デートの始まりです。



 あれから、しばらくの時間が流れた。けれど姉さんの記憶は、一向に戻る気配が無い。


「…………」


 俺は、不安だった。姉さんの記憶が戻らないことよりも、今のこの生活に慣れてしまうことが何より怖かった。


 姉さんはあの日……天川さんとのキスを見られたあの日から、俺から少し距離を置くようになった。俺が話しかけようとしても顔を赤くして逃げてしまったり、食事中に話しかけても目を合わせてくれない。


 そんな関係をどうにかしようと頑張っても、摩夜や他の女の子たちに邪魔をされて、上手く話をすることができない。



 そんな風に、少しづつ時間が流れていった。



 大切なものが無くなってしまった、寂しい日々。でも、そんな生活にも少しずつ慣れていく。無論、まだまだ慣れないことの方が多いけど、それでも1年もすれば、この生活が当たり前のものになるのかもしれない。



 それは絶対に、嫌だと思った。



「……よしっ、行くか」


 だから俺は諦めない。春の暖かな日差しが、夏の強い日差しに変わる頃。俺は思い切って、姉さんをデートに誘うことにした。



 ◇



 そして、日曜日。いつも俺にべったりな摩夜は、今日は珍しく朝から出かけていた。だからチャンスは今しかない。そう思って、俺は朝早くから姉さんの部屋をノックする。


「姉さん、ちょっといいか?」


「あ、え? 真昼くん⁈ ちょっ、ちょっと待ってね! その……ちょっと準備、その……5分。5分だけ待って! ちょっとその……今は手が離せないから!」


 がたごとと、部屋の中から何か物を動かしているような音が響く。……正直に言うと、何をしているのか凄く気になる。……けど、待ってと言われたのなら、それを無視することはできない。……今の俺と姉さんは、それほど親しくは無いのだから。


「……分かった。じゃあまた後でくるよ」


 だから俺はそう答えて、姉さんの部屋から離れる。


「うん。ごめね、ちょっとだけ、後ほんのちょっとだけ、待っててね!」


 背後から、そんな申し訳なさそうな声が聞こえた。



 そして、5分……では無く、10分後。俺はもう一度、姉さんの部屋をノックする。


「姉さん。もういいか?」


「うん。いいよ。入ってきて。私もちょっと、話したいことがあるから……」


 そんな姉さんの声を聞いて、俺は扉を開いて姉さんの部屋に踏み入る。


「……って、姉さんその格好……もしかして、これから出かけるのか?」


 姉さんは化粧をして、髪型を整えて、綺麗な服を着て、出かける準備万端! みたいな格好で俺を出迎える。……無論、俺はまだ姉さんを誘っていない。だから姉さんはこれから、俺以外の誰かと出かけるのかもしれない。


 ……完全に出鼻の挫かれた感じた。



「……うん。あ、いやその……まだ分からないんだけど。その、ちょっと誘おうと思って準備してたんだ……」


「誘うって、友達とかか?」


 姉さんは今は大学を休学しているけど、でも偶に1人でどこかに出かけたりしている。だから俺の知らないところで、友達ができていてもおかしくはないし、もしかしたら……。


 嫌な想像か、頭を過る。


 ……けれど、顔には出さない。ここ最近は色んなことがあったから、自分の心を殺すのは慣れている。


 だから俺は、努めて平静を装う。



「ううん。そうじゃなくて、その……」


 姉さんは言いにくそうに、言い淀む。俺はただ黙って、姉さんの言葉を待つ。


「あのね、真昼くん。今日、暇? よかったらその、一緒に出かけない? 最近はさ、あんまり話せてないでしょ? ……いや、ううん。分かってるの。私が最近、真昼くんを避けちゃってるって……。だからね、今日はそのお詫びも兼ねて、一緒に……お出かけしない?」


