『ビームとタックルの違い』

僕はその気になれば人類最強の悪党になれる。これは誰にも言えない秘密だ。


気づいたのは小学1年の頃。僕は父さんと共に自転車の練習をしていた。当時は自転車を練習する際に、後ろのタイヤの両側に補助輪というものを付けて4輪にすることで安定した状態で練習をするというのが主流だった。そしてそこから片方取って3輪、もうひとつ取って2輪と、段階を踏んで1人前の自転車乗りに成長していくのである。


その時の僕はちょうど4輪を卒業したばかりで3輪で練習を繰り返していた。そんな僕に父さんがサイクリングに行こうと誘ってくれた。僕はいつも公園でしか走ってなかったので興奮したのを覚えている。


僕たちは出発した。父さんはせっかくだから堤防沿いをサイクリングしようと提案してきた。足下に川を、その川の向こう側に山を見ながら僕は鼻いっぱいに新鮮な空気を吸い込みながら先に走っていく父さんに食らいついていった。


今考えるとおかしな話だ。子供が自転車の練習中なのだから、親は子供の後ろから優しく見守りながら子供のペースに合わせて走るべきではなかろうか。父さんはずんずんと風を切って先へと走っていく。僕は不安定な3輪状態なので左に右にとゆらゆら蛇行しながら走っていく。


父さんは一切後ろを振り返ることなく走っていった。僕は同じように乗れない悔しさ、父さんの愛のない振る舞いに何かが込み上げてきていた。ほとんど泣きべそをかいた状態になった。目に溜まる涙のせいで視界が水の中のようになっていて、当時僕は川に潜って魚を獲ることにハマっていたので逆になんだか気持ちが落ち着いた。自分は川の中で自由なんだ。重力もない、まるで宙に浮かんでいるような感覚。その感覚のおかげで僕は父さんに対して優越感を感じた。


父さん、僕は空を飛べる。自由だ!


そう思った瞬間にはもう遅かった。僕は堤防から身投げする状態で自転車ごと宙を舞っていた。世界がスローモーションに見えた。驚きで涙が引っ込み、リアルな世界に引き戻された僕は必死にこの世界にしがみつこうとした。堤防から川に向かって落ちた僕は、ほとんど崖のようになっている壁面の草に思いっきりしがみついた。


「父さーん!・・・父さーん!・・・助けてー!」


僕は何度も叫んだ。しかし父さんは来てくれない。当然だ。父さんは本来の「木の上に立って見る」という漢字の作りにもある親の役目というものを捨て去ってしまっている人間なのだ。それでも僕は必死に叫び続けた。だって落ちたら死ぬのだから。


叫び続けて、もう草を握っている腕も限界だというドラマチックなタイミングで上から父さんがひょっこり顔を出した。大丈夫か?という声と同時に手を伸ばして僕を引っ張りあげてくれた。


助かったけど僕は許せなかった。これまでのことは百歩譲って許せたかもしれない。なんたって命を救われたのだから。なにも文句を言うつもりはない。感謝している。しかしだ。


許せなくなったのは父さんが僕を見て笑ったからだ。この僕が必死の形相で崖の草にしがみついている姿が父さんにとってはとてつもなく滑稽だったらしく、ツボに入ったとお腹を押さえて笑い転げたのだ。


僕はぎゅうっと拳を握った。許せない気持ちと必死に戦った。気持ちを抑えに抑えた。何かが僕の中で膨らんでいった。ゲラゲラ笑う父さんの前で目を閉じてぎゅうっ、ぎゅうっと拳を握り続けた。


僕は笑う父さんを横目に自転車を押して帰った。家に着くと、僕を追っかけるようにして父さんが入ってきた。僕は2階にあがり自分の部屋に閉じこもった。数分して、母さんの笑い声が下から聞こえてきた。2人で僕を馬鹿にしている。僕は布団を被り、目を閉じ、また拳を強く握った。ぐぅっと力を入れて、僕の中でどんどん膨らんでいく何かを必死に押さえ込んだ。悔しさとも悲しみとも怒りとも言えない、なんとも言葉に表せないとてつもなく大きく強い何かを体の中に感じた。


やがて僕は布団の中で気付いた。あ、これは出るなと。その気になったら僕は目からビーム出せちゃうなと。するとどうだろう、みるみるうちに父さんや母さんに対する許せない気持ちは消えていった。むしろ彼らが可愛く見えてきた。今回のことは許してやるかと、布団の中で思ったのだった。やれやれ、僕はとんでもない力を手に入れてしまった。


