三章 闇と夢想の帳

第29話 黒の思惑

 発端があるとするならば、魔族が諦めた時だ。

 魔族にも文明はあったはずだ。魔族にも夢想はできたはずだ。魔族にも勇気があったはずだ。人と並び立つ知性と、人を超えた力があった。虐げられるようになったのは、こちら魔族に落ち度があったとしか思えない。

 人の言語を拝借し、人の文化を盗み取り、人の嗜好を真似ている。人間は食料に過ぎない、自分たちは選ばれし種族なのだと、永年に渡って染み付いた思想を引きずる負け犬たちを見て、絶望したのがきっかけだったのだろう。


 アルフェルグは、魔族の救済を願っていた。


 * * *


「——アル坊よ、これで十分か」


 どこかの暗がりで、シリウスが声を発する。傍らには肩……もとい、翼をがくりと落として俯くシャウラと、黒いローブを纏ったアルフェルグが立っていた。以前付けていた鈍色の仮面は着けていない。しかし、覗くはずの表情は見えず、影の巻きついた無面に紅い瞳が光るだけだった。


「ああ。感謝する、シリウス。退魔師を何人か殺せればなお良かったが、大軍との衝突ではないからな。貴方は為すべきことを為してくれた」

「シャウラを出すにはまだ早かった気もするが。我々の総勢はともかく、こやつは切札だろう?」

「シャウラの潜在能力は評価に値するが、まだ経験が浅い。最終局面で出すにも、ある程度の場慣れは必要だと考えた。今回が丁度良い機会だった」


「なるほどな」と相槌を打つシリウスに対し、シャウラは姿勢をさらに下に落とし、今にも溶けてしまいそうなほど悲壮な顔をして涙を浮かべていた。


「ごめんなさいぃ……あたし、期待されてたのに活躍できなかった。……やっぱりクビ?」

「言っただろう、目的は場慣れだ。生きて帰ったならそれでいい。お前への期待は揺るがない」

「うう……ありがとうアル兄。あたしがんばる」


 アルフェルグの顔は影に隠されて見えないが、少なくとも険悪な雰囲気は無い。退魔師を残滅し得る魔族たちは、人には見せないある種の本性を明かしているとも言えた。


「ところでだ。今回我々を妨害した、四人の子供。以前の報告と随分様子が違ったぞ」

「というと?」

「お前が一撃で倒した小娘はシャウラを喰い止め、他三人は人狼の軍勢を止めてみせた。今戦えばお前も無傷では済まんかもな!」


 そう言って豪快に笑うシリウスに、アルフェルグは複雑そうな愛想笑い……正確にはそれに準じた息を一つ吐いた。


「嬉しそうだな」

「応とも。修羅の道を征く若者が好きな性分でな。それが人であれ、魔族であれ変わらぬ」

「……シリウス。貴方の王たる寛容さを、私は輝かしく思う。だが、情けを掛けるのはこれきりだ。協力を頼んだのは私だが、それを請けたのは貴方だ。約束は守って貰わなければならない」

「分かっておるさ。ほんの戯れよ」


 アルフェルグの口振りには、シリウスに対する深い敬意が籠もっている。一味の首魁は紛れもなくアルフェルグだったが、盟主たちの間には徹底した平等が保たれていた。


「貴方が気に入っていた、治癒の娘。あれはアステリアに保護されたという。……つまり、その異能は退魔師の助けとして使われる。いざ遭遇すれば——迷いなく殺す。配慮することはできない」

「それで良い。後のことは天運に任せよう」

「……そして、その四人。天眼や夕立のように脅威となる可能性も十分にあるということなら、これも早急に処理しなければならない」


 アルフェルグはそう言って踵を返し、暗闇の中に溶け込むように歩いていく。シリウスとシャウラもそれに続いた。


の報告を待つ。あれがまた遊んでいなければ、遠からずアステリアは崩壊するだろう」


 そうして、彼らは姿を消した。


 * * *


 ノルノンドへの旅行が終わり——三泊四日の予定が、学園の命令により一日減らされたのだが——、ヒューズたちは、再び学園に戻っていた。フェリシアの件は既に上層部まで話が通されており、長期的な待遇はどうあれ当面の保護は認められた。


