第46話 語ること・託すこと

「や、やったっ!」


 戦場を見下ろすビルの屋上で、うら若い声が響いた。人面鳥ハーピーのシャウラが、その巨大な翼をぱたぱたと揺らしながらはしゃいでいる。

 隣には神妙な顔つきで腕を組む人狼……シリウスの姿もあった。シャウラと対照的に、彼は身動ぎ一つしていなかった。


「やったよ、シリウスのじいさま! アル兄が勝ったんだ! あの強い人間に!」

「……うむ。そうだな」


 無邪気に喜びを表現するシャウラだったが、シリウスの態度を見て心配そうに表情を曇らせた。「どうしたの?」と聞く彼女に対し、シリウスは静かに微笑むと「気にするな」と言ってシャウラの頭を撫でた。


「さて、ここからはわしらの出番だな」

「うん! 行こうじいさま、魔族の夢が叶う時が来たんだ!」


 シャウラは意気揚々と羽ばたき、風を纏って街へ降下していく。それを見届けた後、シリウスもビルから飛び降りた。


「アル坊よ、お前の覚悟は何処へ向かう——?」


 シリウスは、遠い目で呟いた。


 * * *


「俺は死ぬ」。その言葉を、誰一人として冗談と受け取る者はいなかった。豪快に笑ってはいたが、身体の異変が物語っている。ここまで弱ったジンをヒューズたちは……いや、アステリアの誰も見たことがなかった。


「……ふ、フェリシアちゃんっ、治癒を! あの異能ならなんだって治せる!」

「マリー……ダメなんだ。フェリシアの異能じゃあれは……」


 マリーの懇願を受けて、フェリシアは唇を噛みながら顔を下げた。曲がりなりにも医者の子だ、フェリシアとヒューズは「怪我」と「毒」の違いを一目で理解していた。


「毒物や疾病は、違うんです。傷は治せても元凶は取り除けない。……わたしの異能じゃ、治せません」


 フェリシアが言うと、一同は悔しそうに顔を背けた。一年生にとって、ジンは決して長い付き合いとは言えない。しかし、誰よりも信頼している人物であった。良き先生であり、師であり、父のような人だと思っていた。

 マリーは涙を流し、フレッドは地面を殴った。レインは体を震わせながら目を瞑った。ヒューズは、真っ直ぐにジンを見つめながらも拳を握り締めていた。


「そんなしょぼくれた顔すんなよ。俺が死んだら負けか? 違うだろ? まだ退魔師はいる。そしてお前らがいる。勝ちの目しかないな!」


 未だ、ジンの吐血は止まらない。それを意に介さない彼に呼応するように、ポケットに差した通信機から鮮明な声が聞こえてきた。


『——援軍、到着しました! 魔族との交戦を開始、住民の避難ルートを確保!』


 援軍。退魔師の軍勢が、この街にようやく到着したのだ。今まで上がっていた悲鳴が一転して勇ましい掛け声に変わる。それに喜んだのも束の間、アルフェルグが胸の傷を押さえながら口を開いた。


「無駄なことだ……空を見ろ」


 言われるがままに見上げると、飛翔する青翼が西の方向へ移動しているのが見えた。シャウラだ。魔族の盟主たちが、一斉に街を襲おうとしている。


「西は人面鳥ハーピー、東は人狼。万事抜かりはない……我々の勝利は揺るがない」

「ええ、ええ、その通り! 退魔師が増えてきたところで、私は今度こそ逃げます。護衛はシリウスさんに任せて良いんですよね!」


 嘲笑を続けていたオリオンは、戦うつもりがないのか液状の体を引きずり、東の方角へと去って行った。ヒューズとフェリシアはそれを眼で追っていたが、衝動的に飛び出すようなことはしない。今はジンが敗れた事実を受け入れるので精一杯だ。


「で、最後の頼みがあるんだけどよ」


 いつもと変わらぬ調子でジンが言う。


「俺、もうちょっと粘るからよ。その間にやってほしいことがあるんだ」

「……なんですか?」

「別区域の援護と……地下の生存者の救出。それぞれ分かれて、お前らに任せたい。やってくれるか」


 別区域……つまり、人狼と人面鳥ハーピーが侵攻している場所の事だ。

 各々、言いたいことは山のようにあっただろう。嘆き、怒り、憂い、惑い。負の感情の渦巻きをヒューズたちは押し殺し、「はい」と大きな声で、語調をぴたりと揃えて言った。


「……さァて、あとどのくらい保つかね。十分? 五分? もっと短いか? ——とにかく、このままコロっと死ぬわけにはいかない。地獄まで付き合えよ、黒影のアルフェルグ」

「馬鹿な。致死毒だぞ。まだ動けるのか」

「へへ……そりゃお互い様だなァ」


 生徒たちに微笑み返してから、ジンは啖呵を切って飛び出した。死を悟りながらも、屍同然の体を持ち上げてアルフェルグを抑え込んでいる。その後ろ姿が若い命に力を与えていた。


「……絶対に無駄になんかしない。私は救出を。瓦礫を吹き飛ばすくらいのパワーがないとね」

「俺もここに残る。……救出が終わったらすぐに、あの影野郎をブチのめせるからな……!」


 マリーとフレッドは、この場に残って救出を手伝うことを決めた。自動的に、東西の戦場へ向かうのはレインとヒューズということになる。

 フェリシアは、マリーに寄り添って立っていた。ここに残るという意思表示だろう。


「兄ちゃん」

「なんだ、フェリシア」

「わたし、あの人と会って一月も経ってない。話だってろくにできなかった。でも……」


 フェリシアが潤んだ眼をこすり、静かに息を吸う。その瞳には澄んだ憂いと、純とした覚悟の火が灯っていた。


「わたしも頑張らなきゃって、そう思えるくらいかっこいい人だった」


 そう口にしたフェリシアの頭に手を置いて、ヒューズは優しく髪をといた。他の仲間たちと遜色無いその光に、ヒューズは相応の敬意を示していた。


「"あれ"をやるなら止めない。でも、無理はしないでくれ。フレッドとマリーが傍にいる。先生がアイツを止めてくれる。兄ちゃんの仲間を頼れ。そのために俺たちがいるんだ」


 フェリシアが頷いたのを見届けると、ヒューズはレインと共に踵を返した。そうして走り出す瞬間に、後ろから声援に押されるのが分かった。


「ヒューズ、レイン! そっち頼むぞ!」

「こっちは任せて! 絶対にやり遂げてみせる!」


 二人の友人の、意志の込められた言葉だった。

 それを胸に、ヒューズとレインは駆け出した。打ち付けられる剣戟の音がこだましていた。


 走り、走り、ちょうど道の分岐点に辿り着いた。東からはノルノンドで聴いたような雄叫びが、西からは唸りを上げる暴風の音が伝わってくる。立ち止まったところで、レインが声を掛けた。


「人狼の方、僕が行こうか?」

「……いや、俺が行くよ。レインは人面鳥を頼む」

「そっか。……ねえ、僕らは何回助けられたかな」


 当然、主軸は「ジンに」ということだった。アルフェルグに襲われた時、ジンがいなければ死んでいた。ノルノンドの戦いも、学園内の内乱も同じことだ。直接助けられた訳ではないにしろ、それを切り抜けられる力はジンから学んだものだった。

「数えきれないよ」と答えるとレインは笑った。


「俺は、ずっと誰かに助けられてた。先生にも、先輩にも、マリー、フレッド……レインにも。じゃなきゃ死んでた。全部一人の力で成し遂げたことなんて一度もなかった」

「僕もさ。——僕らもなれるかな。あんな風に」


 レインは、無意識のうちに自分の兄とジンを重ねていた。全てを自分の力でこなし、守り切り、儚く命を散らす。そんな姿が憧れだった。


「分からない。けど、挑戦はできる」

「……うん」

「先生みたいに、っていうのは欲張りかもしれないけど——」


 ヒューズは、穏やかに学園での生活を想い返しながら、絞り出すように呟いた。


「託されたものを守れる人に、俺はなりたい」

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