楽しいデートです。

 


 まずは姉さんを、沢山の思い出の詰まったあの自然公園に連れてきた。……この場所では本当に、色々あった。だから一度、今の姉さんとこの場所を歩いてみたかった。


「……もう完全に、葉桜になっちゃったな……」


 風に揺れる桜の木々は、薄いピンクから深い緑に色を変えている。……それはそれで綺麗ではあるけれど、やっぱりあの儚い美しさには敵わない。


「真昼くん、どうかしたの?」


 1人呟く俺を、姉さんは不思議そうに見つめる。


「……ああ、ごめん。大したことじゃ無いんだ。それより、この時期の公園はやっぱり暑いな。ささっと歩いて、この先にある水族館にでも行こうか?」


「うん、それもいいね。……けど私はちょっと、この公園を見て回りたいかも。なんて言うか……凄く懐かしい気がするから……」


「もしかして姉さん、何か思い出しそうなのか?」


 俺は期待するように、姉さんに視線を向ける。


「うん。でもなんて言うんだろ? ここはなんだか……ううん。私、頑張ってみるよ。真昼くんが初めに連れて来てくれた場所なんだから、ここには何か大切な思い出があるんでしょ? なら私、頑張るよ!」


 姉さんは俺に応えるように、ニコッと笑ってガッツポーズをする。……その笑顔を見ていると、俺は……思ってしまう。


「姉さん」


「何かな? 真昼くん」


「その、今の姉さんが何を思っているのか、俺は分かってあげられないけど、でも……無理する必要は無いよ」


「……え?」


 姉さんは驚いた顔で、俺を見る。俺はそれに、できる限り優しい笑顔を返して言葉を続ける。


「俺はできれば、今の姉さんにも笑っていて欲しいって思う。……そりゃあ、できることなら姉さんには早く記憶を取り戻して欲しいけど……。でもそれで姉さんが傷つくなら、別に無理はしなくてもいいよ。俺はいつまでも、待ってるからさ……」


「…………真昼くんは、優しいね。そんなだから、私は……ううん。きっと記憶を失う前の私も、その真昼くんの優しさに……甘えちゃってたんだろうな」


「それは、違うよ。俺のこれは優しさなんかじゃ無くて、ただ──」


 俺はそこまで言って、無理やり言葉を飲み込む。……だって姉さんが、とても悲しそうな目で俺の顔を見つめていたから。


「歩こっか? 真昼くん」


「……そうだな」


 俺たちはゆっくりと歩き出す。暖かな風が、ざわざわと木々を揺らす。


「本当はね、ずっと怖かったんだ」


「何が怖かったの?」


「……私は真昼くんがね、ずっと怖かったの」


「俺が? 何か、怖がらせるようなことしたっけ?」


「ううん、そういうのじゃなくて……。真昼くんを見てると……自分の気持ちを抑えられなくなるの。……それはきっと、記憶を失くす前の私の感情。何も覚えてない筈なのに、真昼くんを見てると……感情だけが私の中で暴れ回る。……それが凄く、怖かった。だから私は、真昼くんから逃げ出した……」


 姉さんは青い空に向かって、手を伸ばす。でも勿論、その手が空に届くことは無い。


「俺は、俺は姉さんに記憶を取り戻して欲しいって、思ってる。でもやっぱり、無理やりは嫌なんだよ。だからさ、姉さんが怖いって言うなら、怖くなくなるまで時間をかけてもいいんだよ?」


「ふふっ、ほんとに? ……真昼くんはさ、優しいからそう言ってくれるんだろうけど、でも私には……真昼くんが無理をしてるように見える」


 姉さんの瞳が、真っ直ぐに俺を見る。……その瞳はまるで昔の姉さんみたいで、俺は引き込まれるようにその瞳を見つめ返す。


「……真昼くんを見てると、いつもドキドキする。でもそのドキドキの意味が、今の私には分からない。だからね、真昼くん。今日は……そのドキドキの意味を、いっぱい私に教えて欲しいな」


「姉さん……」


「……なんて、ちょっと変なこと言ってるね、私。やっぱり真昼くんを前にすると、私ちょっとおかしく……って、あっ」


 俺は姉さんが言葉を言い切る前に、その手を優しく握りしめる。


「少しはドキドキ、してくれる?」


「…………」


 姉さんは何の言葉も返してくれない。ただ唖然と、俺の顔を見つめ続ける。……もしかして、嫌だったのかな? そう思って手を離そうとした直後、姉さんはゆっくりと口を開く。


「真昼くんは、私の弟……なんだよね?」


「……ああ、そうだけど、それがどうかしたのか?」


「ううん。ただちょっと、納得しただけ。ずっとおかしいことだって思ってたけど、こんな真昼くんなら……おかしいことじゃ無いのかもしれない。……ううん、寧ろ当然の結果だったのかな」


「うん? それって、どういう意味?」


「何でもない。……行こ? まだまだデートはこれからでしょ?」


 姉さんは俺の手を引っ張るように、歩き出す。だから俺も、それに負けじと前に進む。


「……なあ、姉さん。少し、訊いてもいいかな?」


「いいよ。……なに?」


「姉さん最近、偶に1人で出かけるだろ? それっていつも……どこに行ってるんだ?」


「……ふふっ。もしかして真昼くん、心配してくれてるの? それとも……嫉妬かな? ふふっ。そういうところは、まだ子供だね」


「そういうところだけじゃなくて、俺は全身でまだ子供のつもりだよ?」


「でもそういうところが、ちょっと狡い。なんていうか真昼くんは、根っこのところが大人だよね」


 ……どうだろう? 多分そんな事は、無いと思う。俺の根っこは、ただ冷めているだけだ。いや、どちらかというと弱いだけなのだろう。


 俺は本当は、とても弱い人間だ。だから根っこのところで、他人を信用できない。例えそれが姉さんであっても、俺は多分……信頼できていないのだろう。


 俺は心の底で、いつも準備している。裏切られても傷つかないように。弱い自分が壊れてしまわないように。俺はただ冷めたふりして誤魔化しているだけだ。


「まあ、言いたく無いなら別に言わなくてもいいよ。俺はただ──」


「探し物をしてるんだ。……本当は、それを見つけてから、真昼くんと話そうと思ってたの。でも……でも日に日に想いは強くなって、それに……毎日のように夢を見るから、それで、ね」


 姉さんはまるで心外だと言うように、食い気味に口を挟む。


「……協力できることがあるなら、なんだってするよ?」


「うん、ありがとう。でも……自分でも、何を探してるのか分からないの。ただとても大切なものを、失くしちゃった事だけは覚えてる。……夢を見るの。毎日のように、昔の夢を見る。そこで私はいつも真昼くんの側にいて、そして──」


 姉さんはそこで一度、言葉を区切る。そして俺から手を離して、自分の服装を見せつけるように、くるりとその場で一回転する。



 俺はそんな姉さんの姿を見て、今頃になって気がついた。



「……姉さん。その服装……もしかして、思い出したのか?」


 今の姉さんの服装は、俺とデートごっこをしたあの時と、全く同じものだ。だから俺は、酷く驚きながら姉さんの顔を覗き込む。


「ううん、思い出した訳じゃないの。でも、夢で見るの。私は夢の中で、この格好をして真昼くんとデートしてた。……いや、夢の中ではウィッグとか付けてた筈だから、さっきはそれを探してたんだけど、どうしても見つけられなくて……」


「……姉さんは、記憶を取り戻したいの?」


「うん。だって、このペンダント渡さないといけないし……。何より、そうじゃないと真昼くんが笑えないでしょ? ……だから怖いなんて、言ってられないんだよ」


 姉さんは、笑う。それはどこか、無理をしているような笑顔だ。……でも姉さんはきっと、俺の為に無理をしてくれている。



 だから姉さんには悪いけど、俺はそれが嬉しかった。



 その笑顔を見ていると、俺はやっぱりこの人が好きなんだなって、そう思えるから。


「姉さん。今日はやっぱり、楽しもうぜ? 他のことなんて全部忘れてさ、ただ楽しいだけの一日を、姉さんと一緒に過ごしたいんだ」


「…………うん、そうだね。……うん! やっぱり、そうだよね! 色々考えたって、楽しくないもんね!」


 俺は心の底からの笑顔で、姉さんを見つめる。姉さんも、さっきとは違う本当に楽しそうな笑顔で、俺を見つめ返してくれる。




 そうして俺たちは、水族館に踏み入る。








「…………」



 だから無論、背後から向けられるへばりつくような視線に、気がつくことは無かった。


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