『ちょっとしたことかもしれないけれど』
昔、僕にはめがね君というあだ名の友達がいた。
めがね君はとても優しい人間で、僕らがめがね君のめがねレンズに指で指紋を付けても全く怒らなかった。せいぜい「もう~、拭くのめんどくさいんだよ」と言うくらいだった。
子供はつい意地悪なことを考える。怒らないから怒らせたくなってくるのだ。だからそう思った友達がめがね君の上着を脱がせて、ランニングシャツも脱がせて半裸にした。しかしめがね君は怒らなかった。次にズボンを脱がせた。絶妙に嫌がるんだけど、めがね君は怒らなかった。だからブリーフを脱がせた。これはさすがにと思ったが、全裸のめがね君は怒らなかった。お前すげえなってみんながめがね君を賞賛した。賞賛されためがね君はすごく嬉しそうに笑った。
しかし、誰かを怒らせたいという欲求は僕らの周りに残っていた。だから他の友達のたちばな君に同じことをした。たちばな君はひたすら抵抗し、いとも簡単に怒らせることができた。それが達成されたのに歯止めが効かなくなっていた僕らは、たちばな君を全裸にした。そしたらたちばな君は泣いてしまった。
その時にめがね君がたまたま通りかかった。僕はめがね君がどんな反応をするのか気になった。
「たいがいにせえや!」
怒号が響き渡った。一瞬誰の声かわからなかった。しかし、その声はめがね君だった。めがね君のおでこには血管が浮き出ていた。めがね君は僕らに近づいてきた。僕らはたじろいだ。そして僕らの目を見て、
「僕にやるのは別に屁でもない。でも友達を傷つけるやつはゆるさない」
と言った。衝撃だった。みんな唖然として動けなかった。そして、みんなの中で僕が受け取ったものは少し違った。僕は、自分が直接手を下してないから悪者じゃないと思い込もうとしていた。そのことを全て見透かされた気持ちになっていた。ものすごく恥ずかしかった。殴ってほしかったけど、めがね君は僕らを殴らずに、たちばな君の服を着せてあげて、一緒に去っていった。その姿を見て、僕はシャンクスみたいだなと心の中で思った。
次の日、学校に登校している途中、僕はたちばな君とめがね君に謝ることをみんなに提案しようと決意した。僕は人生で初めてかってくらい緊張した。朝ごはんもあまり食べられなかった。
教室の前に着いた時、すごくドキドキした。でも勇気を振り絞ってドアを開けた。
教室にいためがね君は、もはやめがね君ではなくなっていた。めがねを外し、コンタクトになっていた。ちょっと二重が濃くなり、キリッとしていた。長袖の白シャツを胸まで開けて、腕をまくり、腰布を巻いていた。そしてなにより、髪が赤髪になっていた。「元」めがね君の周りには取り巻きができていて、皆がシャンクスみたいと、もてはやしていた。
僕が近づいて「それ・・・」と、言葉に困っていると、「うん、オレもシャンクスみたいだなって思ったんだよ」と元めがね君は言った。僕はもう全てお見通しなんだと思った。
だけど、シャンクスみたいになったけれど、なんかずれてるなぁとも思ったが、すぐさま心の扉を閉めてしっかり鍵をかけた。元めがね君は、なんとも言えない表情で僕を見上げた。その目は昔よく捕まえていたザリガニのそれと同じに見えた。
元めがね君は急に立ち上がって、近くのショッピングセンターで買ったであろう麦わら帽子を僕に被せて、
「いつか自分で返しに来い」
と言って微笑んだ。これは本気なのか笑わせにかかってるのか中途半端だなと思った。だが、その半端さがめがね君にピシャッとはまっていて、そのことがおもしろくて思わず心の扉の鍵が開いてしまい、僕も笑ってしまった。
次の日は学校が休みだったので、麦わら帽子を返しに行った。1ヶ月も経たないうちに飽きたのか、元めがね君は僕がよく知っているめがね君に戻った。変に意識していためがね君への気持ちはもうどこかへ行ってしまっていて、僕たちは再び遊ぶようになった。
それでも、例えばミニ四駆で遊んだりしているときに、コースアウトしためがね君のミニ四駆をうっかり蹴っちゃったりした時は、一瞬ふぁっと、めがね君を気にしてしまう自分がいる。でも、めがね君はいつものめがね君のままで、あちゃーとか言ってミニ四駆を追いかけて行く。・・・これは小学3年生の時の思い出だ。
中学に上がると、めがね君は私立に行くことになったので、僕らは離ればなれになった。中学でもたまにお互いの家を行き来して遊んでいたが、やがてそれぞれの生活がより中心になっていき、次第に会わなくなっていった。
中学2年の時、めがね君から珍しく電話があった。今までなにか用があれば家に直接来たので、不思議だった。電話に出ると、めがね君は引越しすることになったと言ってきた。あぁ、そうかぁとしか言えなかったが、正直ものすごく寂しくなっていた。最後に会いに行きたかったけど、家が色々あって行けないんだとめがね君は言った。声でめがね君も寂しいんだということがわかった。
「あの時」
それがいつなのか僕にはすぐに分かった。
「あの時・・・僕は怒っちゃいないよ。ただ、人には受け皿みたいなのがあって、それは人の優劣とか良し悪しとかじゃなくて、その受け皿をちゃんと見ないといけないと僕は思うんだ」
「うん」
「見えてるのに見ないふりをするのは、そうしてる人を見るのは、僕は悲しいんだ」
「うん」
「だから僕は君には伝えたんだ。伝わると思ったから」
僕は今までなにかに我慢してたことにようやく気づいた。涙が止まらなかったから。でもめがね君に気づかれたくなくて声を出さなかった。
「いつか、大人になったら会おう。その時だけでそれから会わなくたっていいから、大人になったら会おう。絶対、会おう」
「うん」
「落ち着いたら、麦わら帽子、送るから、その時返してよ」
後日、ちゃんと麦わら帽子が送られてきた。
後になってわかったことなんだけど、めがね君のお父さんは借金があった。家にいられなくなったんだ。特に被るわけでも飾るわけでもないが、麦わら帽子は捨てずに持っていた。
そして今日、今から、これを返しに行く。めがね君からはあれから連絡は一度もなかった。30歳になった時、突然僕は会いに行こうと思った。つてが何もなかったけど、学校に電話したり必死に探した。結局、探偵にお願いした。沖縄にいることが分かって、住所も特定できた。ただ1年前にその住所にやってきたらしく、今いるかはわからない。でも、行くと決めた。
めがね君はずっと本気だったのだ。
積もり積もった話がたくさんある。きっとめがね君にも。僕はルフィみたいにあんなにかっこよくはないけれど、めがね君もシャンクスみたいにかっこよくぜんぜんないけれど、僕たちの冒険はそれはそれでいいんじゃないかと思う。
会ったら、ありがとうと言うことだけは決めた。そして、めがねに指紋をつけることも決めた、めがねをかけていれば。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます