動物園は各地から動物が集められている。集める手間は本当に必要だろうか?




「楽しんでいるか?」

 階段から下りてきた男性の口元は、なぜか緩むのを必死に抑えているようだった。

「おかげさまで、虚無の時間を過ごしているわ」


 真理が皮肉を言うと、ついに我慢できずに男性は大きく笑った。


「いや、すまんすまん。これからのあんたたちの表情を考えていると、笑いをこらえなくて……ふはふは……ばはははは!!」

 ひとりで爆笑し始める男性に、祐介は何が起きているかわからずに、真理は怒りを大きく飛び越しあきれとなり、それぞれ高速でまばたきをしていた。


「……あの、それで……これからとはいったい?」

 祐介が戸惑いながらたずねると、男性は壁に手をつき「ぜえ……ははは……ぜえ……」と笑い疲れで乱れた息を整えていた。

「ああ、そいつに触れるとわかるさ」


 男性が指さしたのは、モニターのひとつ。雪原を駆け抜けるウサギが映し出されているモニターだ。


 祐介は半信半疑でモニターに触れる。


 すると、その手がモニターを突き抜けた。


「!?」


 慌てて手を引っ込める祐介。

 それを後ろから見ていた真理は、祐介の隣まで移動し、モニターに恐る恐る人差し指を入れ、感覚を確かめるように出し入れした。


「手だけじゃなくて、体全身を入れてみろ」


 男性に言われた祐介と真理は、互いの顔を見て、ゆっくりと右足を入れ、そこから全身をモニターに投げ出した。






 ふたりが出てきたのは、雪原。


 白い雪の上を、ウサギが走っている。


 ウサギと祐介たちの間、そしてウサギの奥には、透明な傘のような半球状のドームの壁がある。


 真理が後ろを振り返ると、そこには小屋の中と同じモニター。


 そして、それを固定する柱が、地面と傘をつないでいた。


「ほら、驚いているだろ?」

 そのモニターから男性の顔がのぞいた時、ふたりは驚いて尻餅をついた。

「その登場の仕方が一番びっくりするわよ!!」

 真理が叫ぶものの、ドームの中のウサギは耳を立てずに走り続けている。

「あ、あの……これって……」

 祐介が戸惑いながら辺りを見渡すと、男性はモニターから出てきて説明を始めた。

「ここは私の兄弟たちの協力があって実現した、世界をつなぐ動物園。そして、このドームはこの動物園を支える重要なもののひとつだ」

「それなら、世界各地にこのドームを置いているわけ? 本当に入場料100円で元が取れるの?」

 疑わしくたずねる真理の言葉に男性はその場で鼻で笑った。

「別に入場料で飯を食っているわけじゃない。単に兄弟たちの自己満足でやっているようなもんだ。世界各地に設置できたのは、この動物園の話を聞いて興味を持ってくれた友人のおかげだがな」


 男性は再びモニターに手を入れ、振り返った。


「私は先に戻っているが、ゆっくりしていってくれ。動物園はウサギだけじゃないが、急いで全部巡るものではないからな」






 小屋の中で、祐介と真理はモニターから現れ、別のモニターの中へ移動する。


 平原の羊、山の鹿、荒れ地のゾウ、砂場のラクダ、氷の上のペンギン……


 モニターから出てきて、さらに別のモニターへと向かうふたりの姿は、動物園を楽しむ兄弟そのものだった。






 すべてのモニターを巡り終えたころ、ふたりは階段を上がった。


 小屋のベッドに腰掛けていた男性に近づき、祐介がおじぎをする。

「興味深い体験をさせていただきました」

「結構丁寧なんだな、兄の方は」

 うなずきながら男性は祐介から真理に目線を映す。

「妹ちゃんの方はどうだ?」

 男性の言い方に真理はしかめっ面になった。

「……確かにあの発想は面白かったわ。でも、エサ代はどうしているのかしら?」

「エサ代はタダだ。なんせ、1時間ごとに動物を放して別の野生動物を入れているからな」

 その説明に、真理はすぐさま疑問が深まったような表情に変えた。


「それでは、僕たちはこれで……」


「ああ、見たくなったらまたこいよ。動物も変わっていることがあるからな」


 祐介と真理は男性に別れを告げ、玄関の扉に向かった。




 その玄関の扉に手をかけたところで、祐介はふと後ろを振り返った。


「最後に気になることがあるんですけど……聞いていいですか?」


 男性は何も言わず、うなずいた。


「あなたのご兄弟……見当たらないのですが、どこにいるんですか?」


 小さく鼻で笑い、祐介の背中のバックパックに目を向ける。


「チラシを送った唯一の客であるあんたなら、その質問はわかって聞いているんだろ?」


 祐介はしばらく固まったが、やがて納得したようにうなずき、掘っ立て小屋から出て行った。


 これに関して真理は、特に興味を持たないように、淡々と外へ足を進めていった。






 男性がベッドの上にある照明のスイッチに手を伸ばしたころ、


 ベッドの上に置かれていたスマートフォンが着信音を流して振動した。


 それを手に取り、男性はベッドに腰掛ける。




「もしもし……ああ、あんたか」


「……目的地についた? よし、それじゃあ親父を海に投げ入れてくれ」


「……だいじょうぶだって。親父は溺れ死ぬことはないんだ」


「……私の兄弟たちが世界各地に行ったのを聞いて、親父もどこかに行きたいとウズウズしていたからな」


「……そうそう、親父を投げ入れたらお袋を山に置いてくるのを忘れずに」


「……ああ、それじゃあな」




 スマートフォンを床に投げると、男性は照明のスイッチを切った。

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