第85話 被害者

 報道で「被害者」の扱いは、常に手厚い。心身に傷を負う者にむち打つような言動は、非常識どころか人としての自覚を疑われる。むしろ、加害者側を糾弾する発言が「正義」であるとされる。

 学校現場での「いじめ」も、いじめられる側の発言だけが「正義」であり、いじめる側は徹底的に「指導」される。公道での「あおり運転」も、あおった側が悪者であり、厳罰の対象になる。

 昔の話ではあるが、公海上で衝突した自衛隊の潜水艦と漁船も、武装している潜水艦がバッシングの対象になった。交通事故でも、クルマと歩行者では、クルマの側の責任が重いのは「常識」である。

 だが、交通事故での責任が片方だけに求められることはめったにない。被害者側の責任も、常に何割かは存在する。公海上の漁船にはソナーが装備されていて、潜水艦を回避する能力がなかったとは言えない。

 いわゆる「加害者」側へのケアは、不要なのか。守秘義務のある教師の発言はなかなか得られないが、いじめられる側には何も「原因」がなかったのだろうか。あおられる側の運転に、落ち度はなかったのか。

 我が子が「いじめ」の対象になったとき、原因を考えさせた上で対抗手段を共に考えた。担任への報告は、ある程度解決した後だった。盗人にも三分の理。一方だけが悪者になる考え方は、どこか胡散臭い。

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