会長はどうですか?

 


「ボクが1番さ、真昼に寄り添えると思うんだよ」


 会長の住むマンション。その一室に入り、テーブルを挟んで座布団に座る。そして、会長の淹れてくれた紅茶を一口飲んだ後、会長はそう言ってこちらを見る。


「……どういう意味です? それ」


 俺は正面に座る会長に視線を向けて、そう尋ねる。


「そのままの意味だよ。朝音さんと摩夜くんは、所詮は家族だ。……彼女たちがどれだけ君を愛そうと、注げる愛情には……限度がある」


「…………」


 そう言われて、俺は誤魔化すように視線を逸らす。……会長はまだ、知らない。俺が、姉さんと摩夜とは血が繋がっていないということを。でも流石にそれを今、言う気にはなれない。だから、ただ黙って会長の言葉の続きを待つ。


「そして、三月くん。彼女は、まだ子供だ。それに見たところ……そこまで君と親しそうにも見えない。……なら、1番良いのはボクだと思わないか?」


「……それは……」


「ボクなら、君に寄り添える。ボクが1番、君を分かってやれる。そしてボクが1番、君を愛している。……君はそんなボクじゃ、不服なのかい?」


 会長は真っ直ぐに、俺を見る。掛け値のない愛情で、俺だけを見つめる。俺はそれに……どう応えるべきか一瞬、迷う。でも、もうその瞳から逃げることはできない。なら俺にできるのは、ありのままの本心を会長に伝えることだけだ。


「会長、俺は……俺はそういうんじゃ無いと思うんですよ。青臭いって思うかもしれないですけど、人を好きになるっていうのは誰かと誰かを比べるようものじゃなくて、もっと……揺るぎのないものであって欲しいんですよ」


 できることなら、誰かよりも優れているからその人を好きになるんじゃなくて、その人がその人であることを、好きになりたい。……それは、単なるわがままかもしれないけど、俺は自分の心に嘘はつきたくない。


「……ふふっ。君のそういうところ、凄く可愛い。…………いいよ、分かった。それなら君は、ボクを好きにならなくてもいい」


「……え?」


 会長の唐突な言葉を聞いて、俺は驚きに目を見開く。


「ボクが君に告白した時、言った筈だろう? ……君は、ボクを愛さなくてもいい。君は、無理をしなくてもいい。君は、ボク以外を好きになっても構わない。それでもボクは、君が好きだ。ボクは確かに、そう言った。……ボクは今でも、その言葉を違えるつもりは無いよ」


「それは……」


 言われて、思い出してみる。……いや、思い出さなくても、覚えている。俺はあの会長の真っ直ぐな想いに、憧れたんだ。


 俺もこんな風に、誰かを好きになれたらな、と。


「思い出してくれたかい? ……ボクは、朝音さんや摩夜くんみたいに、無理に君に迫ろうとは思わない。そんなことをしても、君に好きになってもらえないと、分かっているからね」


「…………会長……」


 会長はもしかしたら、俺が思っていたよりずっと、変わっていないのかもしれない。姉さんや摩夜があまりにも変わってしまったから、会長ももう昔とは別人になってしまったんだと、どこかでそう思ってしまっていた。


 でも……。


「……ふふっ」


 会長は優しく笑う。……こんな会長なら、俺の気持ちを理解してくれるのかもしれない。無理に誰かを好きになる必要は無い。そう言ってくれた会長なら、或いは……。


「……会長、俺は──」


 そう俺が言葉を告げようとした瞬間、会長はまるでそれを遮るように、唐突に立ち上がる。……どうしたんだ? と思ったけれど、よく見ると、会長の紅茶が空っぽになっている。だからきっと、お代わりでも注ぎに行くのだろう。……そんな風に考えてみたけれど、会長はその考えを否定するように、俺の正面に立つ。


