番外編

追想:大樹と無垢の花①

 アステリアの妖精——今でこそ親しみを込めてそう呼ばれているが、ロシェ・ライラック……いや、彼女が「ライラック」という花を由来とする姓を得るよりも前、一番最初の渾名あだなは「悪魔」であった。


 5歳の彼女は、幼心ながらその恐怖に納得した。

「そりゃあ、"なんでも見透かす子供"なんて気味が悪いに決まってるわよね」と、当時から変わらない無表情、達観した精神で受け止めていた。


 そういうわけで、幼少期に万物の構造、動き、状態を見透かす「眼」の異能に目覚めたロシェは、親に捨てられ、13歳まで孤児院で時を過ごした。


 これは、そんな彼女がある男に出会い、退魔師としての道へ踏み出す物語——かつての追想である。


 * * *

 ロシェはその日、自分が「腫れ物」だということを思い知った。8年間孤児院で暮らして得たものは、自分の力への空虚な理解だけだった。


 波打つような空が印象的な、曇りの日だった。


「…………」


 何かが違う、と思った。

 違和感は各所にあったが、強いて言うならば院内の人の動き……正確には風の流れが違う。ロシェの暮らす孤児院は、教育の質が良いのか子供が荒れることもなく、トラブルも月に一度起きれば多い方だった。ほとんどの日はルーティンに従い、何も起こらずに終わる。


 その中でぼーっと窓の外を見るのがロシェのルーティンであり、ロシェに関わらないことも他の子供たちのルーティンだった。時たま好奇心に駆られて彼女を知ろうとする子供もいたが、数分話すとすぐに離れてしまう。そして日常の波に呑まれていく。


 そんな「規律」が崩れる時は決まっている。

 誰かが孤児院を離れるときだ。


(……それなら事前に聞かされるはずだけれど)


 ロシェはそう訝しんで窓から目を離し、珍しく室内に向き直った。怯えと驚きの入り混じったような視線を送る子供たちをよそに瞳を輝かせる——透視の力を使って廊下を見やると、作り笑いが上手な女職員に連れられて、大柄な男が一人歩いてくるのが分かった。見たことの無い男だ。


「……ねえ。今日、『さよなら会』の予定ってあったかしら」

「え、ぼ、ぼくに聞いてるの? た、たしか無かったはずだけど……」


 絵を描いていた少年に声をかけると、おどおどと予想通りの答えが返ってきた。「ありがとう」と口に出しかけたが、何となく、本当に何の意識もなく、その言葉は飲み込まれていた。


 なにかの業者だろうか。業者なら作業着姿で来るだろう。もしくはスーツだ。男の服装は着古したコートだった。道具らしいものも、鞄一つでさえ持っていない。ロシェは静かに考察を重ねたが、結局彼が目の前に現れるまで、その正体を看破することは出来なかった。


「ロシェちゃん。こちらにいらっしゃい」


 女職員が、いつも通りの作り笑いで声を掛けてきた。男は少し距離を置き、ドアの隙間から楽しげに顔を覗かせている。ロシェは子供たちの注目を一身に浴びながら立ち上がると、ふらふらとそちらに歩いて行った。



 向かった先——職員室で語られたのは、あまりにも簡素な「さよなら」の通知だった。

「あなたは今からこの人のお家に行くのよ」と、他の子供を送り出すのと大差ない感涙を浮かべながら言われ、ロシェは無表情ながらも呆れ返った。


 明け透けな厄介払いだ。この男が何者か知らないが、手続きも不十分、事前のあいさつもなく、さよなら会……孤児の門出を祝う催しすらない。これがわざとなのか、それとも男の申し出や要求故なのか。一瞬興味深く思ったが、すぐに「どうでもいい」と思い直した。



 伝えられてからはあっという間だった。

 男と挨拶を交わす間も無く身の回りの整理が始まり、子供たちと職員の簡単な声援を経て、小一時間で院の入口に立たされていた。


「……」


 少しだけ、哀しくなった。


「さよなら、ロシェちゃん!」

「元気でね!」

「風邪、ひかないでね!」


 子供は賢い。定型文を吐き出しながら明るく笑い、涙を浮かべている。孤児院の教育はやはり優れている、とロシェは息を吐いた。


 男の車に乗せられて、ロシェは初めて男とまともに対面した。黒い短髪で、コートの上からも相当の筋肉量が窺える。武人のような外見と、常に楽しそうに輝く眼差しが特徴的な男だった。


