覚えてますか?

 


「デートするなら、今から行こうよ」


「デートなら、今から行くっス」



 そう言って笑う2人に、どんな言葉を返せばいいのか、迷う。……けど、今はもう結構遅い時間だ。明日も学校があるのに、こんな時間に女の子を連れ回す訳にはいかない。それに会長はともかく、天川さんはまだ中学生だ。あまり遅くなると、ご両親も心配するだろう。


「……悪いけど、今からは無理だよ。こんな時間に外に出ても、行ける場所なんて限られてるし、何よりこんな時間に女の子を連れ回す訳にもいかない。だから、2人には悪いけど、また今度にしてくれないか?」


 そんな俺の言葉を聞いて、2人は笑う。初めからそんなことは分かっていると言うように、2人は笑う。


「確かに君の言う通りだ、真昼。明日も学校があるっていうのに、こんな時間に出歩くのは褒められたことではない。だからね、真昼。この場所で……ボクの部屋でデートをするっていうのはどうだい? ボクの部屋にはゲームも映画もあるし、それに君に料理を作ってあげることもできる。……凄く楽しそうだと、思わないかい?」


「何を言ってるんスか。お兄さんはここで貴女と2人きりになるのが嫌だから、あんな事を言ってくれたんスよ? ……だから、お兄さん。……あたしを家まで送って欲しいっス。それくらいなら、別にいいんじゃないっスか?」


「…………」


 2人の言葉を聞くと、会長の言葉より天川さんの言っていることの方が、まともに聞こえる。……それに正直、今からこの部屋で会長と2人っきりになるのは、少し怖い。……なら、このまま天川さんを家まで送って、その足で自分の家に帰るのが、1番いいように思える。


「……会長。悪いんですけど、今日は付き合えないです。天川さんをいつまでもここに居させる訳にも行きませんし、今日は天川さんの言う通り彼女を家まで送り届けて、その足で俺も帰ります。……それで、納得してもらえませんか?」


「……ふふっ。分かったよ、君がそこまで言うのであれば、構わないよ。……でもその代わり、1つお願いがある。……聞いてくれるかな?」


「……いいですよ、何ですか?」


 会長は俺の言葉を聞いて、ニヤリと笑う。初めからこうなる事が分かっていたと言うように、嬉しそうに笑みを浮かべる。


「今度のデート。君が誘ってくれると言った、デート。その時にね、ボクがこの前あげたプレゼントを付けて来て欲しいんだ。……それくらいなら、構わないだろう?」


「…………分かりました。それくらいなら、別にいいですよ。……それじゃあ、天川さん行こうか。家まで送って行くよ」


「はい! 嬉しいっス! お兄さんと2人で歩けるだなんて、あたしそれだけホント……最高っス!」


「大袈裟だな。この前だって、一緒に帰っただろ?」


「それでもっスよ!」


 天川さんはそう言って、花のような笑みを浮かべる。俺はそれに軽い笑みを返して、会長に背を向ける。


「会長、それじゃあ失礼します。……また、明日」


「……ああ、今日は楽しかった。だからまた明日、君と会えるのを楽しみにしているよ」


 そう告げる会長にもう一度頭を下げて、俺は会長の部屋を後にする。……天川さんは会長に、声すらかけなかった。けどまあ2人の関係を考えたら、それは仕方のないことだろう。


「……ところで、お兄さん。さっき言ってたプレゼントって、何なんスか?」


 会長のマンションから出て、しばらく無言で歩いていると、不意に天川さんがそう口を開く。


「それは、この前……会長と出かけた時にプレゼントを貰ったんだよ。……ああいうのって、なんて言うのかな? まあ、ネックレスみたいなものだよ」


「へぇ、ネックレスっスか。男の人にプレゼントするようなものじゃ、無いっスね」


「……あんまりそういう言い方は、よくないよ? 会長だって俺のことを思って、プレゼントしてくれたんだから」


「…………お兄さんは、優しすぎるっス。あんな変態に、お兄さんが優しくする必要なんて無いんスよ? 嫌なら嫌って、ちゃんと言えばいいんス」


 天川さんは本気でこちらを心配するように、俺の顔を覗き込む。


「……ありがとう。でもさ、俺は今まで結構、会長にはお世話になってるんだよ。会長の態度がおかしくなっても、その事実は変わらない。だからあんまり……無下にはしたくないんだよ」


