四章 地下渓谷の血戦

第45話 大渓谷偵察作戦

 サンの渓谷。アステリアから遥か北に位置する山岳地帯の、一際大きい谷を指してそう呼ばれている。山を割ったような急崖の下は薄闇が支配し、調査もろくに進んでいない。唯一確かなのは、そこが吸血鬼の根城ということだけだ。


 その谷を覗き込みながら、偵察班が佇んでいた。


「本当に深いな……どうやって降りるんです?」

「前の調査隊はロープでの降下だったらしいわ。まあ今回は手筈も決まっているし、そこの一年生に任せればいいでしょう」


 ロシェの言葉を受けて、ヒューズが背後に目を向ける。視線にびくりと反応しながら、ルークが体を強張らせていた。


「は……はいっ! がんばります!」

「あまり気負いすぎるなよ。俺とロシェ先輩も付いてる」


 今回のメンバーは三人。ロシェとヒューズ、そしてルークだ。ロシェの天眼で状況把握を一手に担い、瞬発力と対応性に優れるヒューズがそれを補佐。そしてルークの役割は『移動役』だ。


「行きましょうか。そろそろ準備して」

「はい……!」


 裏返った声で返事をし、ルークが大きく深呼吸をする。唸り声と共にざわざわと毛が逆立ち、肌に灰色の鱗が浮き出た瞬間。まるで鎧を纏うかのように、ルークの姿が変容した。


「……」

「へえ……これが竜の異能……」


 模擬戦で見せた姿とは違う、細く小さい竜の姿だ。鋭く風を受けるフォルムは戦闘機のようにも見える。カトレアが語っていた姿、変質した竜の形そのものだった。


「人を乗せて飛ぶのは……というか、この姿で飛ぶのも初めてなので、しっかり掴まってくださいね。指示はお任せします」


 いつもと変わらぬ調子で喋るルークに、ヒューズが少しだけ顔を綻ばせる。竜の身体でもルークはルークだ。何も心配することはない。今無駄な思案をするよりも、後輩を信じて任務に集中することが先決だ。そう考えて、ヒューズは自分の頬をぴしゃりと叩いて気合いを入れた。


「よし……!」


 ルークの背に乗り、その足場を確認する。鋼鉄のように強固な感触だ。甲殻の出っ張りが多少肌に痛いが、バランスは問題ない。不思議な温もりも感じながら、ヒューズはある器具を取り出した。


 小さな杭状の機械。今回の作戦ではこれの設置が肝になる。文化祭でも見たような総合科の異能科学を凝らしたモジュールで、地形を自動スキャンする機能を持っているらしい。つまり、これは総合科と対魔科の共同作戦だ。文化祭での交流がうまく活かされたのだろう。

 ルークに乗って一気に潜入し、ロシェの指示を受けつつヒューズが素早く設置する。ここまでが大まかな手順だった。


「準備はいい?」

「いつでも」

「は……はい! いけます!」


 ロシェの問いかけに一方は毅然と、一方は緊張しながら返す。ロシェは少しだけ微笑んでから一拍置くと、眼を黄金に輝かせ、真剣な語気で言った。


「大渓谷偵察作戦——開始」


 それを合図に、竜体が軽やかに飛翔する。二人を乗せたルークはそのまま谷底へ進路を向け、風を切って降下し始めた。


「おおおお……!」

「せ、先輩方、大丈夫そうですか!?」

「大丈夫……だと思う! ジェットコースターみたいだ!」


 背に乗って体感するとかなりの速度だ。高速移動には慣れているつもりだったが、また新鮮な心地がする。谷の冷たい空気を顔に受けながら、岩肌をぐんぐんと通り過ぎて行く。


「30、40……深いわね」

「ここに大隊で攻めるとなると、この高さがネックになりそうですね。何か楽な方法があればいいんですけど」

「そこは帰ってから考えましょう。私たちが生還しないと何も始まらないんだから」


 こくりと頷き、また前を向く。行先はますます暗くなっていくが、対して道幅は広がっているように思える。話に違わぬ大渓谷だ。どこまで降りるのか、と少し不安が芽生えたあたりで、ルークの体勢がふわりと水平に向いた。


