第111話 詰みの一手
「破魔の力よ、刃となり斬り裂け!」
「我が力よ、粉砕せよ」
光の手から無数の輝く刃が放たれ、黒の身体から染み出すように現れた漆黒がそれを包み込んで粉々に打ち砕く。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
魔王が防御に意識を割いた一瞬の間に距離を詰め、掌底を突き出す光。
「ふむ」
大きく後ろに跳ぶことで、魔王はそれを回避。
そんな攻防が、既に数百は重ねられていた。
「術式が複雑すぎて流石に解析しきれませんわね……いえ、正確に解析しきらなくとも良いのです……付け込める部分さえ見つかれば……こんな時でなければ、じっくりと腰を据えて眺めたい程の見事な術式ですけれど……」
そんな戦いから少し離れたところで、環はブツブツと呟きながら『聖炎』の解析を進める。
「うふふふぅ、やはり戦う勇者様も至高でございますねぇ」
一方、元凶である菜々水は踊るように軽やかなステップを刻んでいた。
二人にギリギリ接触するかというところで付いていきながら、光と魔王の戦いを超至近距離で観戦しているのである。
(鬱陶しいですわね……いっそ、先に術者の方を仕留めれば……いえ、下手な形で術式を中断した場合の挙動が読めない以上それは悪手……まして、術者がこの狂信者ですもの……というかこの方、恐怖はないんですの……? いくら光さんが制御下にあり、魔王も加減しているとはいえ、あの距離は下手すると即死範囲内でしてよ……? っと、余計なことを考えている場合ではございませんわね……)
菜々水の行動に若干苛立ちつつも、頭は冷静に分析を続ける。
そして。
(見えましてよ!)
環の脳内に、ピンと一本の線が繋がったような感覚が生うまれた。
「魔王! 一瞬で構いません、光さんを足止めなさい!」
「妾に命ずるでない」
そう返しつつも、魔王の表情に不快感の類はなく。
「我が力よ、捕らえよ」
「むっ……!?」
魔王が手をかざすと地面から生じた漆黒が光の足に絡みつき、一瞬だけだが動きに鈍りが生じる。
光はすぐさまそれを蹴散らし体勢を整えるが、環にとってはそれで十分。
「我が魂よ、彼の者の魂に干渉し……」
全力で距離を詰めながら、右手を大きく振りかぶり。
「寝坊助の、目を覚ましなさい!」
「あいったぁ!?」
環の全力のビンタを食らって、光が涙目になった。
「痛ぁ……だ、だけど、助かったよ環」
どうやら洗脳状態にあった時の記憶もあるらしく、光は頬を撫でながらもホッとした様子を見せている。
「ありが──」
だが、礼の言葉は途中で止まった。
「はぁぁ、流石流石ぁ、本当にお見事でございますぅ。まだ
パチパチパチと拍手する菜々水は、本気で感心している表情だ。
「ですがぁ」
そして、その顔には余裕が満ちていた。
「わたくしめの『聖炎』からはぁ、逃れることは出来ませんがぁ?」
その証左とばかりに、再び虚ろな目となった光が拳を構え……る、直前。
「はいもう一発ですわぁ!」
「あいったぁ!?」
先に、環のビンタが炸裂した。
「お……おやぁ? もしやぁ、伝わっておりませんでしたかぁ……? わたくしめがいる限りぃ、何度やっても無駄なのですがぁ……?」
ここに来て、初めて菜々水の表情に動揺の色が浮かぶ。
同時に『聖炎』が揺らめき、光の目が虚ろに。
「ならば何度でも目を覚まさせるのみでしてよ!」
「あいったぁ!?」
そして、即座に涙目となった。
「ねぇ環、これホントに毎回ビンタ挟まないといけないのかなぁ!?」
「光さんは光さんに戻った途端、本当に光さんですわね……そこは仕様なのですから、我慢なさい!」
「割と環の匙加減じゃない!?」
「嫌なら少しくらい洗脳に抗ってみせなさいな!」
「いやこれ、ホントに抵抗出来な──」
「言っているそばから!」
「あいったぁ!? ちょ、ちょっと一旦休憩──」
「これは、兄様に浴衣を褒められていた時の分!」
「あいったぁ!? だから、ペース早──」
「これは、兄様に口を拭ってもらっていた時の分!」
「あいったぁ!? ていうか、さっきからなんか個人的な感情が混じってない!?」
少しずつ、虚ろから涙目への感覚が短くなってきている。
「……もしやぁ、貴女様の狙いはぁ」
そんな様を胡乱げに見ていた菜々水が、何かに思い至ったような表情となった。
「何度も繰り返せばぁ、いずれわたくしめが手を止めると考えてらっしゃいますかぁ? 勇者様の身を案じるだろうとぉ? だとすればぁ……」
「このわたくしが、そのようななヌルいことを考えているわけがないでしょう」
菜々水の言葉を遮り、環はハンッと鼻を鳴らす。
「事はもっと単純……純粋に、魔力量勝負でしてよ!」
そして、ズビシと菜々水を指差した。
「いくら完全特化型とはいえ、光さんの魔術抵抗を破るには相当な魔力が必要なはず。あとどれだけ維持出来まして? 一方のわたくしは、光さんをこのまま一日中引っ叩いても魔力は十分に残ります! さぁ、どちらが先に果てるか勝負と参りましょうか!」
「私の耐久力とか精神力が果てる可能性についてもご考慮いただきたいところなんだが!? いや、ホントにありがたいはありがたいんだけどね!?」
胸を張って宣戦布告する環に、光が叫び声を上げる。
「……というのは、冗談で」
そんな中、ふと環が真顔となった。
「魔王」
「我が力よ」
視線を向けることもない環の呼びかけに、魔王が片手を掲げる。
「帳となれ」
その手が振り下ろされた瞬間、月明かりが消え周囲が完全な闇に包まれた。
「今です、光さん! 全力でここから離れなさい!」
「え? ……あっ」
最初は環の意図をはかりかねた様子だった光だが、一瞬の後に声に理解の色が宿る。
「すまない、ありがとう……! 破魔の力よ! 我が脚に宿れ!」
魔力のアシストを得た光の気配が、瞬く間に遠ざかっていった。
数秒後、月明かりが戻る。
「なるほどぉ、こちらが本命でございましたかぁ。本当にぃ、お見事でございますぅ」
先程までが完全な暗闇だったこともあり、菜々水の邪気のない笑みがやけに鮮明に照らして出されているように見えた。
暗がりの中にあって、彼女の全身を包む『聖炎』がある程度の光源となっているからというのもあるだろう。
「正直、物は試し程度でしたけれど……どうやら、『聖炎』の発動条件は貴女による対象の『目視』で正解だったようですわね」
「んふふぅ、そうでございますねぇ。暗闇に目を塞がれ視界外に逃れられてはぁ、どうしようもございませんねぇ」
そうは言いつつも、彼女に動揺の気配はない。
「……そういう作戦ならば、何発もビンタする必要はなかったのではないかえ?」
「最初は、すぐに再洗脳されておりましたでしょう? 会話に持ち込んで隙を作る必要があったんですのよ」
表に出てきたらしい黒に対して、環はしれっと答える。
「……私怨はなかったと?」
「ボンッを散々我慢してきただけあって、気持ちよかったですわぁ……!」
「じゃよな? 終盤、あの時の分っちゅーとったもんな?」
「ビンタによって頭部に直接衝撃と魔力を与えるのが解呪術式としては最適。会話に持ち込むには、何度か実演してこちらの意思を示すのが最適。最適な結果を選んだら、結果的にわたくしも多少スッキリ出来たというだけのお話です」
「お、おぅ……」
「とはいえ」
引き気味の黒から視線を外し、環は菜々水の方を見た。
「光さんを逃がすのに失敗したとしても、先程言った耐久戦を実際にやるまで。つまり、わたくしが『聖炎』を破る術式を得た時点で貴女は
「いえいえそんなぁ、わたくしめ如きの妨害で貴女様が幾分も乱れるとは思っておりませんのでぇ。それならばぁ、勇者様を眺めていた方が有意義でござますぅ」
あまりに平静さを保ったままの菜々水を見る環は、どこか不気味そうに目を細める。
「既に諦めているのでしたら、投降して『聖炎』を完全解析させなさい。二度と使われないよう、わたくしの手で封印致します」
「うぅん、それは困りますぅ。まだ、
「……何を企んでいますの?」
明らかに、何か
「そうでございますねぇ、差し当たってはぁ」
とぼけた調子で、菜々水は考えるように大げさな仕草で夜空を見上げる。
「
それから、相変わらずの邪気のない笑みと共に地面を指差した。
「っ!? しまっ……!」
慌てた地面に目をやった時には、既に
(チョロチョロと鬱陶しく動き回っていたのは、この陣を描くため!?)
