第12話 終幕・檜星の断剣

「俺を殺しに? そりゃまた随分と突然だなァ。六度目の正直ってか?」


 剣を肩に担ぎながら、ジンが悠々と言う。アルフェルグとの間には、口調にこそ表れずとも、それだけで人を殺せるような、大山のような重圧と剣呑な空気があった。


の計画に、魔族の未来において一番の障害はお前だ。そろそろ処理せねばと思ってな」

「じゃあ最初から俺の前に出てくりゃいいものをよ。俺の可愛い教え子をこんなにしやがって」

「お前は門を叩かねば出てこない類の人間だろう?」


 ジンとアルフェルグ。二人には、どうやら今までにも交戦した経験があるようだ。地面に這いつくばり、身を捩りながらヒューズはその光景を見つめていた。


「せん、せい……」

「いい、起きるな。お前も浅い傷じゃない。下手に動いたら内臓がダメんなるぞ」


 ジンに諌められ、ヒューズは動きを止める。呼吸を整え、滲むような痛みを必死に押さえ込みながらも、ジンから目を離すことはできなかった。


「二人。あと二人、こいつらのお守り役がここにいた筈だ。お前、そいつらはどうした?」

「あれか。私が殺したよ」

「……そうか」


 空気が揺らぐ。


「……じゃあ、これは腹癒せだ」


 馴れ馴れしい手振りをし、ジンが暖かく笑ったかと思うと、一呼吸のうちに前方へ踏み込み、剣を振り上げた。


「"檜星流"——」


 アルフェルグは咄嗟に影を集め、前方に向けて繰り出す。四人にけしかけたものとはまるで質が違った。この魔族にとって、見習いの異能力者の力などまさしくお遊び程度のものだったのだ。

 そして、そんなモノから力を引き摺り出すジンは、つまり。


「——"巴葉ともえば"」


 刀剣の煌めきが、弧月状の軌道を描く。

 鈍い銀色の剣は、影に鋭く突き当たった途端に恒星のように白熱し、黄色の火花を散らした。


 そしてその柄に強く力が込められると、黒い影の中枢まで刃は沈み込み、根本から断ち切った。


 ローブの布片が二人の間に舞うと、アルフェルグは俊敏に飛び退いた。地盤が微かに揺れている。たった一度交えた刃が、その場の空気を塗り替えるほどの覇気を撒き散らしていた。


『ただちょーっと刃物の切れ味が良くなるだけの異能だな』と、ジンが零した言葉が思い出される。今思えば、とんだ詭弁であった。切れ味が良くなるどころではない。レインの氷剣に雷を纏わせ増幅させた攻撃でさえ、傷一つ付かない影。それを、「ただの剣」で分断するなど、並の技量では到底なし得ないことだ。


(あれが……先生の、異能力)


 ヒューズは痛みも忘れ、思わず息を呑んだ。ジンの持つ「剣」の異能。万物を両断する、最高峰の長剣使い。「次元が違う」と、そう思った。


 襲い来る影を尽く斬り払いながら、ジンがアルフェルグへと近付いてゆく。ぶつかり合う度に散る火花が、その両刃の強固さの、そして両人の冴え渡る技巧の顕現であった。


「檜星流——"雪花せっかこずえ"」


 ジンの構えが変わる。剣を胴横に準え、その切っ先を正面に向けると、一瞬のうちに距離を詰めて突きを放った。

 アルフェルグが影をさらに枝分かれさせ、再びジンと衝突する。影を断ち切りながら進む刃がローブの脇に突き刺さったところで、二人の動きはピタリと止んだ。

 互いの体に入ったのは、糸くず程度の裂傷のみ。ジンは無言で跳び退くと、剣先を下げて手首を振った。


「……本気で殺す気がないのはよーく分かった」

「殺せるものなら今すぐにでも殺してやりたいがな。如何せん、そこの小娘の『光』が響いた」


 そう言って、アルフェルグは仮面の下から入口で気を失っているマリーを一瞥した。あの一撃が、何を引き起こしたのかは分からない。ただ、「通じた」ことには間違いなかった。


「はっは、そいつは助かる! 見ての通り未来有望なガキンチョ共だ。教えてないことがたくさんある」

「有望な若者を死ぬ寸前まで放置する、か。相も変わらず反吐が出る。よっぽどの嗜虐趣味らしい」

「うちには優秀な医者がいるもんでね。ついつい頼り過ぎちまうんだよ」

「……"リオ・デオラ"か。……何かに依存し続ける集団は、いずれ瓦解するぞ。お前然りな」


 二人が会話を続けるうちに、建物の内部に十数人の人々が雪崩れ込んできた。中には制服姿の少年——アステリアの別学部の生徒の姿もある。ヒューズたちのために要請された救護部隊であった。


 何人かの退魔師が、アルフェルグの姿を見るなり臨戦態勢に移る。しかし、ジンがそれを収めさせた。


「行けよ。


 その言葉にアルフェルグは静かに居住まいを正すと、広がり波打っていた黒影を人型へ引き戻した。


「ジン・ブレンハイム。……いや、魔族我らの怨敵、アステリアという組織そのものに告げる」


 漆黒の魔族が言い放つ。


「人に虐げられし者共——魔族の同盟は、今完成しつつある。これは宣戦布告だ。私たちは、人間の歴史を終わらせる」


 ジンは何も言わない。ただ鋭い眼差しで、正面に立つ敵を見据えるだけだった。


「さらばだ、ブレンハイム。精々後続を育てておけ」


 言い終わると、アルフェルグの体は薄闇の中に溶け込み、音もなく姿を消した。


 戦いの終わった廃屋では、ヒューズたちが応急処置を受けながら外へと運び出されている。ジンが剣を納めるのを見届けると、ヒューズの意識も途切れた。


「ジンさん。……追わないので?」

「いつも通り観測は続けさせろ。ただし、見かけても手を出すな。並の退魔師で勝てる相手じゃねえ」


 救護隊の年若い退魔師に向けて、ジンが冷徹に指示を送る。ヒューズたちと向き合う時とはまるで違った、確固たる力と地位を持つ男の姿だった。


「そうだ、本部に連絡入れといてくれ」

「はい。文面はどのように?」

「そうだな——」


 ジンは少しの間顎に手を当てて考え込むと、ゆっくりと顔を上げて口を開いた。

 崩れた壁の隙間から吹く風が、灰色の塵を渦状に巻き上げていた。


「『魔族との戦争が近い。至急会議の用意を。』……こう伝えてくれ」


 ジンの言葉は、コンクリートに反響し、嫌に跡を引きながら消えて行った。



「影」の異能を操る魔族、"黒影"のアルフェルグ。

 その圧倒的な力の前に、四人の生徒たちは喰らい付きながらもあえなく敗れ去った。

 四人がこの場を切り抜けることができたのは、いわゆる奇跡というものだろう。もしくは、勝てないと理解していながら立ち向かった勇気に対する賛辞だったのかもしれない。ともかく、もしこの場にジンがいなければ確実に死んでいたはずだ。

 二度はない。四人のうち誰もが、眠った意識の中でそう直感していた。


 強くなる、という決意が四人の胸を支配したのは当然とも言えた。今のままでは、自分が学園の誘いを受けた目的が達成できない。望みを叶えることができない。そのどれもが、魂に刻み込まれるような覚悟だった。


 想いは人を強くする。この日、四人の心は打ち砕かれ、同時に、更に強固に造り直されたのだった。





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