「いやあ……雑だな! この孤児院!」


 それが男——ジン・ブレンハイムが発した、初めての言葉だった。


「悪いなァ、事前に連絡とか手続きとかはしてたはずなんだけどよ。大丈夫か? あんまり辛かったり納得できないんならクレーム入れてやるけど?」

「いい」

「そうか。強い子だな。……俺はジン。姓はブレンハイムだ。これからよろしくな、ロシェ」


 男は力強く、豪快で、それでいて優しさの篭った声で言った。ロシェは窓から通り過ぎていく風景を眺めながら、頬杖をついて「よろしく」と返した。


 孤児院の対応も、ロシェ自身の対応も信じられないほど希薄で、現実のものとは思えないほど粗雑なものだった。孤児の、それこそ命の受け渡しだ。然るべき手順と心構えが必要なことは明らかだが、この別れにはそれがなかった。それを「仕方ない」「どうでもいい」と受け入れる自分が、ロシェは我ながら非常に気味の悪いものに思えた。


「まああれだ、何か気に食わないこととか、『こいつとは合わない』って思ったりしたらすぐ言えよ。嫌々家族になったって意味がねえ」

「あなたは嫌々じゃないの?」

「ん?」

「私の変な力は知ってるんでしょ。なんでわざわざ私を選んだの? ……妻も、子供もいるあなたが。どうして私を引き取ろうだなんて思ったの?」


 ジンは目を丸くした。彼は妻子の存在を一言も告げていない。だというのに、ロシェはそれを言い当てたのだ。「知られる」ことを疎ましく思う人間が世の大半を占める中、ロシェは敢えて言い放った。


「今はつけていないけれど、薬指に指輪の痕がある。それに両腕の筋肉にほんの少し歪みがある。この歪みは何かを『抱き上げて』できるもの。加減から見るに、6、7歳の男の子でしょ」


 黄金の瞳で観察した通りに、すらすらと言ってのける。ジンは少しの間硬直してから、心底楽しそうに笑った。言い当てて笑われたのは、ロシェにとっては初めての経験だった。


「すごいな! 当たりだ当たり、大当たりだ! 妻と子供が一人いる! なるほどな、それが『眼』の異能か!」

「…………」

「ん? なに驚いてんだ?」

「怖くないの? なんでも見えるのよ」


 ジンはまた大笑いすると、「怖いもんか」と半ば咳き込むようにして口にした。


「怖いどころか面白い! 俺の周りにゃそういうヘンテコな力を持った奴がたくさんいてな、もう驚かされるのには慣れっこよ! どこまで見えるんだ? 俺の朝飯とかわかったりするか?」

「…………ドライフルーツ付きのシリアル?」

「はははっ、正解! どういうメカニズムなんだよ? なあ、もっと問題出していいか?」


 ジンが笑いながら出す問いかけを、言われるがままに言い当てて行く。答えるたびにジンは大袈裟に声を上げ、その豪快さを表すように車をがたがたと揺らしていた。


(……周りに、力を持った人がたくさんいるなら。つまり、私を「そういう集団」に引き込むつもりなんでしょうね。信用しちゃダメ。ひょっとすると孤児院よりもひどい場所に連れて行かれるかも)


 ロシェは無表情のまま冷静に思考を巡らせ、膝の上で拳を握り締めた。警戒しなければならない。13年という短い時で培った感性は、そう判断していた。合理的な考えだった。


 しかし、彼女の胸の内に芽生えた感情は合理を超えて暖かく、瑞々しいものだった。


「…………面白いひと」

「なんか言ったか?」

「なにも」


「そうかぁ」と間の抜けた返事をし、ジンが再び質問を始める。ロシェは機械的に答えようと努めたが、それでもジンは愉快な笑みを振りまいていた。


 ロシェはその日、心の奥底で——彼女自身、自覚しないだろう領域で——「楽しい」と笑った。

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