「会長……? どうかしたんですか?」


「…………」


 会長は何も、答えない。会長はただ黙って、裂けるようなどうしようもない笑みを浮かべて、俺を見下ろす。


「……会長?」




「………………ごめんね」



 そう言って会長は、そのまま俺を踏みつけた。



「ちょっ、会長⁈ 何するんですか!」


 俺は会長に強く踏みつけにされて、そのまま仰向けに倒れてしまう。会長はそんな俺の胸の辺りに足を乗せて、内側から湧き上がる衝動を抑えられないというように、どうしようもない笑みを浮かべる。



「…………ボクはね、できることなら……君の意思を尊重したいと思う。君がもし誰かを好きになるのなら、それがボクだったらいいな……なんて、それくらいささやかな想いの筈だった……ボクが君に向ける好意は……」


「…………」


 会長は、とても優しい瞳で俺を見る。俺は……俺は、今のこのシュチュエーションと、会長の笑顔の意味が分からなくて、上手く口を開くことができない。










「でもね。でもね。でもね。でもね……! どうしても、我慢できないんだ……! 君の困った顔を見ると、君の不安そうな顔を見ると、君の苦しんでいる顔を見ると、どうしても自分を抑えられない……! 君をこんな風に足蹴にして、君の困っている顔を見て……。真昼、君をぐちゃぐちゃにしたい……。君に、ぐちゃぐちゃにされたい……。そんな欲求が、ボクの中で暴れ回って、どうすることもできないんだよ……!」


 会長の足に力が入る。流石に胸が苦しくて、会長の脚に触れてでもそれを退けようとする。……けど、上手く力が入らなくて、会長の脚を退かすことができない。


「……か、会長……」


「ああ……! 凄く可愛い顔だよ、真昼……。もう君はずっと、ボクだけのものだ。この部屋でずっと、ボクだけが君を愛する。君の困った顔も。君の苦しみも。君の不安も。君の優しさも。君の愛情も。君の全てが……! 全部! 全部! 全部! ……ボクだけのものなんだ……!」


 狂気に染まった会長の瞳が、俺を見る。俺は……俺は見誤っていた。会長の狂気はもう、こんなところまで来ていたんだ。今の会長はもう、今までとは別人なんだ。


 それなのに俺は、話せば分かり合えるだなんて……なんて甘い考えをしていたんだ。


「…………」


 ……でもじゃあ、俺はどうすればいい? 俺はどうしたら、会長を止められるんだ?



「…………他の皆んなとの約束でね。今日の真昼は、ボクが独占していいんだ。キス以上のことはしない、そんな約束はあるけれどね。……ふふっ。『キス以上のことはしない』ボクは確かに、そう言った。そう……ボクが言ったんだ。だから誰も、ボク自身がそれを破るとは思わない。……くふっ」


 会長は笑う。狂気に飲まれた瞳で、会長は笑う。このままだと、不味い。それは分かるのに、どうすればいいのかが分からない。


「……くっ……」


 会長は女の子だ。だから力は、俺の方が上の筈だ。なのに何故か、会長の脚を振り払うことができない。……いや、会長は長年、武道を嗜んできたんだ。なら、力だけで振り払おうとするのは、無理な話なのだろう。



 ……だったら俺はもうこのまま、会長に好きなようにされるしかないのか?




「……ふふっ、大丈夫だよ? 真昼。ボクは君が好きだ……。だからボクは……心の底から君を愛してあげるよ。……絶対に壊れないように優しく。壊れる寸前まで、強く……ね」


 会長は、蕩けるような笑みを浮かべる。




 そして



 そして





 そしてふと、音が響いた。





 ピンポーン。



「…………」


 会長は冷めた瞳で、扉の方を見つめる。しかしそれでも、音は止まない。




 ピンポーン。ピンポーン。ピンポーン。ピンポーン。



 何度も何度も何度も、チャイムの音は響き続ける。




「居るのは分かってるんスよー! 早く出てこないと、無理にでも入っちゃうっスよー!」



「……………………」


 そんな声を聞いて、そんな声に邪魔をされても、会長はただ笑う。


「……ふふっ、君じゃボクを止められないよ、三月くん……」


 いつのまにか、日が暮れていた。長い夜は、まだ終わらない。


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