第42話 秘密の小部屋

 分担を決めた翌日、早朝。ヒューズとマリーは意気揚々と調査へ乗り出していた。地図にあった場所は旧校舎の近く……高台へと処を移した新校舎からもそう遠くない。最低限の装備を揃え、歩いて向かっていた。


 途中で、跡地に立てられた石碑に目を向ける。以前の戦いの犠牲者を悼むものだ。ヒューズたちもしばしば立ち寄っていたが、どんな時も献花が途切れることはない。


「……寄っていく?」

「いや、今度にしよう。またみんなでな」


「そうだね」とマリーが相槌を打つ。そのまま跡地を立ち去ると、足早に目的地へと向かった。

 着いた建物には、水道局の表示が掲げられている。受付と一言交わして中に入ると、すんなりと点検穴まで通して貰えた。魔族の住処にはもってこい、そうカトレアが言っていたように、地下水道の保全に退魔師が絡むことも少なくないのだろう。

 入口から立ち上る悪臭に、思わず顔を顰める。ふとマリーの方を見ると、早速臭気にやられているようだった。見るからに青い顔で鼻を摘んでいる。


「う、思ったより強烈……」

「大丈夫か? やめるなら今だぞ」

「だ、大丈夫。私だって退魔師だもん、このくらい平気だよ!」 


 そう言って拳を握るマリーに不安を覚えつつも了解し、ヒューズが先行する。降りた先は『下水』の名の通り汚水が流れていたが、清潔とは言えないまでも目に見えて不快な内装ではなく、きちんと通路が舗装され、無機質なコンクリートを照明が照らしていた。


「初めて入ったけど……こんな感じなのか」

「まるで社会見学みたい。いい経験だね……ウッ」


「この臭いも良い経験」と震えながら零すマリーの背中を軽く叩いてから、書き整えた地図を広げる。目的地まではそれなりにかかるようだ。マリーのためにも手早く終わらせよう、そう考えて、足早に歩き出した。


 カツン、カツン、と二重の音が響く。それ以外の音は聞こえない。いつ魔族と遭遇してもいいように気を張っていたが、一切の気配を感じなかった。


 出て来ないに越したことは無い、と歩き続ける。五つほど岐路を曲がったところで、二人は下水の壁面に凄惨な『痕』を目撃した。


「うわっ……!」


 血痕だ。壁にべったりと付いた血がゆっくりと滴り、濁った下水に赤を混ぜている。その惨状が魔族の生息を裏付けていた。


「や、やっぱり……いるんだね」

「間違いないだろうな。まだ渇いてもいない。でも姿を現さないってことは……やっぱり、俺たちを警戒してるのかな」


 下水に棲む魔族は、退魔師という天敵から隠れるためにこの場を利用しているはずだ。故に、まず向こうからは襲われない。今回の目的が調査なだけに、この犯人を無闇に追うべきではない。いずれ問題になる前に対処はすれど、今ではない。そっと目を逸らし、足を進めた。


 気まずい雰囲気で道は続く。血痕のショックで嗅覚が鈍ったのだろうか、マリーも既に悪臭を気にかけていないようだった。


「なあ、マリー」

「うん?」


 気を紛らそうと声をかける。神妙な顔付きだったマリーも、ふっと表情を緩めてそれに応じた。


「なんで調査を志願したんだ? 自分から行きたがるような場所じゃないだろ、特に下水道なんかさ」

「あー……それはねぇ」


 マリーが少し言い淀んで、視線を泳がせる。


「私も役に立たなきゃなって、そう思ったから」


 そう言ったマリーは儚げで、弱々しく見えた。


「ノルノンドでノヴァにやられてからね、私って足手纏いだなって。吸血鬼が攻めてきた時もさ、特に活躍せず、言われるがままに『弩級砲』を使っただけ。……ううん、入学してからずっとそうかも」


 マリーがいつも以上に鍛錬に打ち込んでいるのは、学園祭前から知っていた。森での敗北が闘志に火を付けた……ヒューズはそう思っていたが、少し違う。マリーは『実力の差』に悩んでいたのだ。


「みんな強い魔族と戦って、一人でも役目を果たしてる。でも私は……誰かに助けられて、それで初めて戦えてるんだ」

「そんなことは……」

「それにね、ノエルさんの話を聞いて思ったの。『私と似てる』って。……えへへ、生意気かな?」


「ちゃんと役に立てている」と伝えようとしたのを遮って、マリーが意味ありげに笑う。ノエルのことを話題に出した途端、瞳に火が灯ったように見えた。儚さを掻き消すような、強い希望の火だった。


「何かが掴めそうなんだ。ノエルさんみたいにみんなを助けられる強さ、みんなを守れる強さ……それを得るための何かがさ。だから、今はとにかく刺激が欲しいんだ」


 マリーが弱気な面を出した時、ヒューズは真っ先に慰めの言葉を考えていた。しかし、それは必要なかったようだ。背中を押すまでもなく、マリーは一人で奮起している。周囲の希望を汲み取って、さらに眩く輝こうとする。そんな強さに感服しながら、ヒューズはただ「がんばれ」と笑った。


