21話「Save Me ~蟲カゴ~ 」
選別の日は、いつ来るか分からない。
タイムリミットは掴めずにいる。広い屋敷の中に、豪勢な一室を用意されたにしても、まるで縄で体を縛られたように窮屈だった。
「それでは、いただきます」
「「「いただきます!」」」
開放的な空間。子供が五十人近く並んだテーブル。そしてその奥には屋敷の主である荒森羅と、修道服に身を包むシスターが一人。
夜。食事会。
シチューにパン。サラダに林檎のジュースと、どれも一から作られた拘りの品ばかり。子供たちは満面の笑みで料理を口にしている。
「……」
アルス、瑠果、牧瀬の三人は、その子供たちに紛れていた。
見た感じ、料理に毒が盛られている様子も何もない。旅館を出てから、ここへ連れてこられるまでの間に食事をしていなかったのもあって、空腹に耐えられないでいる。
だが、三人はなかなか料理に手を伸ばせずにいた。
どうしても、この窮屈な空気が、目の前の料理を受け付けさせないでいた。
「お姉ちゃんたち、食べないの~?」
アルスの隣に座っていた子供が首をかしげて聞く。
「美味しいよ?」
「う、うん。いただきます」
一瞬だけ、瑠果の方を見た。
それに気づいた瑠果はパンをちぎり、口の中へ運ぶ。シチューもスプーンですくい、用意された料理全てに口をつけた。
「……うむ」
瑠果は何も言わず、ふと浮かべた笑みで頷いた。
問題はない。この料理には何も仕込まれていない。
アルスは瑠果からのサインを受け取ると、パンとシチューに手を伸ばし、空腹を満たしていく。
「美味しい、ですね」
「でしょ! シャルラお姉ちゃんが作る料理はおいしいんだ!」
子供の視線の先にいるのは、シスターの女性だ。
あの女性の名前はシャルラ。この屋敷で荒と一緒に子供達の世話をしているらしい。
「おかわりもあるから、沢山食べたほうがいいよ~」
……ここへ来る途中、アルス達は信秀から話を聞いていた。
身柄を引き渡す相手。選別の日が訪れるまでの間、面倒を見てくれるという人物の名前は、五光の一人である荒森羅。
彼は五光という立場でありながら、天王の元を離れ、こうして城下町から外れた小さな街を作り、争いもいがみ合いも何もない秩序ある世界で静かに暮らしている。
そんな彼は、街中の娼婦館で囚われている子供達を引き取りに来るとの事らしい。それ以外にも、路頭に迷っている子供達も。
「森羅様! 今日はね~、皆で森羅様の絵を描いたの!」
「どれどれ……ほう、私にそっくりだ。上手いじゃないか」
「えへへ、褒められた~」
森羅は笑顔で子供の頭を撫でている。
未来があるかどうかも分からない、後先真っ暗だった子供達。それさえも当たり前だと片付ける秩序。彼はそれに逆らうかのように、城を離れて子供達を引き取り、こうして面倒を見ている。
「……」
何処か、不気味な感覚がした。
安心と不気味。その両方が入り混じった、あまりに不思議な感覚に。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
数分後。子供達は食事の後、一斉に寝室へと向かっていった。
時間は夜の九時。寝るには早い時間かもしれないが、あれくらい幼い子供には丁度いい。
「……変わらないんですね、貴方は」
食事の席に残った森羅の元へ一人、席から立ちあがった瑠果が寄っていく。
「世界が【L】に包まれるその前から。恵まれない子供たちに救いの手を伸ばし、そして未来への橋渡しをする。強奪に傲慢を嫌い、穏やかを好む……昔と変わらない。あの頃のままで」
「……目に届く、子供達。それしか救えないのが、相変わらず心苦しいけどね」
照れくさそうに、そして心もとなさそうに森羅は瑠果と向き合う。
「こうして、目の前で旧友が苦しんでいるのに、何もしてあげられない。褒められたものじゃないよ。僕は」
森羅は力なく、自分を笑うように皮肉に笑った。
……彼は五光の身でありながら、天王の秩序には反対の念も浮かべている。
だとしても、五光として勤めを果たし、天王が掲げ続ける秩序を受け入れている。森羅はその変わり様のない事実に、己を貶していた。
仄村紫の事を思い出す。
彼も天王の秩序には反対だった。天王の掲げた秩序に両親も友人も何もかもを殺された。嫌悪を通り越し、殺意にも到達した憎悪を浮かべていた。
仲間の事を大切に思っていた。かつて、両親が世話になったという花園家や宮丸家の生き残りである彼女達にも、疑いようのない信頼。忠誠を誓っていた。
……だが、そんな仄村でも、口惜しくアルス達を裏切った。
実に申し訳ないという表情だった。間違っているのは自分だと嗤っていた。どれだけ、報われようのない罪を重ねようとわかっていても、彼は“天王につく”ことを選んだ。
権力を持っている森羅でさえも。争いを好まぬ博愛主義者を貫く彼をもってしても、その全てを持って、天王に逆らおうはしない。
“絶対に敵に回してはならない”と、心に植え付けられていた。
天王。瑠果もその人物が何者なのかを知らされていない。
まだ当主ではなかった当時。ここ数年であまりにも変わり映えのありすぎた五光の入れ替わり事情。誰も天王の正体を、掴めずにいる。
まるで宇宙のような、強大な敵。
「僕に出来る事は……こうして、まともな食事と寝床を提供させられることだけだ」
森羅は立ち上がり、背を向ける。
「……天王。あんなものに仲間達を引き渡すのはきっと恐ろしい事だ。だから、そうなる前に君達を楽にすることすらも考えたさ……だが、それさえも出来ないんだ」
力強く森羅は壁を殴る。その場に子供たちがいたら、きっと戦慄していたことだろう。
森羅は歯がゆく、天王の言いなりになることしか出来ない自分を呪うことしか出来なかった。
「恨んでくれても構わない。僕は自分と、自分が助けられるものしか手を伸ばせない。君達は、その範囲にはいないんだ」
「……」
かける言葉が見つからなかった。
何処までも自分を追い詰める姿。この時世、心優しいだけでは喰われるだけ。そんな世界、冷酷になろうとしても、森羅はその青臭さだけを消せないでいた。
「シチュー、美味しかったです」
部屋に戻れ、と指示されている。
瑠果はアルスと牧瀬にアイコンタクトを送り、出口で待っていたシャルラの元へと向かった。
「……シャルラ。三人を部屋に迎えたら、牢獄にもいるあの人に食事を届けてくれ」
「かしこまりました」
シスター、というよりは世話係に近いのだろうか。修道服の女性はいつにも増して力のない森羅の発言に対しても、しっかりと面を向いて受け応える。
「あ、そのことで聞きたいことが!」
食事の席を離れる前に、アルスが声を荒げて、彼へ問う。
「……威扇と会うことは、許されますか?」
今の森羅に話しかけるのは得策ではないとは思う。だが、アルスは気にせずにはいられなかった。
あの殺し屋は無事なのか。せめて、姿だけでも見せてはくれないのか。
それはせめてもの懇願だった。
「すまない。それも……許されてはいないんだ」
だが、返答は却下。
植物人間は天王が刺客を雇うだけでなく、日本の政府組織に五光の面々を動かすほど危惧している人物だ。接触を許してしまえば、ここから逃がしてしまうきっかけを少しでも与えてしまう可能性がある。
徹底されていた。それも許されない。森羅はそう告げる。
「……わかりました」
アルスは受け答えに反応してくれただけでも感謝を告げ、シャルラに連れられ、寝室へと連れられて行った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
深夜十二時。地下牢。
「……」
鉄の牢獄。昔は拷問部屋にでも使われていたのだろうか。
固く閉ざされた鉄の門の向こうには、腕の枷を繋がれ、自由を奪われた殺し屋の姿がある。
門まで向かおうにもギリギリ届かない。足には枷がされていないが、これだけではどうすることも出来ない。何せ、武器も携帯も何もかもを奪われたのだから。
身に着けていた衣服も同様に、である。今の殺し屋は丸裸。
今は真冬だ。凍死しないように牢獄の温度だけは調整されている。見た目によらず、随分と親切設計である。
「起きろ」
壁に繋がれたまま、一睡していた威扇に声をかける。
シスター・シャルラはアルス達に提供した料理と全く同じメニューを持ってくる。牢獄のカギを開け、中へ足を踏み入れた。
「……」
声をかけられようが、威扇は眠ったまま動こうとはしない。
「妙なことを考えるなよ。変に動けば、この食事は没収する」
「……それは困るな。腹が減ってるんだ」
寝ているフリ、だった。
