思い出は寝ている間に整理される。眠りたい夜には、カフェインを避けよう。



「久しぶり! 元気にしていた?」


 女性は我輩に顔を近づけ、親しそうに話しかけてきた。

 外はねさせたショートヘアの頭には赤いキャップを被り、ポロシャツにサイズの合ってないモッズコート、ライン入りズボンにスニーカーに、背中にはメッセンジャーバッグを背負っている。


「ああ、5年ぶりか……“加和かわ”」


 加和というこのボーイッシュな女性は、名前を呼ばれるとなぜか胸をなで下ろした。


「よかった。空気の読めない信士のことだから、覚えていないって言うかと思った」

「空気を読めないことと、顔を忘れるのとでは違うだろう」

 ため息をつくと、加和は面白がるようにケラケラと笑った。本人は懐かしく感じているつもりなのだろうか。

 そう考えていた直後、加和は後ろのガラスケースに目線を移した。

「ねえ、晩ご飯でも食べに来たの?」

「ああ、値段が予算オーバーでなければこの店に入っていたところであるが……」


 つい口から、余計な言葉を吐いてしまった。


 後悔した直後、我輩の右腕は加和の左腕に引っ張られた。


「それじゃあさ、一緒に食べようよ。美味しいケーキのあるコーヒーの店、しってるからさ」


 強制的に腕を組まされ、レストランから引き離されていく。


「……人の前で腕を組むのは恥ずかしいのだが」


「いいじゃん、前までは肩をくっつけてベンチに座っていた仲だったでしょ?」


「それは5年前の関係であるが……」






 無理矢理連れてこられた場所は、雑居ビル4階のコーヒーショップだった。


 窓の外はビルの明かりという星で埋め尽くされており、その絶景を落ち着いた照明のある室内からコーヒー片手に探訪できるのだ。




 窓際のカウンターテーブルの席に加和と隣り合って座り、モンブランの一部をスプーンですくい、口に入れる。欠けたモンブランのそばに置いてあるカフェオレはカフェインの少ないデカフェである。


「信士、仕事の方はどう?」

 隣の加和からの質問は、このカフェオレを一口飲んでから答えよう。

「ボチボチというやつである」

「それ、今でも毎回同じこと言っているんだね」

 再びケラケラと笑う加和に対して、我輩も加和の仕事についてたずねようとしたが、やめた。

「自分は今が絶好調って感じ。依頼も結構舞い込んでくるようになったし、やりがいもやっと実感できた」

「そうか……」

 再びモンブランを口にしようとした時、加和は我輩のすぐ側まで顔を近づけた。


「ねえ、本当は聞きたいことがあるんでしょ?」


「……」


「信士ってさ、空気は読めない上に顔によく出ている……昔と全然変わってないよ」


「……貴様も変わってないな。読心術で人の考えを当てる癖は」


 そこまで言われたら、聞くしかないであろう。




「貴様の仕事……その真意について教えてくれないか?」




 加和は満足そうにうなずき、「5年前よりは言い方、うまくなっているよ」と手元のブラックコーヒーを口に含んだ。


「あのころ、いろいろ言い合いしちゃったよね。自分の考え方、信士になかなか認められなくってムキになっちゃって……でも、自分は姿があのままじゃあ、ちっとも進まないって考えているの。もちろん、無差別にしているわけじゃない。ちゃんと選んでやっているんだよ」


「……そうか。それならいいんだ」




 その後、続く沈黙の間に、我輩はモンブランを食べ尽くしてしまった。


「……ねえ、信士。もしよかったらさ、また一緒に仕事しない?」


「いや、遠慮しておこう。理解することと、同感することは違うことであるからな」


「やっぱそうだね……うん、弱音吐いても仕方ないもんね。最近、動揺することがあったから弱気になってた」


「仕事を辞めるという選択肢はないのか?」


「それはないよ。自分はこの仕事が間違っていないって考えてる。それに、もう引き返せないところまで来てるから」




 加和は「よしっ!」と店内に大声を響かせ、席を立った。


「もう信士にはナメられないからね。こうなったら、とことんやってやるわよ!」


 空になった容器の乗ったトレイを運び、加和は勝手に帰って行った。






 とりあえず、あの変異体の巣の管理人との約束は済ませることができた。

 人間から皮を剥ぎ取り、それを変異体に配る“人間皮職人”である加和から、その仕事の真意を聞くことができたからだ。


 5年前、我輩は加和とともに変異体に商品を売る仕事を行っていた。しかし、加和は次第にこの仕事が変異体と人間との距離を縮めることができるのか疑問を持ち始め、やがて我輩と決別した。

 人間皮職人の仕事は自殺者の遺体を無断で回収し、皮を奇麗に剥ぎ取り、加工する。加和は加工した皮を変異体に無償で与えていたことから、どちらかといえばボランティアなのだが。


 もちろん、この“人間皮職人”が人を殺していないからといって褒められるものではない。人の死体とはいえ皮を剥ぐのは……という点は価値観の問題だから無視できる。

 問題なのは、触発された変異体あるいは人間が、生きた人間から皮を剥ぐという行為を起こしかねないことだ。変異体に対してサービスを提供する非合法な仕事でも、触発される者はいるのだ。


 あの時の我輩は熱くなり、加和の仕事に対する真意を聞いても聞き入れることができないまま、別れてしまった。今日話してくれた真意は5年前とほぼ同じであるが、冷静になって聞けたのは初めてだった。




 ひとり取り残された我輩はレジに向かい、カフェオレのおかわりをした。

 今度はデカフェではない。カフェインたっぷりのカフェオレを飲んで、今夜は徹夜である。


 徹夜したところでどうにかなるわけではない。ただ、このまま寝たとしても、久しぶりに見た加和の顔で眠れないだろう。

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