今更ながらに菜々水の意図に気付くが、悔やむのは後回し。
(にしても、何ですのこの魔力量は……!? まるで魔王や光さんクラス……っ!?)
幾分冷静さを欠いた頭に、一つの可能性が浮かんだ。
(まさか、魔王と光さんの戦いで生じた魔力を利用して……!?)
魔王と光の戦いは主に魔術を中心としたものであり、相殺された魔術は魔力に還る。
それが霧散する前に魔法陣に取り込んでいたとすれば、膨大な量となったろう。
菜々水がわざわざ二人の戦いの至近距離をキープしていたことにも、辻褄が合うと言えた。
(いえ、それ程の魔力を即席の魔法陣で制御出来るはずが……なら、暴発が目的!? 最初から、わたくしと魔王の物理的排除を目論んでいたと……!?)
だとすれば、やけにあっさりと光を逃したのにも納得がいく。
「魔王、その身体を全力で守りなさい! 洒落にならない規模のが来ますわよ!」
「ちゅ、ちゅーても、どうすればいいんじゃ……!?」
「はぁ!? こんな時に、エイティ・バオゥが表ではありませんの!?」
明らかに黒が表に出ているとわかる反応に、環の目が大きく見開かれた。
「とにかく魔力を集中させて、目の前に壁を作るイメージで全部注ぎ込みなさい!」
「しょ、承知じゃ……!」
「我が魂の力よ、全てを賭して絶対なる障壁となりなさい!」
「我が力よ、えーと……全力で護るが良い!」
環と魔王の前に強力な障壁が出現する中、魔法陣はますます強く輝き周囲を眩い程に明るく照らし出す。
その光量はまるで太陽のようで、とてもまともに目を開けてはいられなかった。
(……ところでこれ、いつになったら暴発しますの?)
冷や汗を流しながらも、環の中に少し残った冷静な部分が細目で魔法陣の解析を開始。
そして、
「………………は?」
魔法陣は一見複雑なものながら……解き始めてみれば、根底の魔術そのものは散々見慣れたものだったから。
「
初歩も初歩……魔術師一日目の初心者だって使えるくらいに簡単な魔術だ。
「……あっ」
同時に、己の過ちを悟る。
(
だが、もう遅かった。
「……んんっ? なんじゃ、身体が動かんのじゃが……!?」
「……してやられました」
戸惑う黒の隣で、環も首から下が動かない己の身体に歯噛みする。
「まさか、
ここまでの魔力を注ぎ込んでおきながら、通常はありえない選択肢。
だが、ここまで単純な魔術ならば大魔力の制御も難易度は相当に下がろう。
それこそ、即席の魔法陣でも可能なほどに。
「はいぃ。そちらはぁ、バチクソに魔力を込めてぇ、バチクソに
それに対して、
とはいえ、環や魔王クラスの術者であれば表面上の魔力が空になったところで内から湧き出る魔力によって即座に満タン近くまで補充される。
ゆえに、本来それも隙とも呼べないレベルである。
そう……これが、
「発動し続けている『聖炎』を
表面上の魔力が消える時間が……一時的とはいえ一般人並になった瞬間が少しでも生じたならば、菜々水の勇者専用カスタマイズ『聖炎』でも通る余地が生まれる。
そして、『聖炎』の発動条件は恐らく菜々水による対象の目視。
菜々水はこれまで、
「とはいえお二方共ぉ、流石でございますぅ。あまりに短時間でしたがゆえぇ、意識どころか首より下の自由しか奪えないとはぁ」
誇るでも嘲るでもなく、菜々水はむしろ言葉通りに感心の面持ちだった。
「しかしぃ、これにてぇ」
そして、ニコリとやはり邪気のない笑みを浮かべる。
「
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