「飯抜きは困る……が、お前らも俺が餓死なんかされたら、困らねぇのかよ?」
「生きて身柄を与えるのは“花園愛留守”だけだ。貴様たちが餓死しようがどうという事はない」
「……じゃぁ、何で俺はこうして生かされているんだよ」
威扇の牙がギリギリ届かない位置から、そっと料理を押し出すシャルラへと問う。
ボディガードである殺し屋が生き残り続けているのは五光のお偉いさん側からしても厄介なはずだ。面倒な手駒は早いうちに破壊しておけばいい。
生かしておく理由がないのなら尚更だ。
「これもすべて、森羅様からの命令だ」
料理を与えると、シスター・シャルラは無駄な会話を挟むこともなく、再び牢獄に鍵をかけ、そのまま去って行く。
「好きにすればいい。せめてもの慈悲だ」
威扇は襲い掛かるつもり、ではあった。だが、鼻が良いようだ、あのシスターは。
必要最低限は近づくことなく、威扇の罠にはまることもなく姿を消した。
「……となると、アイツラはどうなってるんだ?」
保護対象は花園愛留守だけだと口にしていた。
しかし、威扇が牢獄へブチこまれる前に聞いていた話では……瑠果と牧瀬も、選別の日に城が下りてくるまでの間は面倒を見ると言っていた。
瑠果と牧瀬は牢獄には連れてこられなかった。
アルスと同様に、別の部屋に連れられているようだが……ここからでは、外の様子は声一つ聞こえないために悟ることが出来ない。その後を想定することが全くできない。
慈悲、だと口にしてはいたが、あの森羅という男も相当な甘ちゃんなのだろうか。
何せ、娼婦館に売り出された女子供に、親を失い誰に引き取られることもなく路地裏で荒れていた少年少女……自分の損得考えずに、救いの手を差し伸べる青年だ。
森羅の行動は……せめてもの、天王への叛逆だったりするのだろうか。
「ったく、足で食えってのかよ」
置かれた料理の元まで移動し、料理の乗せられたトレーを足の指先で器用に壁の近くまで引っ張っていく。食べやすい場所にまで持ってきたところで、威扇はその場に座り込み、行儀の悪さなど知った事無く足で食事を始める。
「……カゴの中、か」
乱雑に出された食事。スプーンを足で手に取ってシチューをすくう。一番面倒なのはサラダと飲み物だ。スプーンだけでも足がつりそうだというのに。
飲み物に関しては犬のように直接口を持ってきて飲み干さなくてはならない。口が届かなくなったら、両足でコップを持ち上げる。
薄暗い牢獄。隣に見えるのは、もう使われていない拷問器具。
声なんて聞こえはしない。外の声は一言も、昼間は聞こえた子供たちのにぎやかなこえもちっとも。
「……暗い、な」
何も聞こえない。何も聞こえやしない。
部屋も暖かい。だというのに、何故だろうか。
「畜生が」
彼の体は震えている。スプーンを持つ足が、ブルブルと。
食事もままならない。威扇は震える自分を見ながら、苦笑いを浮かべている。
「暗い、ああ、暗い」
聞こえない。
聞こえない。
何も、聞こえない。
___痛い。
___痛い。
___痛い。
“否“
彼はいま……“何かが聞こえている”。
「嫌な事、思い出させやがって……」
あまりの雑音。
“錯覚にも似た映像が、脳裏で再生しているよう”。
「クソ野郎……こんな豪邸なら、部屋の一つでも用意しろってんだ……」
余裕の表情。如何なる窮地を前にしても打破。
人殺しさえも難なくこなしてしまう威扇には“恐怖心”なんてものは存在しないように思えた。
「……」
___助けて。
___出して。
頭に浮かぶ映像。
『助けて。出して。お願い』
___磔にされた少年と、それを見て嘲笑いながら棒切れを振るう大男。
『……助け、て。●、●、ちゃん』
___そして……その目の前で流血しながら倒れる、少女の姿。
___“死ね”。
___一瞬だけ聞こえた“憎しみの声”。
「……見た目だけかよ。全く、味しねぇよ」
この檻に閉じ込められ数時間。
怯えながら、人知れず震える。
この先も、きっとこれからも。その目にする者は……いないのだろう。
他人と分かり合おうとも、関わり合おうともしない。
それが……天涯孤独を望む、独り身の殺し屋らしい。
植物人間の”業”なのだから。
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