みんなと向き合います!
姉さんが、俺にキスをした。それもただのキスじゃ、貪るような激しいキスだ。
「…………」
思考がまとまらない。何も、考えられない。何の言葉も発せない。身体から魂が抜けたみたいに、指一つ動かすことができない。……そして、何も感じない。気持ちいいとか、ドキドキするとか、そんな感覚は全部消え失せた。
だから俺は、ただ眺め続ける。姉さんの激しいキスを、まるで他人事のように呆然と眺め続ける。
しかし、ふと音が響いた。
パンッと、何かが弾けるような音。そしてそれと同時に、姉さんの唇が俺から離れた。一瞬、何が起こったのか理解できなかった。俺は漠然と、このキスは永遠に続くものだって、そんなあり得ないことを想像していたから。
……だから、俺は理解できなかった。摩夜のその、行動が……。
「……お兄ちゃんから、離れろ」
摩夜が、姉さんの頬を叩いた。力強く、敵意を込めて、摩夜は姉さんの頬を叩いた。俺は何もできず、ただ唖然と摩夜と姉さんを眺める。
「いやだ」
姉さんは、妹に頬を叩かれたのに、特に気にした風もなく笑う。そして摩夜は、そんな姉さんを親の仇を見るような瞳で、ただ睨みつける。
「…………」
俺は、何の言葉を発せない。状況を理解できても、感情が追いつかない。……俺は……俺は一体、何を言えばいいんだ……?
「……ふふっ。なに本気になってるの? 摩夜ちゃん。私はただ、ゲームのルール通りに行動しただけじゃない。それなのに、私の頬を叩いたりして……ひどい子だね、摩夜ちゃんは……」
「うるさい。ゲームとかルールとか、そんなのもう関係無い。お兄ちゃんが嫌がってる。だからいつまでも、お兄ちゃんに触れるな」
「真昼が嫌がってる? ……あれ? 摩夜ちゃん、目が腐ってるのかな? 真昼はこんなに、嬉しそうなのに……」
「目が腐ってるのは、貴女の方よ。お兄ちゃんは、どう見ても嫌がってる。こんなに辛そうな顔して……可哀想。やっぱりお兄ちゃんは、私が守ってあげないとダメなんだ……!」
2人を止めないと、そう思うのに上手く頭が働かない。……いや、きっとどれだけ上手く頭が働こうと、俺には分からない。2人の愛情を止める方法なんて、俺には絶対に分からないんだ。……だって、そもそもそれを理解できていれば、こんな事にはなっていないんだから。
「……いや、ちょっと待つっス。お姉さんはその……何で、あんなキスをしたんスか。まるで……皆んなに見せつけるみたいに……。この……このゲーム、全部、お姉さんの仕込みだったんスか!」
しばらく放心したように黙り込んでいた天川さんが、意を決したようにそう叫んで姉さんを睨む。
「……うん? 違うよ。私がそんな、可愛い真似をするわけ無いでしょ? ちまちまゲームに手を加えて、自分が勝つようにする……なんて、バカみたい。あたしはそんなことしなくても勝てるし、仮に勝てなくても真昼は私のものなんだから、何も変わらない。……そうでしょ?」
しかし、姉さんは気にしない。姉さんはただ狂ったような瞳で、天川さんを見る。その、人を恐怖に苛む瞳を見て、天川さんは気圧されるように一歩、後ずさる。
「姉さんの考えなんて、全部どうでもいいの。……大事なのは、お兄ちゃんのこと。頭のおかしい姉さんも、肝心な時に動くこともできない他の2人も、もう要らない。お兄ちゃんに本当に必要なのは……」
摩夜が俺を見る。俺を見て、そして……。
「大丈夫だよ? お兄ちゃん。お兄ちゃんは、私が守るから」
摩夜は俺を抱きしめた。守るように、愛するように、慈しむように、摩夜は優しく俺を抱きしめる。
「ちょっと、ちょっと待ってくれ! ボクは……ボクは全く、状況についていけてない……! なぜ、朝音さんが真昼にキスをする? あれは……ゲームだから、なんて言えるほど、生易しいものじゃ無かった! 貴女たちは兄妹だろ? おかしいじゃないか!」
会長は真っ直ぐに、姉さんを睨む。でも姉さんは、気にしない。
「あれ? 桃花ちゃんは、知ってたよね? 私が真昼を好きだって。というか、自分だって真昼のことが好きなんでしょ? ……ふふっ、どうしたの? そんな怯えた顔をして……。大丈夫だよ? 私も昔みたいに狭量じゃないから、真昼を好きになることくらい許してあげる。……だってどうせ、真昼は私のものだもん……」
「…………」
会長に返せる言葉は無い。会長はただ恐怖するように、姉さんから視線をそらしてしまう。
「違うよ? 姉さん。お兄ちゃんはね、私のなの。他のバカな女じゃ、お兄ちゃんを守ってあげられない。お兄ちゃんを守れるのは、私だけ。だからお兄ちゃんは、私のものじゃないとダメなんだよ」
