この子を放っておきますか?
部活対抗の徒競走が始まる直前。
「……中々に気合が入っているね、芽衣子くん。たかだか体育祭とは思えないよ」
そんな挑発するような桃花の言葉を聞いて、芽衣子は真剣な表情で答えを返す。
「当然ですわ。実は私、すっごく負けず嫌いですの。……それに、あんな賭けをしているのなら、尚のこと負けられませんわ」
「……賭け、か。君はよっぽどボクに、何か言いたいことがあるようだね。でも……あまり無茶なお願いは、やめてくれよ?」
「あら、随分と弱気な発言ですわね、会長さん。真昼さんの前では、あんなに大口を叩いてらっしゃったのに……もう負ける気なんですの?」
「まさか。ボクは君を心配してるんだよ、芽衣子くん。願いは大きければ大きいほど、叶えられなかった時に傷つくものだ。そして君が傷つくと、真昼が悲しんでしまう。……だから君にはね、程々にしておいてもらいたいのさ」
桃花はそう言って、挑発するかのように口元を歪める。対する芽衣子は、ただ真っ直ぐに桃花を見つめる。
「会長さん」
「なんだい? 芽衣子くん」
「仮にもし私が勝ちましたら、もう真昼さんに近づかないでもらえますか?」
「……ふふっ、君はやっぱり面白いことを言うね。けど、仮にもしボクが負けたんだとしても、そんな命令は聞けないね。その命令は、死ねと言われるより難しい事だ」
「……なるほど。なら、私の命令は決まりましたわ」
「おや、そうなのか。それは楽しみだね。……内容は、聞かせてもらってもいいのかな?」
芽衣子は桃花の言葉を聞いて、心の底から楽しそうな笑みを浮かべる。まるでもう既に自分が勝った後のように、高らかに笑い声を響かせる。
「おーっほっほっほっ! そんなの内緒に決まってますわ! ……さて、そろそろ始まりますわね。行きましょうか、会長さん?」
芽衣子は堂々とした足取りで、桃花に背を向ける。桃花はその背を見て、ニヤリと笑みを浮かべる。まるで、勝者が敗者を慈しむように優しく、桃花はニヤリと笑う。
「…………君は、昔のボクにそっくりだ。……だから決して、今のボクには勝てないよ……」
そんな桃花の呟きは誰にも届かず、青空へと消えていく。
そして、2人の戦いが始まった。
◇
もうすぐ、会長と芽衣子が戦う部活対抗の徒競走が始まる。俺は何の部活に所属していないので、遠巻きにそれを眺める。
「…………」
さっきまで会長と芽衣子は何か話をしていたようだけど、今は2人とも真剣な面持ちで自分の番が来るのを待っている。……会長と芽衣子。どちらが勝つのか、想像がつかない。会長は長年武道を嗜んできて、その運動能力は目を見張るものがある。対する芽衣子も、ずっとバスケ部で頑張ってきたのだから、韋駄天かは知らないけど、かなり足が速い。
どっちが勝つか、分からない。だから少し、楽しみだ。無論、何でも好きに命令していい、というのは少し不安ではあるけれど、あまり無理を言うようなら俺が止めればいいだけだ。
「……だから、どっちも頑張れよ」
俺のその呟きが聞こえた筈は無いけれど、2人は、うん、と応えるように同時に頷いてレーンに向かって歩き出す。
「…………」
「…………」
そして2人は、真剣な面持ちでクラウチングスタートの構えをとる。一緒に走る他の4人は……知らない人達だけど、芽衣子と会長以外は、どこかお祭り気分だ。だから彼女たちは、勝つ為というより楽しむ為に走るのだろう。
だから実質、芽衣子と会長、2人の戦いになる筈だ。
そんなことを考えながら、2人の姿を眺める。2人は真剣な眼差しで、前だけを見つめる。
そして満を持して、スタートを告げるピストルの音が鳴り響く。
2人は同時に、地面を蹴った。
◇
芽白 芽衣子は、負ける気なんて一切なかった。彼女はどんな些細な勝負であったとしても、手を抜くこと無く最善を尽くす。だから芽衣子は、どんな戦いでも自分が負けるなんて考えない。ただ真っ直ぐに全力で走り、それ以外なにも考えない。
それが彼女にできる、唯一の戦い方だった。
対する桃花は、実はこんな勝負に大して興味は無かった。桃花にとって大切なのは、真昼のことだけ。真昼に負ける姿を見られるのは嫌だけど、それも別に絶対では無い。
負けたら真昼に、慰めてもらえるかもしれない。
なら、負けるのも悪くないんじゃないか? そんな風に、考えてしまう。桃花に油断は無い。手を抜くつもりも一切無い。けれど桃花は、勝ちに拘らない。
だから2人の間には、決定的な違いがあった。
そしてそれが、2人の勝敗を分ける。
「………………やっぱり、ボクの勝ちだ」
勝者はそう言って、ニヤリと笑った。
◇
勝ったのは、会長だった。本当に僅差ではあったけれど、確かに会長が勝った。
1位を取った会長は、皆んなに笑顔で手を振る。どこか作ったような笑みではあるけれど、優雅さを感じさせる会長の仕草に、多くの人が拍手を送る。
……そして、対する芽衣子は……。
「…………」
2位だったにも関わらず、本当に悔しそうに……ともすれば泣いてしまうんじゃないかと思うくらいの表情で、きつく地面を睨みつける。
芽衣子は昔から、負けず嫌いだった。そして負けるといつも、本当に悲しそうな顔をする。……正直、少し優しくしてやりたいと思ってしまう。けどあいつは、同情なんて1番嫌がることだろう。だから俺は、できる限りいつも通りに声をかける。
「……芽衣子、おつかれ。お前──」
しかし芽衣子は、まるで俺の言葉を遮るように、会長の方を指差す。敗者の自分では無く、勝者の会長の方に声をかけろと言うように、芽衣子は黙って会長に指先を向ける。
「お疲れ様、芽衣子くん」
けれど、俺が会長の方に向かう前に、会長はゆっくりとこちらにやって来て、芽衣子にそう声をかける。
「………………私の完敗ですわ。ですから、なんでも好きな命令を仰ってください」
「おやおや、そんなに覚悟を決めたような顔をしなくても、大丈夫だよ? ボクは特に、君に望むことなんて無い。……そうだな、帰りにジュースでも奢ってくれたら、ボクはそれで満足だよ」
「そんなのでは、私の気がすみませんわ!」
「そう言われてもね。……明後日は、真昼との大切なデートがあるんだ。だからあんまり無駄な事に、時間を使いたく無いんだよ。……分かるだろ? 芽衣子くん」
「…………」
会長の言葉を聞いて、芽衣子は心の底から悔しそうに歯をくいしばる。……それも、当然だろう。芽衣子は死力を尽くして、会長に挑んだ。しかし会長は、片手間だったんだ。君との勝負に、大した意味なんて無い。会長は今、言外にそう言ったんだ。
それに芽衣子が、傷つかない訳が無い。
「会長、あんまり芽衣子を虐めないでやってください。こいつは負けず──」
「真昼さん。いいんです。……それより会長さん。ジュースを買ってこれば、よろしいんですわね?」
「ああ。……いやでも、ボクはそろそろ閉会式の準備をしなければならない。だから、そうだな……。体育祭が終わったら、さっきの校舎裏のベンチにでもジュースを持って来てくれれば、それで構わないよ。……あ、真昼にも来てほしいな。せっかくだから、今日は久しぶりに一緒に帰らないかい? ……無理にとは言わないけど、偶にはそれくらい付き合ってくれても構わないだろ?」
会長はニコニコと楽しそうに、こちらを見る。俺は……芽衣子が少し心配だけれど、勝負に負けた後に優しくされても、辛いだけだ。だからまた明日……は休みだから、月曜にでも軽い感じで声をかけてやろう。そう決めて、会長に言葉を返す。
「……いいですよ。でもあんまり寄り道には、付き合えませんよ?」
「構わないよ。君は確か明日は……三月くんとのデートだったかな? まあ何にせよ、あまり遅くまでは付き合わせないよ」
「そうしてもらえると、有難いです」
そんな俺と会長のやりとりを、芽衣子は何か言いたげな視線で眺める。けれど、結局なんの言葉も発さないまま、俯いてしまう。
「…………」
「……ふふっ。ではボクはもう行くよ。残りもう僅かだけれど、君たちも存分に体育祭を楽しむといい」
会長はそう言って楽しそうに笑いながら、俺たちに背を向ける。そして、芽衣子は……。
「……真昼さん」
「なに?」
「同情は、要りませんから……」
「……分かってるよ」
「…………なら、いいです」
そう小さくこぼして、どこかに走って行ってしまう。その背を追いかけたいところではあるけれど、今行っても傷口を広げるだけだ。だから俺は、思考を切り替えるように大きく息を吐いて、空を見上げる。
「……俺も、人のことは言えないな。友達があんなに落ち込んでたら、放ってはおけないよ」
だから俺は、少しだけお節介をしてやる事に決めた。
そんな余計な善意のせいで、あんな結末を迎えてしまうのに、俺はまだ何にも気がつかないまま、ゆっくりと歩き出す。
空はまだ、青いままだった。
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