第26話 2本のチューバと1本のテナーサックス
朝、僕が目を覚ますと横に春香はいなかった。僕はベッドから起き上がり洗面台で顔を洗い歯磨きをしてリビングに向かう。
「あ、りょうちゃんおはよう。朝ごはんできてるから一緒に食べよう」
普通…あまりに普通の朝だった。昨日の夜の春香とのやり取りは全てただの夢だったのかもしれないと錯覚してしまうほどに日常的な朝だった
春香は昨日の夜、何もなかったかのように僕におはよう。と言い淡々といつも通り朝食の準備をしてくれていた。
やはり春香が僕のことを好きかもしれないなんてあり得ないのかな…と思いながら僕は朝食の準備をしてくれていた春香を手伝う。
そしていつも通り朝食を食べていつも通り2人で朝食の後片付けをしていつも通りリビングでくつろいでいた。春香の様子に特に変わったところはなくやはり昨日の夜のことは僕の考えすぎだったのではないかと思ってしまっていた。
「ねえ、りょうちゃん、今から大学行かない?」
今日は日曜日、当然今日、大学で授業はない。
「え、いいけどどうして?」
「楽器吹きたいから…」
春香の言葉を聞いて納得した。僕め春香のチューバの音をもっと聞きたいので了承した。さっそく出かける準備をして戸締りをしっかりとしてアパートを出る。余談だが、春香は出かける準備をするのがめちゃくちゃ早い。春香は服で迷ったりせず(着替えで悩んだりしないのにめちゃくちゃおしゃれなのが謎)お化粧もあまりしない(それでも十分すぎるくらい可愛くて美人)ので、普通の女子と比べて出かける準備がめちゃくちゃ早くて助かる。
アパートを出て田んぼ道を歩いてしばらくすると大学に到着する。大学の総合受付で春香は学生証を預けてホールの鍵を借りる。ホールの鍵を借りれるのは吹奏楽部だけの特権らしい。
ホールの鍵を借りた春香と僕はホールの鍵を開けてさっそく楽器を取り出す。
そしてホールのステージで一緒に音出しをして基礎練習をする。
「前も思ったけどりょうちゃん上手くなったね…」
「そうかな?春香こそ音量増したよね。相変わらず音めちゃくちゃ綺麗だしすごいと思うよ」
「えへへ…まあ、いろいろあったから」
春香は嬉しそうに答える。いろいろあったと言うのはチューバの先輩の及川さんとだろう…春香と及川さんはチューバ奏者として対極と言ってもいいくらい異なる良さを持っている。春香は音の綺麗さや繊細さ、及川さんはダイナミックな音で、音量重視、ちなみに僕は春香と及川さんを足して2で割ったような特に取り柄のないチューバ奏者と自負している。
春香の音量が増したのは及川さんが原因らしい…去年いろいろあったようだ。
「ねえ、りょうちゃん、久しぶりにあの曲吹こう」
春香があの曲と言う曲は一つしかない。僕と春香が初めて2人で練習した曲だ。チューバ初心者だった僕に付きっきりで春香が教えてくれた曲で、僕が中学校1年生だった時の吹奏楽コンクールの自由曲だ。
僕はいいよ。と答えて楽器を構える。僕も春香もこの曲は楽譜を見ないでも吹ける。それほどの回数、この曲を2人で吹き続けてきたのだ。この曲は2人の思い出の曲であり始まりの曲なのだ。
春香のカウントに合わせて僕と春香は曲の演奏を始める。チューバ2本で合わせているだけなのではっきり言って聞いてるだけだとつまらないだろう。メロディーがないのだから…だが、僕と春香は低音でリズムを支えるのが好きだ。だからチューバを吹く。何度も2人でリズムだけの曲練習を積み重ねてきた。
今日も、2人でリズムだけの曲練習をしていたのだ。曲の中盤、テンポが切り替わる部分でも僕と春香は曲を止めない。このくらいのテンポの切り替わりくらい僕と春香なら合わせられるから…
難なくテンポが変わり本来なら低音で合奏を支えているチューバの音にテナーサックスのソロが重なる箇所に到達する。
僕はここにいないはずのテナーサックスの音をイメージしながらチューバに息を吹き込んだ。
だが、聞こえてきたのだ。本来聞こえないはずのテナーサックスの音が…僕は曲を続けながらホールのステージの端を見る。ステージの下手側で、テナーサックスを持ったまゆ先輩が僕たちの曲に合わせてテナーサックスソロを吹き始めていたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます