30話「Fall in the Web of Desire ~静謐の街~(前編)」


 降下数日前。

 真天楼、祠の間。


 夜中になろうとも、アイドコノマチは輝いている。路地裏くらいだ、光なんて差さない場所は。


『……珍しいですね。君がここに来るなんて』


 広間の真ん中に忽然と置かれたままの祠から声が聞こえる。 

 天王。そう呼ばれる日本秩序の中心は、興味深そうに客人に反応した。


『キサナドゥ』

「少しだけ、天王様とお話がしたかったのです」


 罰の仮面をつけた五光。キサナドゥ。

 何の予兆もなく現れたキサナドゥは用件としては私用であることを伝える。緊急事態が起きたわけでも何でもない。ただの暇つぶしでこの場に来たのだと。


『ふむ、何だろうか』

「……外の様子は、どれほどお知りの状態で?」


 この祠から外に出ることはない。天王は殺し屋と部下の愛伝編教徒からの情報のみを受け取っている。アイドコノマチの外の情報のみを。

 彼女らに与えた指示は“花園愛留守を回収すること”。そして、花園愛留守を護衛するボディガード達、すなわち障害は何の躊躇いもなく処刑してもらって構わない、と。


 ここ数日で、外では結構な動きがあった。

 天王は何処までの情報を耳に通しているのか。そんな質問だった。


『刺客として送り込んだ仮面兵は次々と殲滅。造反させた仄村紫も愛猫と共に散った。今はアスリィ・レベッカとプラグマの手によって四人の確保に成功し、この城が次なる裁定の日を迎えるまで、待機していると……荒森羅の元で』


「……大体の事は、ご理解していらっしゃいますね」


『何が言いたいのだ、キサナドゥ』


「そんなこと言わなくても、貴方様なら出来るでしょう?」


 キサナドゥはおかし気に薄気味悪い笑みを見せる。



「貴方でしたら……たかが、一人の人間であるはずの私の考えを読み取るくらい容易いはず」

『……戯れも大概にせよ』


 不機嫌そうな声を上げ、キサナドゥに問う。

 意味ありげな話があるのかと身構えてこそいたが、宣伝通り暇つぶしにも似た会話だった。この城に残った五光なら、既に報告で知り尽くしているであろう情報の確認をしただけ。何の意味がある時間だったのだろうか。


「今、下では結構な事が起きていますよ」

『……そういえば、妙な情報が教徒から』


 天王は一呼吸おいてから落ち着いている。


『この城に残っているはずの……“神流信秀”と接触しただなんて情報が荒森羅から流れたりな。神流本人にそのことを問いてみれば、殺し屋達に命令がしやすいよう式神を用意したと口にしているが』


「……ははぁ、なるほど」


 一瞬、小声でキサナドゥは納得したような口ぶりだった。


「天王様」

 無礼を承知で、再度問う。

「たまには……“外に出られて”は如何でしょうか?」

 それは、この数年間、城から外に出ようとしなかった天王へと提案であった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 荒森羅の館から離れ、この静かな街、夜中の逃避を行う。

 武器、荷物の全ては館の一室の倉庫から発見された。腕輪の呪いも威扇が手にした鍵によって解除され、ついに自由の身となった。


 ……子供達は、置いていくことになった。

 残念だが、今ここにいる面々で子供達全員の面倒を見る事なんて出来やしない。かなり酷な事かもしれないが、これからの未来は子供たち自身で見つけてもらうしかない。何より、今後の行動を考えて、邪魔にしかならない。


「本当に、いいのか?」


 当然、そんな事情があるのであれば、別れを告げる必要がある。


「大丈夫だよ。元々、一人で生きて来れたんだから……私はあと“四年”は猶予があるんだよ?」


 館の秘密を唯一知っていた少女。アルスの救助に一役買ってくれた彼女は瑠果達と共に館を脱出。そのまま途中まではついて来ていた。


「それだけじゃない。私がいると、おじさん達が動きづらくなるでしょう?」


 この面々の事情は知らない。だが、五光である荒森羅を殺してまで館の脱出を企んでいた一同。何か思惑があることを悟っており、少女は自らの意思で別れを告げてきたのだ。


「そう、だが」

「もうここまでで十分助けられたから、問題ないって」


 牧瀬は少女が一人でこの夜の街に駆けだそうとする姿を心苦しく思っていた。

 本当なら、一人の刑事としてはこの少女を保護してあげたい。だが、警察組織を追われた彼にはもうその権限もなく、子供一人養う余裕すらない。ましてや今は逃走の最中。状況を立て直すためにも、身を潜めなくてはならない。


 そんな危険な旅に少女を連れていく方が危険だ。まだ、この場で別れを告げた方が、少女の危険は微かであれ少なくすることは出来る。


「……じゃあね。何があるのか分からないけど、頑張って」


 少女は再び、ストリートチルドレンへと戻っていく。

 ドブネズミのように過ごしていた地獄の日々。だが、あの館で日々を過ごした彼女にとっては……そんなドブネズミとしての生活の方が数倍マシに思えていたようだ。


 それもあってか、少女の背中からは恐怖を一切感じない。

 堂々と誇らしげに街の中へと消えていく少女の姿には、不安が漂うことはなかった。


「ひとまず、何処に行くよ」

 まずは傷だらけのアルスが落ち着いて休める場所を探すのが先だ。

「安息の地。そうそうないみたいだけどな」

 取り返した携帯電話から、再びネットニュースを確認する。


 アイドコノマチ。日本都市で流されている記事の一面には、変わらず指名手配犯として植物人間の顔写真が掲載されたままである。


 そこへ追加の二枚。

 元・五光にカウントされていた宮丸家の一人娘の瑠果。日本警察を離反した牧瀬と両名の写真。都市の崩壊を目論むテロリストとして、二人もまた指名手配犯の仲間入りを飾っていた。


「向こうのアパートメント。一室だけ空いているようだが」

「……よし、一晩だけ借りることにしよう」


 見回りをしてみれば、監視カメラらしきものは見当たらない。人気もないことを確認した後、扉の解錠を行い……そこへ身を潜めることにした。

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