「お兄さんはホント、昔から変わらないっスね。……あたしを助けてくれたあの時から、何にも変わって無いっス」


 天川さんはそう言って、昔のことを思い出すように、夜空を見上げる。俺もそれに倣って、ゆっくりと夜空を見上げる。小さな星が、こちらを見下ろすように揺れている。


「……俺はさ、変わって無いんじゃなくて、変われて無いんだよ。昔からずっと、同じところで足踏みしてる。だからずっと……同じような失敗ばかりしてきた……」


「そんなこと無いっス! お兄さんは昔から凄い人なんス! あたしは……あたしはずっと、あの時からずっと、お兄さんのことを尊敬してるんス! だって……あの時お兄さんがあたしを助けてくれたから、今のあたしがあるんスよ?」


「…………」


 助けた。天川さんはそう言った。けど、俺が天川さんを助けたことなんて、あっただろうか? 正直、あまり記憶に無い。


「……もしかしてお兄さん、あの時のこと……覚えてないんスか?」


 天川さんは窺うように、こちらを見る。俺は……俺はこんなところで嘘をつく訳にもいかないから、正直に言葉を告げる。


「ごめん。悪いけど……あまり覚えて無いんだ」


「………………そうっスか。……いや、いいっス。あれはあたしにとっては凄い事だったんスけど、お兄さんにとっては当たり前の事だったんス。だからお兄さんが覚えてないのも、無理ないんスよ……」


「ごめん。大切なことなのに、忘れてしまって。……あ、そうだ。なら今、その話を聞かせてもらえないかな?」


「それは、ダメっス。内緒っス」


「なんで? 話せないようなことなの?」


「…………ダメなものは、ダメなんス」


 天川さんはそう言って、少し早足に前へと進む。俺はその後ろ姿を見ながら、過去のことを思い出してみる。……けど、思い当たることは何も無い。……少し申し訳ないなって、そう思う。


「あ、ここまででいいっス。この角を曲がれば、すぐそこっスから」


「そう? ……あ、いや、すぐそこなんだったら、家の前まで送って行くよ?」


「大丈夫っス。……それより…………その、前みたいに……頭を撫でてもらっても、いいっスか?」


 天川さんは照れるように、おずおずと頭を差し出してくる。俺は軽く息を吐いてから、優しくその頭を撫でてやる。……思えば天川さんは、他の3人よりずっとまともに思える。……これもまた、俺の甘い考えなのかもしれないけれど、2人っきりで話していると、どうしてもそんな想いが胸を過る。


「……えへへ。お兄さんはやっぱり、優しい人っス」


 天川さんはそう言って、どこか儚げに笑う。その笑顔は、普段の天川さんとは違ってどこか大人びて見えて……





 それでふと、思い出した。



「…………」


「お兄さん? どうかしたんスか?」


「……いや、ちょっと……ちょっとだけだけど、思い出した。そうか、天川さん……君は……」


「お兄さん。ダメっス」


 天川さんはまるで俺の言葉を遮るようにそう言って、真っ直ぐにこちらを見つめる。


「……ダメって、何が?」


「それ以上言われると、多分あたしは……我慢できなくなるっス。だからまた今度、その話はまた今度にするっス」


「…………分かった。じゃあ、天川さん。今日は助かったよ。……またね」


「いえ、大したことはしてないっス。……それじゃあ自分は、これで失礼するっス」


「ああ、気をつけてね」


 天川さんはこの前と違って、真っ直ぐな足取りで歩いて行く。……その後ろ姿を見ていると、やっぱり天川さんは違うんじゃないかって、そう思ってしまう。



「……結局これも、甘えなんだろうな……」


 そう呟いて、家へと向かう。月はまだ、登ったままだ。













「くふっ! ふふふふふふふふふっ! 思い出したくれたっス! 思い出してくれたっス! お兄さんが、思い出してくれたっス……! もう少し、もう少しでお兄さんも全部思い出す筈っス! そしたら、そしたら、そしたら……! ……お兄さんは、あたしだけのものになるんス……!」


 先ほどまでとはまるで別人のような顔で笑っている少女を、月明かりが照らす。……無論、俺にそんな少女の姿なんて、見える筈も無かった。



 ◇



 そして俺は、いつもよりもだいぶ遅い時間に家に帰る。



 そして



 ただいま



 と、俺が口を開く前に、玄関で待っていた摩夜が口を開いた。



「お帰り、お兄ちゃん。今から私と姉さんから、大切な話があるの。だから、急いでリビングに来て?」



 長い夜は、まだ終わらない。

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