第103話 神のシステム

 宗教に胡散臭さを感じる日本人は、少なくない。特にオウム真理教事件以来、その傾向は強まったような気がする。一九八〇年代末期から一九九〇年代中期にかけての一連の事件の傷は、ことのほか大きかった。

 日本の王となるべく、宗教を隠れ蓑にした教祖が教団を武装化。拉致殺害や化学兵器でのテロ事件まで起こした。自らを神格化していた教祖は、逮捕後「目の見えない私に何ができようか」と、容疑を否認していた。

 公判中は居眠りと意味不明な発言を繰り返し、本人の反省の弁なく死刑。中東の宗教テロの先駆けともなったこの事件は、人が言葉のやりとりでわかり合えるという幻想を、あっさりと打ち砕いた。

 神の教えを信じること自体、責められるべきものではない。だが十字軍をはじめとする宗教どうしの争いは、宗教自体の致命的な欠点を証明しただけだった。完全なはずの「神」を、不完全な人が広めたためである。

 不完全な人が完全な「神」を語る。自らの不明を自覚しないまま他の宗教を責める姿を是とする宗教は、その時点で終わっている。不完全な「神」のシステムは、たゆみなく「完全」を目指す謙虚な心のみが支えている。

 宗教は、どこか胡散臭い。人を超える存在はあるかもしれないが、その存在が人を導くとは限らない。むしろその存在は、人の言動からうまれる因果を抽出し、無作為の状態で現実に返しているだけなのかもしれない。

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