと言葉を続ける。


「体育館、あんなに暑かったのに、ジャージを脱ぐどころかポケットから手も離せなかったのはなんで?」


「さっ、寒かったからよっ」


「あんなに汗かいてたのに?」


「汗なんてかいてなかったって」


「一緒にお昼した時、外はは風もあったし、体育館より寒かったよ。でも荻嶋さん、その時ジャージ着てなかったよね」


「う……」


 表情に乏しい顔で伊緒は畳みかける。


「汗をかくほど暑いのに、体育館でジャージを脱げなかったのは、その右ポケットにあったものをあたしに見られたくなかったから?」


「言ってる意味が分かんないんだけど」


「体育館であたしが隣に来たら、ジャージの右ポケットにあった何かを左手に持ち替えようとして落としたよね。それがあたしに見られたくないものだったんじゃない? それをあたしの目からほんの少しでも遠ざけようと、体操着のパンツの左ポケットに隠したかった」


「みっ、見られたくないって何よ」


「マルチグラスのリモコン」


 希美代に緊張が走る。表情を変えないよう努力したつもりだが、首筋が一瞬ビクッとなるのは止めようがなかった。

 伊緒も表情は変えない。怒っている訳でも落胆している訳でもなく、なぜか今は悲し気な苦笑いを浮かべているだけだ。そして頭を掻きながらなぜか少し困ったように言う。


「ごめん、ちらっと見えちゃったんだ」


 きっと伊緒とぶつかって取り落とした時だ。希美代は小さく舌打ちをしてしまっていた。


「そのまま右ポケットに入れたままだったらあたしも気付かなかったのにね」


「……」


「なぜリモコンを見られたくなかったのか。

何よりそのリモコンで何をしてたか、荻嶋さん自身が理解していたから、だよね。

そしてマルチグラスそのものに触れない場合、リモコンでも使わない限り操作はできない。特にデータ取りのような複雑な操作はね。そして実際に荻嶋さんは全くマルチグラスには触れていなかった。もし荻嶋さんがマルチグラスで何かをしていた場合、それにリモコンの存在は不可欠になる。

だから、もしリモコンをあたしに見られたら、荻嶋さんが何をしていたか、あたしが勘繰るかも知れない、と荻嶋さんは疑った。つまりこっそり隠れてリモコンを使ってマルチグラスを操作し、シリルのデータ取りをしていたってことをね。

でも、逆にもし荻嶋さんが何もしていなかったのなら、そんな風にあたしを警戒することなんてなかったはずでしょ。

そして結局はリモコンを移し替える時に落っことしちゃって、慌てて隠すように左ポケットに隠したけどあたしに見られてしまった。

あれがリモコンかいまいち確証はなかったんだけど、さっきの『ちっ』って反応で間違いないなって分った」


 伊緒の言葉になぜかぞっとする希美代。


「だいたい、そのリモコンでマルチグラスの操作をしていなかったのなら、リモコンを入れたままでジャージを脱いで丸めてしまえばよかったんだもんね。だけど、荻嶋さんはそうしなかった。つまり、そのリモコンでずっとマルチグラスを操作していた。間違ってないと思うんだけどな」


 伊緒の観察眼と記憶力に舌を巻きながらも希美代は下唇を強く噛んでいた。一見お人よしでおめでたい性格かと思いきや、ここまで痛い所を突いてくるとは思いもよらなかった。伊緒はちょっと小さなため息を吐いて更に続ける。


「荻嶋さんの取引ってなんだかバランスが悪いような気がしてたんだよね。かたやあたし達には致命的なシリルの心についての問題と、かたやバレーボールの試合に出場する事と」


 沈んだ顔で曖昧な笑みを浮かべていた伊緒の表情が急に硬くなり鋭さを見せる。


「荻嶋さんにとっての本当の目的はバレーボールをプレーするシリルのデータ取りだったんじゃないのかなって」


 伊緒の目つきに僅かな怒りの色が乗せられたことに希美代は気づかない。


「バレーボールの試合にシリルを出すのは目的じゃあなかった、手段だったんだ、データ取りのための。でもそれって結局シリルには心があるって他の誰かに知られるのと同じだよね。つまり、荻嶋さんは最初からシリルの秘密を守るつもりなんてなかったんだ。違う?」


 希美代はここでいくつかの事柄について異を唱えたい衝動に駆られた。データ取りについてはほんの出来心であったことがその一つだ。

 が、そうすると希美代の本当の目的についても言及せざるを得なくなるだろう。この希美代の本当の目的については、希美代自身の秘密を暴露するに等しい。

 それは伊緒とシリルにとって決して知られてはいけない秘密と同じように、希美代にとっても最重要の機密事項だった。ここは沈黙を通すしかない。希美代はぎりっと唇を噛んだ。


「結局あたしたちが一方的にいい様にされるだけの取引だったみたいだね、いや、取引に見せかけた脅しか。はは……」


 鋭さも怒りも消えた伊緒の言葉はどこか寂しそうだった。


「わ、私はもとからあなたたちのことを言いふらすつもりなんてなかった。信じてもらえないと思うけど」


 せめて少しは自分の事を分かってもらいたいと、希美代は小さな声で弁明する。

 伊緒の表情が少しきつくなる。


「でも脅したよね」


「……」


 伊緒はふう、と少し大きなため息を吐く。


「希美代さん、私たちは同志だって言ってくれてたけど、これだってどこまで本当かわからなくなっちゃったね」


 これにも希美代は異を唱えたかった。希美代自身は二人を好ましく思っていたし、やはり彼女にとって伊緒は間違いなく同志であることに変わりない。だがこれほどの裏切りを働いておいてどの口でそのような事が言えるだろう。希美代は唇を固く結んだまま、さらに深く俯くしかなった。


「それに、同志の話はシリルには内緒だとも言ってたよね。シリルは警戒心が強いって言うのもあるけれど、裏を返せば、シリルに内緒であたし一人とだけでも仲良くなれば、裏で色々聞けるって踏んだからじゃない? あたしってほらお人よしでポンコツって思われてるからさ。抱き込んだり懐柔するのも簡単だって思ったんじゃない?」


「そんなことない! 抱き込むだなんて! 本当の気持ちだから! 私そこまで思ってない!」


 これには思わず声をあげてしまった。まるで自分の嫌いなところまで見透かされたような気がして恥ずかしくなる。


「じゃあ、以前までは認めるんだ」


 やはり少し硬い笑みを浮かべて伊緒は呟いた。


「うっ……」


「同志なんだから隠しごとは無しだよね。もっとも本当に同志だと思ってくれているのならの話、だけど」


 呻くしかない希美代に対しやはり少し寂し気な伊緒だった。



【次回】

 第26話 球技大会-9 お人よし

 5/10 22:00 公開予定

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