化け物ぬいぐるみ店の店主、金魚にがしをする。

腕が6本もあるぬいぐるみ店の店主、4本の腕を隠して金魚を逃がす。




 コンコン





 扉のノックの音が聞こえてきて、青年は一息ついた。


「入っていいよ」


 作業台に向かって手を動かし続けながら、青年は答えた。


 ノブを回す音が聞こえ、扉から女性が入ってくる。

 その手には、夜食を乗せたお盆がある。


 それを見た青年は疑問に思うように口を開く。

「あれ、昼ご飯はさっき食べなかったっけ」


 作業台から離れたテーブルにお盆を置いて、女性は首を振った。


「お兄ちゃん、もう20時だけど……」


 その女性は、黄色のブラウスにチノパンという服装に、三つ編が1本だけというおさげのヘアスタイル。悪く言えば地味だが、どこか家庭的な雰囲気がある。


「……あ、本当だ」

 青年は作業台にのせていた置き時計を見てつぶやいた。

「お兄ちゃんって作業していると、よく時間を忘れるよね」

「うん、まあ職業柄ということもあるけど、さっき完成した作品は大きな期待をしているからね」

 青年は作業台の上にあるものに目線を動かし、満足そうに唇を緩める。


 その作業台の上には、巨大なバックパックが置かれていた。


 まるで登山家が使いそうな青のバックパック。


 そのバックパックに、青年の右手がつかむ。


 それと同時に、2本の青い腕が同じようにバックパックをつかんだ。


「もうほとんど完成したよ。あとは背中の部分に穴を空ければ完璧だ」


 青年はタンクトップの上にカーディガンを羽織っており、その背中には穴が空いている。

 そこから生えているのは、4本の腕だった。

 ズボンはジーズンに、ポニーテールの髪形。合計6本腕をのぞけば極普通の成人男性だ。


「お兄ちゃん、本当に大丈夫なの?」

 青年の持つバックパックを見ながら、妹と思われる女性は心配そうにたずねる。

「ああ、僕のこの4本の腕は定期的に動かさないと痛みを感じてしまう。だから、今までは服の下に隠していることは不可能だった。だけど、あの客人を見て思いついたんだ」

 客人と聞こえた瞬間、妹の表情が険しくなった。青年が眉を上げるとすぐに元の表情に戻った。

「このバックパックは腕を動かしても違和感がないほどの大きさだ。これなら、腕を見せることもなく外にでかけることができる」

「でも、こんなの作って一体どうするの?」

 妹の問いに対して、青年は笑みを浮かべた。


「目的は別にあるんだけど……いつも“真理まり”にばっかり買い出しに行かせているだろ? たまにはふたりで買い物に行きたいなって考えもあってさ」


 真理と呼ばれた女性は、何も言わず頬を赤らめた。






 その翌日、昼が終わり、太陽が沈み出したころ。


 “化け物ぬいぐるみ店”と描かれた看板がついている建物から、


 青年とその妹の真理が浴衣姿で出てきた。


 今まで姿を見せなかった反応なのか、


 浴衣にバックパックという奇抜な服装だったのか、


 人々はふたりに目線を向けていた。


「ああ……この空気……久しぶりだなあ」

 青年は大きく深呼吸しながらつぶやく。

「お兄ちゃんが外に出たのって、確か10年ぶりだよね」

 手を握る真理が懐かしそうに語りかけると、「えっ」と青年が真理の顔を見る。

「10年ぶりだっけ?」

「そうよ。つい最近25歳の誕生日会をしたばっかりじゃない」

「ああ……そういえば……」

 頭をかく青年を見て、真理は口に手を当てて笑った。

「なんだか、年をとったおじいちゃんみたい」

「まあ、ずっと部屋にいたから時間の流れもよくわからなくなっているからなあ」




 ふたりは、神社の近くまでやってきた。


 そこでは、さまざまな片流れテント……縁日で使うテントが設置されていた。


 まだ始まったばかりなのか、客は見当たらないが。


「ああよかった。まだやっていたのね」

 それを見て、真理は胸をなで下ろした。

「え、真理も来ていないの?」

 青年の問いに「そうよ」とあっさり答える真理。

「だってあまりお兄ちゃんをひとりにしたくなかったもん。だから、買い物だって家の近くのお店だけしかしていないよ」

「どうりで似たような商品のロゴを見かけるわけだ」

 人によっては嫌みに聞こえる青年の言葉に、真理はほほえんだ。





 しばらくして、縁日を歩く青年の人間の手にはりんごあめが、真理の手には綿菓子が握られていた。


 真っ赤なりんごあめは、青年の口に入り、なめられるように口から出てきた。

「それにしても、りんごあめってこんなに味が薄かったっけ?」

 りんごあめを手に、それを青年はさまざまな角度から観察する。

「お兄ちゃん、最近言っていたじゃない。味が感じなくなったって」

「それはわかっているけど、あまりにも薄すぎるんだ。まるでりんごの果汁を一滴ほど垂らしただけの水あめみたい……いや、甘みもあんまり感じないな」

 真理はわたがしを口にして、味をよく確かめるように瞳を上に動かす。

「確かに、このわたあめも味がない……というよりは、一瞬だけ味がしてすぐに飛んでいっちゃうみたいね。どちらにしろ、後であのわたあめ屋のおやじに文句を言ってやる」

「真理、言葉が荒いよ」

「ごめんなさい、お兄ちゃん」

「それにしても……最近の縁日って、お面を付けてやっているよね」


 ふたりを見つめる縁日に店を出している人物は、みんなお面を付けていた。


 ひょっとこのお面をつけているヨーヨーつり。


 愛らしいタヌキのキャラクターのお面をつけた射的屋。


 男の子に人気なヒーローのお面をつけたたこ焼き屋。


 みんな、目線をふたりだけに向けていた。


「そうそう、最近の縁日ってほんと変わっているわね。一言もしゃべらずに機械的に小銭を受け取るんですもの」

「僕が部屋に閉じこもっている間にこんなに変わっていたのか……ん?」


 青年は、とある屋台の前で足を止めた。


「なにこれ……“金魚にがし”?」


 真理はテントに描かれている文字を読んだ。


 その下には水の貼った小さなプールがあり、その中には水の入った皿が浮かんでおり、皿には金魚が浮いていた。


 そのプールの前には、おかめのお面を被った女性が座っていた。


「あんたたち、“祐介ゆうすけ”くんに真理ちゃんだね?」


 おかめからの言葉に、“祐介”と呼ばれた青年は困惑したように頬を指でなでる。

「……知り合い、でしたっけ」

「ふふっ、あたしはあんたたちのお父さんが現役のころから、化け物ぬいぐるみ店のファンなんだよ」

 続いて、ふたりは思い出そうとするが、首をかしげる。

「まあ、あんたたちが小さいころの話だから、覚えていないのも無理はないけどね」

「そんなことより、金魚にがしってどういうことなの?」

 テントに描かれてある文字を見ながら、真理がたずねる。

「そのまんまさ、皿に入っている金魚を逃がすのさ」


「でも……この金魚、死んでいるわよ?」


 皿に浮いている金魚は、そろって横になっていた。






 おかめの女性に100円を渡し、すくいあみを受け取った祐介は金魚にがしを始めた。


 皿の上に力なく浮かぶ金魚をすくいあげては、皿の外の水槽に逃がす。


 皿の外に出た金魚は、息を吹き返したように泳ぎ始める。


 しかし、すぐに泳ぐのをやめて、


 皿の中の時と同じように横向きに浮かんで動かなくなる。


 すくっては逃がし、すくっては逃がし……


 奇妙な時間が、3人を包み込んでいる。




「あの……これっていつ破れるんですか?」

 水にぬれても穴のひとつも空かない、すくいあみに指を指して祐介はおかめにたずねる。

「破れないさ。この金魚をぜんぶ逃がすまではね」

 祐介は「ふしぎなすくいですね」とつぶやきながら作業を続けた。


「……ねえ、それって本当におもしろいの?」

 真理があくびまじりの疑問を口にした。

「おもしろいっていうか……ふしぎな時間を感じる。頭がからっぽになりそうだよ」

 祐介の言葉に、おかめは面の下で笑った。

「なんとなく、自分と重なるだろう?」

「……そう感じませんが」


「この囚われていた金魚たちが自由を手にして泳ぎ回る。だけど、外も囲いに囲まれていることに気づいて、結局囚われていることに気づく……結局、自由と呼ばれるものは広い囲いにすぎないのさ。もっとも、完全な自由になると、水がこぼれちゃうんだけどね」






 しばらくして、祐介は金魚をすべて逃がし終え、ふたりは金魚にがしから離れた。


 その他の縁日も楽しんだ後、ふたりは帰路についた。





「お兄ちゃん、旅がしたいの?」

 縁日のテントが前に見えなくなったころ、真理は祐介の背負うバックパックを見て声をかけた。

「旅?」

「あの金魚にがしのおばさんの話を聞いて気づいたんだけど、お兄ちゃん、本当は自由に旅がしたいんじゃないのかなって思ったの。今までずっと部屋に閉じこもっていたから……自由に旅ができるようになったお兄ちゃんに、あのおばさんは忠告したのかしら」

 真面目な口調で話す真理に対して、祐介は吹き出して腹を抱えて笑い始めた。

「ちょっと、真剣な話をしているのに笑うことはないでしょ」

「ごめんごめん……ふう」

 祐介は息を整えると、真理の顔を見た。

「確かに、僕はこのバックパックで遠いところに行きたいとは思っている。だけど、自由という言葉とは違うと思うんだ」




 祐介は後ろを振り返った。


 縁日のテントや、その中に立っていた人が形を崩し、


 無数の金魚となって、奥の道に向かって地べたを泳いでいた。




「僕はこれからもあの店を続ける。僕がこのバックパックを作ったのは、外でぬいぐるみのアイデアを見つけることと、店に来ることができない人に届けること。遠出するには、この4本の腕を隠す必要があるからね」





 おかめのお面から出てきた1匹の金魚は、




 ぬいぐるみ店の店主がいる方向を見ていた。

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