41話「Power Two ~幼馴染~」
あまりに、一瞬の出来事だった。
体は自由を取り戻した。だが、そこへ訪れたのは勝利への歓喜なんかではない。
“謎の喪失感”だった。
取り返しのつかないことをした。永い眠りから目を覚ましたような、頭上から冷や水を覆いかぶされたような。
気が付いたら、体は勝手に動いていた。
厄に飲み込まれた神流信秀。彼曰くファッションアイテムであったという高級ブランドサングラスは割れ、やや小じわの目立ち始めていた形相は生気を吸いつくされた為に老人のように萎れ切っている。
羽織りも虫食いのような跡がアチコチで。彼が背負い続けてきた神流の紋章もボロボロに、跡形もなく消え去っていた。
「……どうした、笑え」
そっと、信秀の体が起き上がる。
「一族の血は守られたぞ。誇り高き宮丸の生き残りの手によってな」
「……何故だ」
命が削られていく。彼女の叩き込んだ厄は生身の人間が浴びれば、【L】の恩恵があれど死は免れない。もう彼は助からない。
そうだ、彼女は勝った。一族の血を穢した愚か者を成敗した。
永劫に続こうとしていた野望を阻止した。たった一度のチャンス、この機会にのみに許された一度きりの勝負を制覇してみせたのだ。
「何故、呪術を使わなかった……」
だというのに、何故なのか。
宮丸瑠果の体は満たされない。数年も渇望し続けてきたこの瞬間に歓喜を感じない。
「それだけじゃない! 罠の呪術も、仕掛けも何も施していなかった……今の私相手なら、幾らでも陥れようはあったはずなのに、何故だ!」
これではまるで……この男は、わざと負けたみたいじゃないか。
「……ッ」
信秀の意識が遠のいていく。
先ほどまでの怒りも何もない。訳の分からない衝動に駆られる少女を見ながら、信秀は思い返すのみだった。
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数年前。反撃の時。
宮丸と神流。二つの一族は花園の一族を聞く耳持たずで抹消しようとする愛伝編教へ対抗しようとした。
「大丈夫か、信秀」
この計画には時期当主である信秀も加担していた。
殺伐とした空気の中。新しい秩序で新しい戦争が起きようとしている。人を守るための呪術は、主を守るためと銘打って人殺しの道具に使われようとしている。
「あぁ、ありがとう。瑠果」
人は矛盾を生む生き物である。結局、人間は己の中にある正義を優先する。
人はそれを身勝手という。しかし、人はみな、その内に身勝手を抱える生き物。
「君こそ大丈夫なのかい……一族の都合については、君は不干渉を貫いていたのに。何処にでもいる普通の大学生ではいられなくなってもいいのかい?」
人によって、その生きざまは美しいと言われれば、醜いとまで言われるものだ。
「今はその時じゃない……私だって、いつまでも無関係を装えないから。それに私も、アルス様とは長い付き合い。だから、思うんだ」
十人十色という言葉がある。
種族は同じであれど、十人それぞれの人生があり、十人それぞれに違う感性がある。
だが、十人全員が同じ感性を持っている可能性だってなくはない。だが、その中で一人でも感性が違い、異を唱える者がいれば、どう足掻いても戦争は起きてしまう。
「あの人も私と一緒で普通に生きたいだけだって言ってたから……私と、似てるから」
百、千、万……
世界にもなれば、数百億へと跳ね上がる。全員が同じ考えを共有して生きていこうだなんて、不可能なのだ。
「本当に仲が良かったからな。お前達は」
どう足掻いても戦争は起きる。異端児は必ず現れる。
革命時は世界を変革させようが、一部の人間からは非難される。
今から始まるのは、聖戦としても片付けられるだろうし、ただの冷戦として醜く幕を閉じることだってある。ただ、無意味な争いが繰り広げられるだけだ。
「私は知りたいの……天王様。アルス様とは仲が良かったアラン様がどうして、こんなに無慈悲な決断を」
実に虚しい生き物だと人間は思う。
「深く考えるのは後だ。今は目の前の事に集中しよう……危なくなったら俺を頼れ。無理だけはするな」
「……ありがとう、信秀」
世界の真理。逃れられようのないカルマ。
だが、今はそんなことを考えている場合ではない。
一族の一人の人間として、教徒と共に任務を遂行する。花園家の抹殺を阻止し、話し合いの機会を勝ち取るために。
(愛伝編教、か)
メディア、から取っているのかは分からない。
愛を伝え、そして編みつける……よく言ったものである。
突如現れた【L】。感染者である浮楽園愛蘭を中心に、一族の人間達は次々とその力を身に着け、次第には日本全域に轟くこととなり……その力の猛威を振るった。
最初こそ、混沌の時代が訪れた。
人間が好き勝手に生き残る時代。そして、己のやりたいことを掴み取る。
獣のサバンナと一緒だ。弱肉強食の世界がそのまま人間に反映されただけである。
だが、少しの時間がたって。
浮楽園の一族が、【L】により暴走しつつあった日本という国を束ねつつある事実は確か。新しい時代、新しい人類による新世界が確かに作られようとしている。
この戦い、意味があるのだろうか。
新しい世界を作り上げる存在……まるで神ともいえるような男に。
『そうです。この戦いは、間違っている』
その時だった。
『貴方なら、一族の暴走を止められる。新しい時代を築き上げることが出来る』
“信秀の脳から声が響いたのは”。
どこの誰かもわからない不気味な感覚。若き声が、脳裏を辿って体全体を駆け巡る。
(この、声はっ……!)
