第19話 磯の香りがする青年

 目が覚めたら、寝室のベッドの上だった。

 私ったら、もしかしたらあのまま寝てしまった?

 エド様に抱きしめられて……キ……キスまで、されて。

 また、顔が熱くなった気がする。


 コンコンとノック音がして、ケイシーが朝の紅茶と軽食を運んでくる。

「おはようございます。マリーお嬢様」

「おはよう。ケイシー、あの、昨日わたくし……」

「ああ。旦那様に寄り掛かって寝てしまわれたのですね。大丈夫ですよ。ベッドに運んだのは旦那様ですけど、寝間着には私たちが着替えさせましたから」

 そ……そうよね。ケイシーは知らないわよね。

 私は、紅茶を飲みながら一生懸命落ち着こうとしていた。



 しばらくは、私は畑の見学を中心に行っていた。

 エド様が、農家の人が着ているような、汚れても大丈夫な水をはじく服と靴を私とケイシーに用意してくれていた。

 夕方、エド様が仕事から帰ってくると、二人で過ごすことが多くなったわ。

 この前のような……抱きしめられたりとか、キス……とか、そういう雰囲気になったりはしないけど。


 それでも、エド様と過ごす時間はとても気分が落ち着くの。

 最初はね。私に気を遣って色々話してくれていたのだけど、二人で何もしゃべらずボ~ッと過ごす時間も良いものだって、エド様が教えてくれた気がするの。






 お昼間、畑の見学が終ったら、やっぱり私はいつもの木の上でボーッとしていた。今日は、お屋敷の人に内緒でなんて事はなく、ケイシーと一緒に来ている。

 ケイシーは、雑貨屋にお茶菓子を買いに行ってくれていた。

「やっぱり、木の上は良いわねぇ。ケイシーも登ってみれば良いのに……」

 本当に、この領地全体が見渡せる気がする。……まぁ、気がするだけなのだけど。


 あら? あれは……。

 ボ~っとケイシーを待っていたら、街道をなんだかヨタヨタ歩いているボロ雑巾が……。あれって、人間……よね。

 歩いているって言うよりは、走ろうとして走れていないって感じが強い。

「もしかしたら、怪我をしてる?」

 私は途中まで、木を滑り降り、地面までもう少しと言うところで、飛び降り走った。

 若い青年だ。服もボロボロで、赤くにじんでいるのは、血? 足も上手く動いて無いようだった。


「あのっ。大丈夫ですか?」

 走りながら、私は叫んだ。若い青年は、私を認識するとビクッとなって、反対側に逃げようとする。

 だけど、青年とはいえ、怪我だらけでまともに走れもしないような状態だ。

 すぐに追いついて、その腕を掴んだ。


 汗のにおいと、鉄のにおい、雑多なにおいの中、磯の香りがした。

「逃げないで下さいまし。わたくしは敵じゃありませんわ」

 青年から振り払われそうな手を必死に掴んで、そう叫んだ。

 青年は信じられないような顔で、私を見ているけど放っとけない。

「怪我をしているのでしょう? 逃げないでくださいまし」

 そんな私を見て、何と思ったのだろう。青年は力を抜いてへたれて、座り込んでしまった。


「マリーお嬢様」

 戻って来たケイシーが、何事かと私に声をかける。青年はビクッとなったけど、相手が若い女性だと気付いて警戒を解いたようだった。

 結局、ケイシーと二人がかりで草原の木の側まで連れて行き、ケイシーが買ってきたビスケットと紅茶を青年に与えた。

「……うまいな、これ」

 すごくお腹がすいてたのか、むさぼり食っている。

「そうでしょう? うちの村の雑貨屋の野菜ビスケットは天下一品なのよ」

 私は、褒められたのが嬉しくて、青年にそう言った。

 多分、この青年は港の方から来たのだと思う。だったら、旦那様の領地の人間だわ。


 その青年はビスケットをあるだけ食べて、紅茶も携帯ポットに入っている分、全て飲み干してしまってから、力尽きたように眠ってしまった。

「ケイシー。農村の方から男手を借りてきて、屋敷に運びましょう」

「とんでもないですわ、マリーお嬢様。私は反対です。

 こんなどこの者とも知れぬ殿方を、屋敷に引き入れるなんて」

「だって、怪我をしているのよ。それに磯の香りがするわ。港から来たのよ。うちの領地の人間だわ」

 ケイシーも私も、ここ最近の町や村の探索で、領地の人間はほとんど覚えてしまっていた。

 だから、ケイシーも見覚えの無いこの青年を警戒するのだ。

 それは分かるけど、とても悪い人には見えない。


「わかりました。村人を呼んできます。絶対、そこから動かないで下さいよ」

 ケイシーは、私に念を押して走って行ってしまった。

 


 風が優しい。草がサワサワ言っている。あいかわらず、のどかな風景だわ。

 そう思いながら青年が寝入っている横で、私はボ~っとしていた。

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