「えーと、底に着いたみたいです!」


 下を覗き込むと、薄闇の中に岩場と小さな水流が見える。確かに谷底のようだ。しかし、生き物の気配はしない。住処らしきものも何一つ見当たらなかった。


「次はどうすればいいですか?」

「そうね。まっすぐ……小川に沿って移動して。多分、この谷は道になってる」


 ロシェの天眼は、谷底の更に奥へと向いている。この視界でも彼女には先が見えているのだ。控えめに返事をしたルークは、またスピードを乗せて谷底を滑空し始めた。

 ふと上を見上げてみると、ほんの僅かに日が射しているのが見えた。細い筋程度の光が、岩を避けてジグザグと明かりを運んでいる。吸血鬼は闇に生きる種族、谷底ではまだ光を防ぐには足りないのだ。


(でも……だとしたら、戦場は暗闇の中になるのか? ロシェ先輩ならともかく、そんな環境じゃまともに戦えないぞ)


 少し顔をしかめながら、暗闇での戦闘を脳内に思い描く。至極真っ当な疑問だったが、その数秒後、ヒューズの考えは杞憂に終わることになった。


「……ん?」


 薄暗い谷底を進んだ先に、ぼんやりと光が見える。谷はいつしか天井を携えた「洞窟」に姿を変え、その巨大な入口から光が漏れているのだ。


「……ここが、吸血鬼の根城か?」

「そうでしょうね。気を引き締めていきましょう」


 そう言って、ロシェがルークの頭に手を添える。ルークは竜の姿のまま小刻みに震えていたが、意を決して翼を翻した。

 洞窟へ突入した一行を待ち受けていたのは、信じがたい光景だった。


「これは……?」


 強固な岩盤でできた巨大な——それこそ、地底世界と呼ぶに相応しい洞窟には、まるで太陽のような光球が浮かんでいた。だが、似ているのはその役目だけだ。光球は青白く燃え上がり、周囲に満ちているのは冷たい光。太陽と真逆の、生命力を感じない光が空間を支配している。

 そして青い火に照らされて見えたのは街並みだった。白い岩によって形成された家に道が、整然と並んでいる。奥に見える一際大きく豪奢な館は、まるで童話の城のようにも見えた。


「見たことのない光ね。原理は知らないけど……これなら、太陽なしでも光が得られる。『神秘』ってやつかしら」

「な、なんか……見てるとおかしくなりそうです。不気味で、不思議で、冷たい感じがして……」


 二人の反応を受けながら、ヒューズが大きく息を吸ってみる。冷たく澄んだ空気だ。燃焼の淀みも匂いもない。巨大な渓谷の、その更に奥の洞窟だというのに、十分すぎるほどの酸素で満ちている。まるで吸血鬼のためだけに作られた空間だと思った。


「ロシェさん。あの建物群は」

「ええ、居るわね。吸血鬼がうようよと」


 やはり、とヒューズが息を呑む。町ほどの規模の居住区に吸血鬼が詰まっているとなれば、数では完全に不利だ。主戦力もスピカやベガだけではないだろう。用心に越したことはない、と改めて気を引き締めた。


「手早く済ませましょう。ルーク、今のうちに町を旋回して。その間にヒューズはモジュールを置く。なるべく中心がいいけど、できる?」

「もちろん。ルーク、ロシェさんを頼むぞ」

「は、はい。任せ——うっ!?」


 突如、ルークが呻き声を上げる。どうした、と声を掛けると同時に、地面にぼたりと鮮血が落ちた。竜体に紅い刃が突き刺さっているのだ。


「……しまった。こんなに早いとはね」


 ロシェが静かに溜息を吐く。視線の先……彼らの真下に立っていたのは、白いローブを纏い、槍を構える吸血鬼だった。


「スピカ……!」

「ごきげんよう。その竜が例の異能力者ですか。眉唾だと思っていましたが、本当に退魔師として動いているのですね」


 傷を受けたルークはその痛みに悶えていたが、血が出たのは最初だけだった。すう、と傷口が閉じ、鱗が皮膚を補強する。その様子を見ながら、スピカはいかにも面倒そうに首を振った。


「折角お越しいただいたのです。歓迎しますよ、アステリアの皆様」


 血の槍が構えられると同時に、全身に鳥肌が立つ。気品と力に満ち溢れる吸血姫を前に、ヒューズのボルテージも急上昇していた。


「侵入者には……甘美な死を!」

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アステリアの白雷 東 京介 @Azuma_Keisuke

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