聞き覚えがある。いや、神流の人間。ましてや、その一家の中心に近い人物であるならば一度は聞いたことがある声だ。
天王・浮楽園愛蘭。
この世界を束ねる。新世界の神だ。
『貴方に、力を授けましょう。だから、どうか』
最初こそ、幻聴だと思った。
信秀は、多少の頭痛程度だと片付けて、取り払おうと思った。
『“私に捧げなさい”』
だというのに、どういうことなのだ。
“逆らってはいけない”
体全体に纏わりつく粘膜。まるで、洗脳されたかのような気分になった。
そうである。そうなのだ。それしか考えられない。
“彼”の言う事全てが正義なのだ。そんな思念を植え付けられるようで。
そうすることで安心する。そうしなければ絶望する。
心を手中で握られているような気分だった。行動次第で彼は……“握りつぶすだろうと”。
「……ッ!」
気が付いた時には、信秀が持っていたナイフ。
呪術の効能が込められていた刃は、実の父親である当主を貫いていた。
『そうです! それでいいんです!』
讃美される。賛辞される。
褒められる。一族の血を絶とうとすればするほど、その行動がこの世界にとって素晴らしい事なのだと。かつて歴史に名を残した革命児達のように。
『貴方のような人間が、この時代には必要なのですよ』
実に心地が良かった。
実に快感だと思った。
自分のやりたいように生きる。
それがこんなにも素晴らしく、身軽なことなのかと思ったのは。
『はははっ、あっはははははっ……!!』
だが、人を殺す度。喜びで満ち溢れる度。
己の肉体が自由になりつつあるたびに、信秀は心の奥底では思い浮かべていた。
“どれほど、恐ろしい事”なのかと。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
一族の血を絶った。
神流信秀はかつての己の過ちを思い返した。
「……いいか、瑠果」
時間がない。
神流信秀は……自身に出来る最後の仕事を遂げる。
「天王に勝つならば……方法は、一つしかない」
厄が体をすべて蝕む前に、信秀は最後の力を振り絞り、声を絞り出す。
「【自分を見失うな。自分を曲げるな……何があっても“自分を持て”】」
時代の波に流されるな。世界の真理に身を任せるな。
その一言は……神流信秀が行い続けてきた愚行とは全く真逆の事だった。
「ごめんな、瑠果」
命を刈り取った。ひとつ残らず。
一族の誇りは今、醜き裏切り者の命を掃ったのだ。
___今更、許されることではない。謝って済むことじゃない。
___お前の過ちは一生消えない。例えこの身滅んでも、悪霊となって恨み晴らす。
かつての彼女。目が醒める前の宮丸瑠果であれば、信秀の死を、そう笑っただろう。
「嘘つき……」
今の瑠果には、その言葉しか見つからなかった。
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夕暮れ時。裁定の時まで残り五時間近くを切った。
「遅いな、宮丸」
「逃げた、ってわけじゃねぇだろうけど」
誰よりもこの計画に加担していた人物だ。それに、威扇の質問に対し、迷いながらも城への突入には賛同しようとしていたのは分かる。
彼女に限って逃げ出すとは思えない。
だが、戻ってくるのにも時間がかかりすぎている。
彼女の迷いの問題……以外に何かあるのだとすれば。
彼女の身自身に何かあったと考えるべきか。
「……もう数分したら、移動するか」
「宮丸を見捨てるのか!?」
「仕方ないだろ」
頭を掻きまわしながら、威扇は答える。
「俺達が空を飛べるなら呑気に待つことは出来るけどよ……あの城へ行くための移動手段、今からでも動かないと見つけ出すのは間に合わないぜ。城が下りてから向かってるようじゃ、姫サンは処刑される」
「そうだがっ……」
威扇の言い分ももっともである。
空へ行くための移動手段を直ぐにでも見つけ出さなければならない。これ以上彼女の帰りを待っているようでは、最悪の場合、救出が間に合わなくなる。
「だから、ここは堪えて」
「私は待てと言ったはずだけど?」
……声が聞こえる。
「全く、お前は本当に、他人の言う事を信じないんだな?」
宮丸瑠果だ。
相変わらずの対応。仲間を見捨てるという口上に罪悪感一つ浮かべているようには見えない威扇に対し、可笑しげに笑みを浮かべている。
「宮丸! 無事だったか!」
「御覧の通り、ね」
笑ってはいる。
多少傷ついた体。赤く腫れた肌。何かあった後には違いない。
だが……彼女に迷いはない。先と比べ、体にとりついていた何かを振り切ったように見える。
「……どうする? どうやって空に?」
威扇は謝罪もなしに、質問を先にする。
「ついてきて」
二人より前へ先行し、公園を出てから公道を下に降りていく。
「近くにいざという時の物資を隠してある。そこにヘリもあったはず」
「おーう、準備いいな」
植物人間、牧瀬幹雄。そして、宮丸瑠果。
マインドコントロール、或いは洗脳。もしくは、心理の支配。
天王の恐るべき能力、この日本人類すべてを掌握しかねない未知の力。
その呪縛から、彼らは解き放たれた。数日前までの恐怖はもうない。
真天楼へ再び近づけば、間違いなく天王からの歓迎が待っているだろう。精神的暴走により、ヘリコプターの墜落だなんて起きなければと洒落にならないことも想像してはいるが。
問題、ないだろう。
少なくとも、ここにいる三人ならば。
“たかが囁かれた程度で、流されることはない”。
「んじゃ、反撃開始と行くか」
裁定。選別の時まで残り三時間。
今、空で輝く夕暮れが沈んだその時が___。
最終決戦の火蓋が、落ちた合図だ。
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