2 黒の刺客

 森の中を慎重に歩いて行くと、何かの導きのように、悪意ある気配の方角をはっきりと読み取れた。小屋から少し離れた北の洞窟の手前だった。歩き慣れた森とはいえ、こうも禍々しい気配が漂っていては自由に歩くこともできない。気配の主は強大な力を持っているようだった。対峙しても対応できるかどうか分からない。体の中の毒の血が、沸き立つように騒いだ。

『さぁ、こっちへおいで。恐がらなくてもいいんだよ』

 悪意ある気配が、はっきりとルナを誘っていた。

『そう、こっちだよ。早くおいで』

 どこかで聞いたことのあるようなないような、不思議と胸に染みるだった。その声に従い、ルナはぽっかりと闇の口を開ける北の洞窟へ来た。

 木々の裏側まで注意して気配を探ってみたが、姿は見えなかった。

『ルナ、来てくれたんだね』

 そんな声が聞こえたときだった。ほっそりした蔦のようなものが幾筋も洞窟の黒い口から吐き出され、両腕を巻き込みながらルナの腰に巻き付いた。慌てて洞窟を見ると、ルナと同じような真っ黒なローブを羽織った『誰か』が、洞窟の奥から出てきた。頭からフードを被り、顔は分からない。ほっそりした体付きだったが、声と口振りからして男なのだろう。ルナの前に姿を現した彼は、音もなく口角を上げた。

『来てくれてありがとう、ルナ。僕は君を連れて帰るよ。護身の呪いを持った君を。魂はいらない。体だけが欲しい。持って帰って見せてやるんだ。僕を捨てた、あの人にね』

 色んな疑問が頭に湧いたが、腕もろとも拘束されたルナに言葉を発する余裕はなかった。細くしなやかな蔦が彼の背後から幾筋も伸び、次から次へとルナの体に巻き付いていった。

『ひどいことをしてごめんね。でも、僕はやっぱり、許せないから』

 彼が手を上げると、ルナは体を持ち上げられ、後ろの木の幹まで引っ張られた。背中が幹に叩きつけられると、どしんという重い響きが体中に広がった。

 蔦の束は幹もろともルナを堅く縛り上げ、さらに分厚く巻いていった。

『本当は刺してしまった方が楽なのだけれど、君の血を浴びたら僕自身も危うくなってしまうからね。かわいそうだけれど、首を絞めることにした。ごめんね』

 細い蔦の束はルナの体を足から肩まですっかり覆うと、今度は首へ伸びてきた。ルナは咄嗟に首を背け、蔦を避けようとした。

 一筋の蔦の鋭い先端が、ルナの首を掻き切ったのは、そのときだった。さすがの彼も予想外だったようで、肩を落として呟いた。

『ああ、掻き切っては駄目だよ。血が出てしまう』

 ルナはもう、意識がなかった。切られたところから太い血の筋が垂れ、蔦を濡らしていった。毒の血に触れた蔦は次々と枯れていき、もうルナを攻撃する力はなかった。ルナは木の幹に捕らえられたままぐったりしている。

「ルナーっ!」

 遠くから人の声が聞こえ、彼はふっと疲れた溜め息を吐いた。彼は気を失ったままのルナに言い残した。

『いつかまた必ず、君を迎えに来るよ』

 ノクスとエクラがルナのもとに着いたとき、男はもう姿を消していた。二人は木の幹に巻き付けられたルナの姿を見て絶句した。ルナの危機を二人に伝えた使い烏のクレーも落ち着きなく空を飛んでいる。トロス医師はまだ来ない。ルナは毒の血を流している。

 二人はルナの厳命で肌身離さず持っている解毒剤を飲んだ。こうしておけば、毒の血が二人に牙を剥くことはない。

 二人は幾重にも巻き付く細い蔦を切っていき、必死の思いで蔦の中からルナを助け出した。

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