第28話 紡がれる道

 戦いが完全に終わり、静寂の中に少しずつ人々の話し声が戻りつつある。爆心地のように抉れた地面、赤レンガが吹き飛ばされた黄土の上に、ヒューズは立っていた。

 ヒューズの服の裾を掴んで涙を堪えるフェリシアに、それを気まずそうに見つめているフレッド。そして傍らには、仰向けに倒れて空を見やるレインの姿があった。


「……レイン、大丈夫か?」

「はは……傷も治ったし痛みも消えたんだけど、全く体が動かなくてね。氷の槌を造れたのは……なんだろう、アドレナリンのおかげかな。とにかく、しばらく起き上がれそうにないや」

「へっ、死ぬよりマシだな。あのまま放っといたらマジでヤバかったからな、お前」


 あえてフェリシアに触れず、自然と話を始めたヒューズに対し、他の二人も乗って会話する。あえて、というよりは掛ける言葉が見つからなかったという方が正しい。シリウスが七年間、何の対価もなしにフェリシアを守り続けたことは紛れもない事実であるが、今の立場は互いに敵同士だ。フェリシアを慰めるにも、適切な言葉が出てこなかった。


「お疲れさま」

「うわっ!?」


 話が尻すぼみに止まったところで、耳元に無機質な声が響く。細い息が耳に吹き込み、くすぐったさと驚きに飛び跳ねると、そこにはロシェが立っていた。音も無く現れた彼女の肩にはマリーの腕が回されており、疲弊したマリーを支えているようだった。

 ロシェが援軍として到着したことはすぐに分かったが、それについて声を掛けるよりも先に、ヒューズはマリーに目を奪われた。何か言いたげに目を潤ませるマリーの口に、ロシェに絶え間なく携帯食料を放り込んでいるのだ。


「えーっと……ロシェさん。一体なにを?」

「この子の異能は食物のエネルギーを元にしてるでしょ。早く回復させるには食べさせるのが一番」

「ねじ込まなくても勝手に食べるんじゃ?」

「反応が面白いから」

「うわあ……」


「冗談よ」と無表情のまま言ってロシェが手を止めると、マリーは数秒間咀嚼そしゃくしてからゆっくりと食料を飲み込んだ。喉に詰まらせるところだった、と怒るわけでもなく笑うのを見て、ヒューズたちは苦笑いした。

 無理に突っ込まれた食料でも顔色を戻している。戦時との落差も含めて、その異能の単純さが少し愉快に見えた。


「あれ? フェリシアちゃん、どうしたの?」


 事情を知らないマリーが、ごく自然にフェリシアに声を掛ける。人の涙を放っておくマリーではない。その遠慮しない性格が、今は極めて有効に働いていた。フェリシアは「なんでもないです」と震える声で言うと、はっとした様子でヒューズの裾から手を離し、しきりに涙を拭き取った。


「そうだ、ヒューズ。落ちてきた魔族って結局なんだったの? やっつけた?」

「あー、それは……」

「アルフェルグの仲間で、シャウラって名前の人面鳥ハーピーだった。……逃げられたよ。この戦いで、

幹部格と思われる魔族は一体も倒せてない」


 ヒューズの言葉を遮って淡々と語るレイン。その口調には、明らかな悔やみが滲んでいる。一年生がたった一人で強力な魔族に立ち向かい、それに深い傷を負わせるだけでも十分凄いことなのだが、レインにはそれを誇りに思えないようだ。天を仰ぎながらも全身を強張らせ、乱れた感情を示していた。


「……被害はゼロとまではいかないけれど、最小限に食い止められたと言っていいわ。胸を張って。あなたたちはアステリアの退魔師として、為すべきことを為した。指令が出ていなくてもね」