「守る? 摩夜ちゃんはバカだなー。真昼は強い子だよ? だから、誰かが守ってあげる必要なんて、どこにも無いの。真昼に必要なのはね、愛情なんだよ。とびっきりの愛情と、優しく甘えさせてあげられる身体。それがあるのはね、私だけなんだよ? この世界で……私だけ。……ふふっ、だから真昼はね、私のことしか好きにならないの。……当たり前のことでしょ?」
「……貴女はただ、自分が愛されたいだけの寂しい人。本当はお兄ちゃんのことなんて、見てない」
「ふふっ。それは貴女の方でしょ? 摩耶ちゃん。貴女には真昼しかいないから、真昼を自分の感情のはけ口にしてるだけ。……だから貴女の方こそ、真昼を見てないんだよ」
「…………」
「…………」
2人はただ、睨み合う。狂気を孕んだ瞳で、ただ睨み合う。
「……それにね、摩夜ちゃん。真昼を守るなんて言ってるけど、もう遅いよ? ……真昼の首筋、見てみなよ。抱きつかせてもらってる今なら、よく見えるでしょ?」
「…………」
摩夜はゆっくりと、俺の首筋を確認する。自分では見えない、鏡にも写らない首の裏側。摩夜はそこを見て、『あ』と吐息のような声をこぼす。
「見つけられた? それはね、キスマークって言うんだよ? 激しく強くキスをしたら残せる、愛の証。……ふふっ、真昼ったら、昨日はあんなに激しく私を求めて……可愛かったなぁ……」
そう言って姉さんは、蕩けるような笑みを浮かべる。まるで摩夜を、小馬鹿にするように。
「お前はっ……! よくもお兄ちゃんにっ!」
摩夜は俺から手を離し、姉さんに摑みかかる。対する姉さんは、いつも通りの余裕の笑みを返すだけで、動揺は微塵もない。そして、天川さんと会長は、ずっと口を挟むこともできず、ただ2人を眺めている。
そして、
そして俺は、2人のどうしようもない姿を見て、ようやく重い口を動かすことができた。
「…………もう、やめてくれよ。姉さん、摩夜。……頼むからもう、やめてくれ……」
身体から力が抜ける。俺は糸の切れた操り人形のようにその場に座り込み、天井を眺めながら言葉を続ける。
「今日はさ、楽しい日にしようって、そう思ってたんだよ。……その為に色々、準備してきた……。………………でも……」
思い出す。俺は、1番初めの失敗を思い出す。
「摩夜の誕生日プレゼントに用意した、オルゴール。今日……渡せなくて、ごめんな。あれさ、今朝試しに鳴らしてみたら、なぜか鳴らなかったんだよ。いくら試しても、なぜか……鳴らないんだよ……」
「…………」
「…………」
2人は動きを止めて、俺を見る。俺はそれを見て、疲れたように大きく息を吐く。
なぜだろう? 昔から、ここぞという時に失敗する。いけると思った時に落ちてしまう。自分が大した人間じゃないって、知っている。でもだから、変わりたいと思って、だからこそ、今まで頑張ってこれた。
……でも。
「ごめん、摩夜。……姉さんも、天川さんも会長も、皆んな、ごめんな。俺が全部悪いから、もう全部俺のせいにしていいから、だからもう……やめてくれ。……今日だけでいい、今日だけでいいんだよ。もうそれだけでいいから、今日だけは楽しい日にしようよ。…………だって今日は、摩夜の誕生日だろ?」
酷く、疲れていた。愛されることがこんなに辛いだなんて、思いもしなかった。……いや、俺は知っていたからこそ、誰かを選ぶことができなかったのか? ……いや、それこそ言い訳だ。俺はただ、本当に苦手なことから逃げ続けてきて、だからこれこそが、その結果なんだ。
「…………お兄ちゃん……」
「……真昼……」
2人はどこか驚いたように、俺を見る。いや、2人だけじゃ無い。会長と天川さんも、同じような瞳で俺を見る。皆、少しは分かってくれたのだろうか?
「…………」
そう思って、俺はみんなに笑顔を返す。今からでも十分、楽しい誕生パーティーはやり直せる。だから俺は、安堵の息を
でもふと、声が響いた。まるで示し合わせたかのように、4人が同時に口を開いた。
「大丈夫だよ? 」
そう言って、皆が俺をみる。真っ直ぐにただ、俺だけを見る。
「──それでも、私だけは、」
「──それでも、あたしだけは、」
「──それでも、ボクだけは、」
「──それでも、私だけは、」
「ちゃんと、分かってるから」
変わらない狂気の瞳が、俺を射抜く。だから俺はもう、何の言葉も発せない……。
誕生パーティーは、まだ終わらない。狂ったように絡み合って、最後の最後まで決して止まらない。
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