その気になれば世界の全てを焼き付くし、人類最強の悪党になれるのかぁ。僕は布団から這い出て天井を見上げた。あぁ、その気になればこの天井も屋根も空もぶち抜けるんだよなぁ。月に穴、開けちゃえるんだもんなぁ。そう思うと、どんどんと世の中の全てが可愛く見えてきた。


夕飯の時間になり、母さんが僕を呼んだ。僕が台所に入っていくと、テーブルの上に並べられた夕飯の中に僕の嫌いなかぼちゃの煮付けが置いてあった。いつもなら嫌な顔をしてしまうのだが、その気になればビーム出せちゃうんだからと思うとかぼちゃも嫌じゃなくなっていた。しかしながら僕は子供なのだから子供らしくしないとな、それが子供の仕事なのだ、やれやれ。そう思いながら母さんのためにいつも通りかぼちゃを見て一瞬嫌な顔をしてあげた。そして母さんはいつも通り、ちゃんと食べないとおやつ食べちゃいけないからと叱ってきた。はいはい、これが母さんの仕事なんだよな、わかってますよ。・・・やれやれ、最強になるってのは大変だぜと僕は思った。


あれから 20 年が経ち、僕はあの時の僕と同じ年齢の息子と今サイクリングをしている。


僕の父さんとは違い、僕はちゃんと息子の後ろに付いて、優しく見守ってあげている。ビームを出せると気付いてから僕は大人になった。ゲームで負けても泣かなくなったし、勝っても敗者を慰めることができた。課された宿題はきちんとしたし、部活はサボらなかったし、好きだと思った子にはちゃんと好きと言えた。先生のことを尊敬のまなざしで見ることができたし、歳上には敬語を使えたし、少しよいしょして相手を気持ちよくさせることもできた。一流とは言えないが、ちゃんと大学にも行けて、学費はバイトを頑張って自分で工面した。就職活動では行きたい会社にすんなり入ることができ、貯めたお金でマイホームを買い、親にも家をプレゼントする予定である。そして今、家には愛する妻がいて、目の前にはあの時と同じ歳の息子がいる。


なんて幸せなんだと思った。僕は目をつむってその幸せを噛みしめていた。なんたって、その気になればビームが出せるのだから。その時だった。


「助けて、父さーん!」


息子が叫んだ。僕はハッとして息子の方を見ると、息子の前に全身黒ずくめで赤いマントを付けた、どこからどう見ても悪党だと分かる悪党が立っていた。目は切れ目で、口は鼻の横まで裂けていてそこから大きな牙が生えており、鼻はコウモリのように醜かった。


僕はこの時を待っていた!と思った。僕は息子の名前を呼び、


「今助けてやるぞ!・・・おい、この悪党、これでもくらえ!」 


とビームを出そうとした。しかしその気になっても僕からビームは一切出なかった。その時、僕の頭の中に 20 年分の思い込み人生が走馬灯のように駆け巡った。涙が込み上げ、膝から崩れ落ちそうになった。そして世界がスローモーションになった。息子の目の前で例の悪党がゆっくりと腕を振り上げてその大きな爪で息子を引っ掻こうとしていた。


「父さーん!・・・助けてー!」


気付いた時には悪党にタックルした後だった。頭の中は真っ白だった。ただただ無我夢中にタックルしていた。久々のダッシュにハアハアと息を切らしながら、悪党にタックルか・・・ダサっ!と思いながら崖の下に落ちていく悪党を見つめていた。


帰り道、父さんはヒーローだねと、息子は目をキラキラさせて言ってきた。ずっと自分は世界最強の悪党だと思って生きてきた。それを原動力に今までやってきたのに。ビームが出なくてとてつもなく切なかったけど、その時の僕は、まぁ出なくて良かったのかなぁとも思った。そのおかげでヒーローになれたのだから。案外ヒーローってのはダサいのかもしれない。かっこいいだけのヒーローは理想のものなのかもしれない。そんな風に思ったのだった。


ふと、あの時僕に笑いながら手を差し伸べてきた父の姿が浮かんだ。たしかに、必死に草にしがみついてる姿って、おもしろいっちゃおもしろいよなぁと思った。そしたらふっと笑ってしまい、笑いが止まらなくなってしまった。そんな僕をなんとも言えない目で息子が見ていた。


息子よ、今はわからなくていい、いつかわかる。あの時の父さんもそう思っていたのかもしれない。

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