 そんな話をしているうちに、魔族に遭遇することもなく目的地に辿り着いた。地図上で印の付けられた場所だ。その部分にだけ、壁に見慣れない機械が貼り付いていた。


「ここ……だよね?」

「多分。この機械は……カードリーダーか」


 そう言って壁を軽く叩くと、内側に響くような音がする。この先に空間があるのだろう。となれば、後は進むだけだ。


「よーし、任せて! 壊しちゃえば良いんだね!」

「待て待て、大丈夫。俺が開けるよ」


 袖を捲るマリーを諌め、指先をリーダーに添わせる。慎重に電圧を帯びさせ、次第に電光が強くなり……ばちん、という音と共に指が跳ねる。すると、エラー音を鳴らしながらゆっくりと壁が動き、先に通じる道が開いた。


「すごーい! こんなこともできたの?」

「無理に開けるから一回で壊しちゃうんだけどな。さ、いよいよ本丸だ」


 マリーの拍手を浴びながら、開いた扉を潜る。入った途端に勢いよく白煙が飛び出したが、どうやら消毒液らしい。跳ねた心臓を落ち着かせ、その奥をずいと覗き込んだ。


「これは……」


 そこにあったのは、アステリアの研究室と瓜二つの小部屋だった。所狭しと機材が置かれ、丁寧に陳列されている。機材の丁重さに比べてデスク上はまるで密林のようで、殴り書きのメモを含めた資料が散乱していた。


「わっ、真っ白! すごく綺麗に見えるね」


 後から入ってきたマリーに先んじて、資料の一枚を拾い上げる。そこには確かに、筆者としてリオ・デオラ……オリオンの名前が記入されていた。


「間違いない、ここはオリオンの研究室だ」

「えっ、ホント!?」

「ああ、それも秘密のな。片っ端から調べよう」


 そういって、飛び付くように資料を漁り始める。校内の書庫の比ではない量だったが、背に腹は変えられない。二人揃って、必死に情報を掻き集めようとした。


「あった! 竜の資料に……分析結果?」


 今まで見つけたものと内容が似通ってはいるが、より踏み入った研究結果だということはわかる。この調子で選別していけば、今後に役立つ情報が得られるはずだ。そうして奮起した、その時だった。


「——ちょっと! 泥棒はやめてくださ〜い!」


 背後から聞こえた声に、思わず跳び上がる。マリーのものではない。聞き覚えのある、悪意に塗れた声だ。聞いただけで神経が逆立つような、挑発的な声音。勢いよく振り返ったが、人影はなかった。


「え? え、え?」


 同じく振り向いたマリーも、あたふたと周囲を見渡している。幻聴ではなさそうだ。ならばどこから聞こえるのか、そう考え始めた直後だった。


「そこですよ、ヒューズくん! 緑色の機械!」


 その声と共に発生源が明瞭になる。並べられた機械のうち、緑色の液体が保管された機械……ホルマリンだとかの単語が浮かぶような、不気味な容器。そこから声が聞こえているのだ。

 恐る恐る、その機械に顔を近付けた瞬間。中の液体が唐突に泡立ち、ぼんやりと輪郭を表した。中世的で特徴のない、男か女かもわからない顔付き。憎らしい、オリオンの顔そのものだった。


「お、お前は!?」

「やー、お久しぶりです! 誰か来てくれないかな、とは思っていたんですがまさか貴方とは!」


 悪びれもせず捲し立てる口調は、紛れもなくオリオンそのものだ。フレッドの炎で燃やされ、消滅したはずのオリオンが、なぜか怪しげな容器の中で喋っている。


「お前は死んだはずだろ!?」

「ん? ああ、死にましたね。本体は死にました。私はスペアです。万一に備えて作っておいた、主人格のコピー端末で〜す」

「コピー端末……!?」


 そう言っておちょくるように揺蕩うオリオンに、ヒューズの体が青白く光る。過去の怒りが再燃するようだった。


「じゃあ壊すしかないな……!」


 雷撃を備えたヒューズを、マリーが慌てて制止する。彼女もかなり動揺してはいたが、ヒューズよりは幾らか冷静だった。


「待って待って、落ち着いて! 何か聞き出せるかもしれないよっ、資料を書いてた張本人だし!」

「く……!」

「気持ちはわかるけどっ、今は抑えて……! ノヴァのことだって、ルークくんのことだって、私たちにはまだ情報が必要なんだから!」


 マリーの必死の説得に、白雷が徐々に霧散していく。ヒューズは苦虫を噛み潰したような顔で俯くと、絞り出すように「わかった」と口にした。対して、オリオンの方は飄々とこちらの会話を楽しんでいる。不定形のゲル状でも嘲笑とわかるような態度だ。しかし、ふと様子を変えた。


「……ルーク? ルークって竜のですか?」


 そう問うたオリオンに、二人がもう一歩距離を詰める。とても話を聞く態度ではなかったが、聞く意思はそのままだ。


「ルークくんを知ってるの?」

「そりゃ、彼の入学が内定した頃は私もアステリアに潜り込んでましたからね。研究にも色々と携わってますとも」

「じゃあ……質問だ。ルークの持つ異能は知ってるな? なんでルークが竜……三年前の『灰の竜』と同じ力を持ってる?」


 渋々、といった様子で聞かれた一つ目の質問に、オリオンがしばらく沈黙する。そして、当たり前のように、あっけらかんと返した。


「え、本人だからですけど」

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