相乗効果のダブルトルネード
「おい、今から高井戸のPV作るぞ?」
駒沢に声を掛けられた豊洲は唖然となる。
「え、戻ってくるのを待たないんですか?」
「誰が大人しく待つなんて言ったよ。駆け落ちなんてのは戻って来ねぇのが相場なんだよ馬鹿野郎。だったら来させりゃいいだけの話だろが」
しばらくすれば戻ってくると言った本人の口から、予想していなかった言葉が返された。しかもMVでは無く、PVを作るとか言い出したのだ。
豊洲は血の気が引いていくのを感じた。
そして、駆け落ちという言葉に、敏感に反応する高井戸美由紀。
「か、駆け落ちって……ねえ駒沢さん、どういう事なんですか?」
面倒くさそうな顔をする駒沢だったが、月島には意味が分かったようだ。
「美由紀ちゃん。なにも彼らが駆け落ちしたという話じゃ無い。年寄りの例え話というのは大袈裟なものなんだ」
「そ、そうなんですか……」
駒沢は、年寄りという言葉に怒るどころか、助かったぜというような目を月島に向けた。
……あんたとは長い付き合いだ。俺を止めてまで彼らを行かせたのは、考えが有っての事だろう。と、目で語り返した月島は、黙ってコントロール・ルームから出て行った。
「駒沢さん……MVの収録はどうするんですか?」
「んなもん中止に決まってんだろ、中野も居ねえんだからよぉ。分かったらさっさとPV作りに取り掛かれ」
「え、で、ですが……」
作品の世界観の表現を主とするMV(ミュージックビデオ)と、宣伝を含めた販売促進を主とするPV(プロモーションビデオ)では性質が異なる。
高井戸美由紀の今までのイメージを払拭するには、MVこそが必須なのだと考えていた豊洲は焦りの色を隠せなかったが、それを無視するように、駒沢は音響の井口に話し掛けた。
「井口、オメエの事だ。ランスルーもしっかり録ってんだろ?」
「ご無沙汰です駒沢さん。ええ、まんまハイレゾでもいけると思いますけど、聴いてみますか?」
「ふんっ、オメエの腕を疑っちゃいねえよ。よし、PVはその音源で編集しろ……ああ、音重視だ。映像なんか適当でいいから二時間以内に仕上げてくれ」
駒沢が何を考えているのかが分からず、頭が混乱してくる豊洲。
「豊洲よぉ。オメエ、恋愛経験はそんなに豊富じゃねぇんだな」
「……は?」
「19時きっかしにPVアップするからよ」
完全にパニックになる豊洲。
「待って下さい。言ってる事が滅茶苦茶ですよ駒沢さん!」
一瞬だけ高井戸美由紀を見た後、いきなり豊洲の襟をつかむ駒沢。
「ちょっと出ろ」
豊洲をコントロール・ルームから引きずり出した。
コントロール・ルームの前は演奏ブースだ。
そこに並べられている折りたたみチェアには、駒沢と月島が連れてきたA&R二名と、腕を組んだ月島が座っていたが、駒沢が「何でも無ぇから向こうへ行ってろ」と、A&Rの二人を追い払った。
向こうの方にバンドメンバーは居るが、ここなら聞こえないだろうと判断した駒沢が豊洲を睨む。
豊洲は不安そうな表情を見せた。
「一晩越えちまうと手遅れだっつってんだよ。分かんねえのかオメエは」
「何を根拠に言ってるんですか。彼はああ見えて立派な人格を持っています。決して軽はずみな行動を取るような人間ではありません」
「俺ぁ、南雲って野郎の事を言ってんじゃねぇよ」
「え……いや、それこそ考えられませんよ」
南雲本人が居れば失礼極まりない言葉だが、豊洲はそれだけ実直過ぎる男なのだ。一応、天然とも言う。
「ふんっ。悪りぃが俺ぁ伊達に年は食っちゃぁいねぇ。相手の態度見りゃ大体分かんだよ。いいかよく聞け……中野は奴にベタ惚れどころじゃねえ!」
「まさか……あの顔ですよ?」
――実直過ぎる男なのだ。
すると、そこに置かれている折りたたみチェアに座っていた月島が立ち上がった。
「豊洲ちゃん。駒沢さんの目は確かだ。それと、俺がお前をちゃん付けで呼ぶ意味を理解してくれ」
月島の言葉に、落ち着きを取り戻した様子の豊洲。
「……19時まで後三時間しか有りませんね。間に合うよう全力を尽くしますので、よろしくお願いします」
◇
――午後七時。
ローリングレコーズ・ジャパンのオフィシャルサイトで、それは公開された。
『卒業式で貴方を好きになるなんて』
作詞作曲:NAGー0.45R
唄:高井戸美由紀
――投下されたラブソングは瞬時に爆発し、たちまち日本中に爆風を巻き起こした。
それは予告無しの高井戸美由紀の音楽界デビューに加え、現在注目度ナンバーワンなのに謎の人物NAGー0.45Rのダブルトルネードだ。
間もなく、ローリングレコーズ・ジャパンの本社ビルには、各テレビ局からの問い合わせが殺到した。
ローリングレコーズ・ジャパンからの回答は「ノーコメント」
これは投下した本人である駒沢の指示だ。そして駒沢はまだスタジオに居る。
◇
「急ごしらえにしては良い出来だな、駒沢さん」
「ふんっ、これなら奴らも帰ってくるしかねぇだろ」
「ああ、そうだといいけどな……ところで井口、彼がこの曲をこれで作ったというのは本当か?」
月島は、テーブルに置かれているハードシーケンサーを指さしている。
「はい、バンドメンバーは勿論、スタッフも全員その様子を見てます。それに……これだけの歌詞と曲を一時間足らずで作ったんですよ。信じられないくらいの才能です」
「だとよ、駒沢さん」
「……月島すまねぇ。井口の話聞いたら自信が無くなっちまった。奴らが帰らねぇ可能性が高ぇ……」
「ああ……奇遇だな。俺もそう思うよ」
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