「比べてみると似てるなぁ。こりゃ確かにヒューズの妹だ。その困り顔もソックリ」

「なんの確認ですか……」

「悪い悪い。お嬢ちゃん……フェリシアだっけ? 俺はジン。こいつらの担任教師だ。よろしくな」

「は、はい。よろしくお願いします」


 頭を下げるフェリシアを、ジンが微笑みながら一瞥する。さておき、といった具合に一呼吸置くと、ジンは呆れたような、あるいは哀れむような視線を四人に向け、わざとらしい振る舞いで話し始めた。


「それにしてもお前ら、とんでもない災難だったな。旅行中に魔族と出くわすなんてそうそうねえぞ。俺も長いこと退魔師やってるが一回もない」

「先生の場合、寄ってくる魔族がいないでしょう」

「はっは、そうかもな! 強いって退屈だな!」


 今回の話は、学園の中でも既に語り草らしい。考えてみれば当然の話だろう。ここまで大規模な襲撃は、ここ数年一度も起こっていなかった。警戒のレベルが一気に跳ね上がっただけでなく、そこに四人の退魔師が居合わせた幸運、そして彼ら全員が一年生という不運。にも関わらず敵を撃退せしめた彼らの話題性。学園ですれ違った生徒たちは皆一様にヒューズたちに視線を送っていた。


「そうだ、その件でお前らを職員会議に呼び出すらしいぞ。代表者は報告書まとめとけな」

「俺は絶対やらねえぞめんどくせえ」

「フレッドくんが名乗り出ても頼まないでしょ」

「ああ!?」


「ごめんごめん」と流すように笑うレインを遮って、ジンはフェリシアにも言葉を掛けた。人狼の住処で暮らしていた経験談から、敵の情報を得たいのだという。複雑そうに目線を逸らしたフェリシアを見て、ジンは何かを察したように目を瞑った。


「ま、それは後の話だ。魔族との戦いで、お前らも得たものがあったろ? 今後は徹底的に長所を伸ばす訓練だ。俺もできるだけ時間作るからよ」

「はい、先生! ……へへ、ちょっとしか経ってないのに、授業がすっごく久しぶりに感じるなあ」


 マリーが一層気合のこもった返事をして、体を縦に揺らしながら言った。騒動の後、マリーは家族や使用人、街の人々に一際大きな期待の言葉を与えられていた。普通なら重圧に感じても無理はないところだが、彼女の素直さはそれをやる気の源として還元してしまったのだろう。


 話を一通り終わらせて、早速授業を始めようと訓練場に足を運びかけたその時、ジンが「忘れてた」と身を翻し、フェリシアとヒューズに目を向けた。


「危ない危ない、異能の検査がまだだったんだよ」

「異能の検査?」

「お前らも入学の時やっただろ? 持ってる異能を分析するんだよ。学園の異能力者はそれが義務付けられてる。医療科の研究資料にするための方便だけどな」


 アステリアは学園だけでなく、異能の研究機関も兼ねている。異能力者を教育しながら研究まで進められれば、まさに一石二鳥だろう。


「ってわけで、ヒューズ。検査の付き添いしてやれ。まだ部屋の場所とか把握してないだろうし、医者が暴走しないとも限らん」

「い、医者が暴走?」

「そう、暴走。担当医師がかなりイカれててな。ま、腕は確かだ」


 そうしてジンは意地悪そうに笑って、ヒューズとフェリシアを送り出した。


「医療棟の事務室で聞いてみな。『リオ・デオラ』って医者だ。空いてる医務室もそこで聞ける」


 リオ・デオラ。四つの学科のうちの一つ、"医療理学科"で教鞭を執る、アステリア最高の医師兼教師……兼、異能研究者。ジンを始め、多くの人物から信頼と軽蔑を集める人物と、ヒューズたちは関係を持つこととなった。

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