「…………」


「あ、いや、無理にとは言わないよ? 急だし、真昼くんにも予定があるもんね? ……あ、そうだよ! ちゃんと予定、聞いてから準備すればよかったんだ! ……私、1人で盛り上がって、こんなに気合い入れて準備したりして、恥ずかしい……。何やってるんだろ、私。その……最近ちょっとぼーっとすることが多くて、だから……」


 姉さんは顔を真っ赤にして、ブンブンと首を振る。その姿を見ていると、俺は思わず笑ってしまう。勝手に想像して、勝手に落ち込んでいるのは、どうやら俺だけじゃ無かったらしい。


「……いや違うよ、姉さん。その……俺も姉さんを誘うために、この部屋に来たんだよ。だから……嬉しいよ。俺もすぐに準備してくるから、一緒に出かけようぜ?」


「…………やっぱり真昼くんは、優しいね。私がお姉ちゃんじゃ無かったら、絶対に勘違いしちゃうよ……」


「姉さん……。いや、それは……」


 それは勘違いなんかじゃなくて、俺は姉さんが好きで、姉さんも俺を好きだって言ってくれてたんだよ。



 それを今なら、言ってもいいんじゃないか?



 そんな事を思ってしまう。……今なら摩夜も居ないし、あれから時間も経って姉さんもだいぶ落ち着いた筈だ。だから今なら、俺の気持ちを伝えても問題は無いのかもしれない。





 ……けど、



「……? 真昼くん、どうかしたの? 私なにか、変なこと言っちゃったかな?」


「…………いや、何でもないよ。じゃあすぐに準備してくるから、先に下で待っててくれるか?」


「……? うん、分かった。じゃあ、先に下で待ってるね」


 俺は姉さんの返事を聞いて、早足に部屋から立ち去る。


「……ダメだな」


 なんだか、違うような気がした。今なら、いけるような気がする。だから、告白する。それは何か、違う気がする。……それに、今の記憶を失くしてしまっている姉さんに告白するのは、少し怖かった。



 だってそれは、記憶を失くす前の姉さんへの裏切りになるんじゃないか?



 そんな事を、思ってしまう。俺が好きなのは、やっぱり記憶を失う前の姉さんだ。だから俺は、姉さんにはすぐにでも記憶を取り戻して欲しいと思う。……でもそれも、今の姉さんへの裏切りのような気もする。


「……バカだな、俺は……」


 姉さんとの距離ができたのは、そういう俺の煮え切らない態度のせいでもあるんだろう。


「しっかりしろ、笹谷 真昼」


 そう気合を入れて、さっさと着替えて部屋を出て階段を降りる。……姉さんは俺の言った通り、玄関の前で俺を待ってくれていた。


「じゃあ、行こっか? 真昼くん」


 姉さんは照れるように笑って、そう告げる。


「……ああ、今日は俺が姉さんを色んなところに連れて行くから、楽しみにしててくれ」


 だから俺も、つまらない悩みを追いやって心からの笑顔で応える。


「……ふふっ、ありがとう。楽しみにしてるね」


 そうして、楽しい楽しいデートが幕を開けた。



 ◇



 真昼と朝音かデートに出かける少し前の時間。駅前のカフェで、2人の少女が真っ直ぐに睨み合っていた。


「……で? わざわざこんな時間に呼び出して、何の用なの? 三月」


 笹谷ささたに 摩夜まやはそう言って不機嫌そうな表情を隠しもせず、正面に座る天川あまかわ 三月みつきを睨みつける。


「ちょっと、大切な話があるんスよ」


 対する三月は、そんな摩夜の視線を気にした風も無く、軽い笑みで答えを返す。


「なに? 早くしてよね。私は貴女と遊んでるほど、暇じゃ無いのよ」


 摩夜の言葉を聞いて、三月はゆっくり笑みを浮かべて、そしてその言葉を告げる。





「…………ねぇ、摩夜。あたしと、手を組まないっスか? ……あたしに、とっておきの作戦があるんス……」



 そうして、ゆっくりと物語は進んでいく。


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