第219話 鬼姫と悪鬼と再戦と……(前)
刃と刃が打ち合わされた瞬間、鋭い金属音と光がはじけました。
私を背に乗せた馬が、ドドッドドッドドッと地を駆けます。
併走する二頭立ての馬車。
御者台の上では馬を操る御者の他にいまひとり、従者らしき若者が短槍を手に、私の攻撃に応戦します。
馬車の
貴族街から新貴族街へと抜ける、第一城壁の南に位置した街路。
この辺りはオルトラント王国が建国された時代、オーラスの南を流れるラント川から引き込まれた支流によって、第一城壁を囲む堀の一部であったそうです。
現在ではその支流は、第三まで広がった城壁を東西へと貫いて、さらに城壁内に張り巡らされた用水路へと水の供給をしています。
水道施設が充実する前までは、都市生活用水としても利用されていたと聞きました。
元々の支流は、現在第一城壁、王宮への城門のある北側付近の堀を残して、各行政館との間を流れが抜けています。
ロバートの話では、王宮は第一城壁内の北、城門の近くにありますが、その南側に後宮と主な生活空間としての館が配され、そこからさらに南方向に森林などを含む大庭園と呼ばれる王家の為の私的な生活空間が広がっているそうです。
つまり、第一から第三城壁は南側ほど城壁間の距離が近く、北に向かうほど広くなっているということです。
また第三城壁内の南の区画は職人街となっていて、鍛冶などの音が響くためでしょう、第二城壁内のこの街路付近は建物がありません。
貴族街も、南に向かうほど利便性が悪く、この辺りの屋敷を所持している貴族は小領地の領主が多いそうです。
彼らは基本的に、王都での所用をこなす期間滞在するために屋敷を所持しています。それ以外には子弟が学園へと通う期間利用される事がありますが、学生が帰領したこの季節、無人となっている屋敷が多い区画になります。
私たちは、市中に潜むアンドルクの人員から、数日前にヒメネス子爵が懇意にしている侯爵家の夜会へと招かれたことを聞き入れました。
子爵邸から侯爵邸への移動はこの街路を通らなければ倍以上の時間が掛かります。それでも警戒しているのならば、人気のない道を利用しないでしょう。
この子爵の外出が私たちをおびき出す敵方の一手であることは間違いありません。
その証拠ではないですが、私たちの襲撃を受けても、彼らは驚きの声ひとつ上げることなく淡々と対処しています。
「主さま! 彼です!」
私の後を追うアネットが馬上から叫びました。
彼女の背後にはさらに数名のアンドルクの方々も続いています。
馬車を引く馬を切り離そうとしている私の斬撃を、先ほどから短槍で捌いている若者。この襲撃で私たちが身柄の拘束を狙っている相手です。
孤児院に残っていた記録では、彼は三年ほど前にヒメネス子爵に引き取られています。神殿孤児院との仲介をしたのがマギルス子爵であったことも記載されていたそうです。
マギルス子爵が孤児院から幼子を引き取ったのがおよそ七年前。
その後、孤児院の信頼を得た彼の仲介によって、孤児たちが他の貴族家に引き取られるようになったのが五年程前からです。間隔としては一年に一人から二人ほど。
ヒメネス子爵が目の前にいる彼を引き取ったあと少し間が開いていました。それが、一年ほど前からまた再開されたようです。
一度引き取りが止まった時期が、法務部捜査局による人身売買組織壊滅のための大がかりな取り締まりを始めた頃に重なるとアルフレッドが言っていました。
取り締まりは今も続いているらしいのに、マギルス子爵が仲介を再開した理由は一体……。
(拘束が目的でなければ簡単なのですが……。さすがにこの速度の馬車から転落させるわけにはいきませんし)
刃を交えている間に、彼のおおよその力量は分かりました。
この若さで、ハイネン男爵の従者よりは上の力を持っていることは確かです。
ですが私が狙っているのが馬を繋ぐ装具であると分かっているから捌かれているものの、彼にはその合間を縫って反撃するだけの余裕はありません。
彼を切り伏せるだけならば、先ほどから何度となく隙が見えています。
(この状況。私一人だけなら苦労したでしょうけど、同等の技量を持つ人間が今一人いれば……)
不意にガクッ!? と、馬車が揺らぎます。
それは、私が青年と刃を合わせている間に、馬車の逆側へと移動したアネットが、反対側の装具を切り離したからです。
馬車を引く左右の均衡が崩れ、若者は体勢を保つためにほんの一瞬、私から目を離しました。
それだけで十分でした。私は装具の繋ぎを切り離します。
途端、馬車の重みから切り離された馬は加速して、取り残された馬車は目に見えて速度を落とし、そして止まりました。
御者は馬車から振り落とされないように、御者台の装飾に必死に掴まっていましたが、若者は地面へと降り立つと、馬上から見下ろす私に油断なく短槍の槍先を向けます。
街灯の無い闇の中、辺りを照らす光は馬車に据え付けられた
ですが槍先の向こう、私を見詰める若者の瞳には光が無く。まるで人形でもあるかのように無機質です。
私は顔の頬から上を白基調の仮面で隠し、一連の襲撃で身に纏っている従者風の黒い男装姿。眉尖刀の切先で若者を牽制しながら、馬車の中へと声を掛けます。
「ヒメネス子爵の馬車とお見受けする。私はオーラスの闇に潜む邪なる者を照らし出す光。精霊王リヒタルの使者。正義を司る白竜王ブランダルの膝元にて行われている人身売買について、貴公に伺いたい事がある」
雪が、せつせつと音も無く降りしきる中、私の声は雪の中へと染み込んでゆくように消えてゆきました。
「プッ、クッ――アハッ、アハハハハハハハハハハハハハハハッ。お姉さん、なんなのそれ」
心の底からおかしそうに笑う声が、馬車の中から響きます。
そして声と共に、それまで抑えられていたのであろう気配が立ちこめました。
……そう、それは忘れ得ぬあの少年の気配でした。
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