 ロシェはそう言ってマリーを支えるのをやめると、周りに控えていた退魔師に何かを伝えて歩き出した。街を離れ、帰還するつもりなのだろう。


「もう行くんですか?」

「ええ。事後処理は仕事に入ってないから。あなたたちのお陰でやることもなくなったし」


 そして何かを考えて立ち止まったロシェは、唐突に振り向くと貼り付けていた無表情を少し緩め、優しく微笑んだ。彼女の心根が透けて見えたような気がした。


「またね。好きよ、がんばる一年生」


 立ち去る先輩を、四人は静かに見送っていた。



 * * *


「本当に……ありがとう! 君たちのおかげだ!」


 少し経って、アイオライト邸ではヒューズたち四人とフェリシアを招き、アドニスによる感謝の言葉が並べ立てられていた。広いホールには街の人々も顔を出し、皆一様にニコニコと笑っている。異能力者への風当たりは世間的には厳しいことが多い。それゆえ観光客の大部分は人狼だけでなくヒューズたちにも恐れをなしていたが、ノルノンドの人々はそれとは真逆なようだった。


「別に俺らが戦わなくてもお前らは生きてたろ。実際観光客以外は死んでねェんだ」

「フレッドくん、こういう時は黙ってるものなの」

「いやいや、それは分かっている。この街を守るために戦ってくれたこと、それだけでも嬉しいんだ。感謝してもしきれない」


 その純とした精神性がマリーの血縁者ということを強固に裏付けている。町人もそう変わらない反応をしている辺り、人間離れした清純さだと感じた。


「私たちは隠れるばかりで、君たちの力にはなれなかった。だからせめて、残る旅行期間は街のもてなしを受けていって欲しい」

「お父様、私もいいの?」

「もちろんさ、マリー。目新しいことはできないがね」


 楽しそうに微笑みながら言葉を交わすマリーをよそに、ヒューズは悩ましげに視線をあらぬ方向に向けていた。その先には使用人手伝いとして慌ただしく動き回るフェリシアの姿があった。

 シリウスとの関係が途絶された今、フェリシアを狙っていた魔族……人狼に化けたなにか、二人の両親を殺した犯人のことを忘れてはならない。その魔族が未だ健在だとしたら、フェリシアを守る存在がいない。アイオライト家におくのはいいが、それで七年前と同じように人が死ぬのは避けるべきだ。


 そして、ヒューズは決意した。


「フェリシア、ちょっと」

「へ? あっ、ごめん兄ちゃん。今お手伝いの途中だから……」

「いいから。大事な話なんだ」


 フェリシアが、涙で腫れた顔を傾けて寄ってくる。仲間たちやアドニスの視線が集まったところで、ヒューズは言った。


「俺たちはさ、アステリアっていう学園に通ってるんだ。異能力者が集められる、でっかい学園。……フェリシアも、そこに来ないか?」


 フェリシアは十二歳だ。学生としては立ち入れない。しかし、事情を説明すれば組織として安全に保護してくれるだろう。新たな拠り所として、これ以上のものは無かった。

 しかし、アステリアに身を寄せることはそのまま、魔族を……シリウスを敵と認めることに繋がる。合間に話を聞いていたフェリシアも、それは承知していた。


「…………」


 フェリシアが眉を下げて黙り込む。気持ちは理解できた。友であり、育ての親だったシリウスと決別し、入れ替わりのように兄と再会した。フェリシアからしてみれば複雑この上ない。実兄と無二の友人、どちらの味方をするかと問われている訳だ。


「悩むのは分かる、だけど」

「わかった」

「え?」

「わかった。わたし、そこに行きたい」


 フェリシアは、そう言って青い瞳をヒューズに真っ直ぐに向けた。そこにはフェリシアの決意、他人の思考では及ばない苦悩の先の、確固たる想いが宿っていた。


 新たな敵と出会い、成長し、傷を負い、戦いは終わった。その先に得たものは四人の更なる絆と、アステリアに与する新たな異能力者の存在だった。


 ——そして、舞台は学園へと戻る。


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