第203話 鬼姫の王都見聞(後)
「サレア! どこに行ったの! サレア!!」
神殿前の大きな広場で、ひと休みしていたルリアたちの耳にそのような声が飛び込んできた。
神殿は、儀式や婚姻の儀などの特別な事情がない限り、陽の差している時間は広く門戸が開けられている。
声は、その神殿内から響いてきたものだ。
「サレア! 出てきなさいサレア!」と、その後にも続いた呼び声の切迫した響きが気になり、ルリアは神殿の入り口へと足を向ける。
しかしそのルリアを阻むように、彼女の前にセバスが立ちはだかった。
「奥様――巫女見習いが逃げだしでもしたのでしょう。好奇心で関わるべきではありません」
「ですが……」
「私もセバス殿に賛成です。神殿内に事情もあるでしょう、この国に来たばかりの私たちが関わるべきではありません」
「アネット……」
案内役のセバスと、お目付役でもあるアネットに立て続けに制止されて、ルリアの動きが逡巡したように鈍くなった。
だが、そんなルリアの横を通り過ぎて、アルドラが神殿内へと駆け込んでいってしまう。
「アルドラ!? ――何を!」
アルドラの行動に虚を突かれてセバスが声を上げるが、そのセバスの脇をすり抜けて、ルリアは彼女の後を追った。
背後では、呆然と立ち尽くすセバスの気配と、少し呆れが含まれたアネットの気配が背後に着いてくるのを感じた。
ルリアが神殿内に入って、その暗さに目が慣れる間に、声の主を見つけたらしいアルドラが口を開いた。
「やっぱり……ナーリア! どうしたんだい!」
突然の呼びかけに、ビクリとしてこちらに視線を向けた巫女服姿の女性は、アルドラに視線を向けると、ルリアからもはっきりと分かる驚きの表情を浮かべた。
「あッ、アルドラ!? アナタ……その格好……、今までいったい……どうして?」
彼女はその口から漏れ出た言葉もそうだが、明らかに戸惑い混乱した様子だ。
「アタシのことは後で話すよ。それよりどうしたんだい。焦ってるようだったけどさ」
「それは……」
アルドラにナーリアと呼ばれた若い巫女は、この遣り取りから見ても、間違いなく旧知の仲なのだろう。
彼女は突然現れたアルドラに戸惑いを隠せなかったが、僅かな逡巡の後に意を決したように口を開いた。
「……三月ほど前に預かった孤児の姿が見えないの」
「三月か……ちょうど帰心が強くなる頃合いだね。その子はどの辺りの出の子なんだい?」
「確か……第二城壁北門近く、第三城壁内の上級市民が多く住む街区だと聞きました」
「その子の特徴は?」
「とっても綺麗な女の子よ。歳は六歳。艶のある青髪で、瞳の色は涼やかな感じの水色をしているわ。着ている服は寄進された古着だから、アルドラなら判るかも知れない……ああ、あと背丈はこのくらいよ」
そう言ってナーリアという巫女は自分の胸の下辺りを示す。
アルドラなら判るかもって……もしかして彼女も孤児だった? ……この知り合いらしい巫女も?
神殿が孤児を養っていることは良くあることだけれど、王都にある主神殿で養っているということは、身分が高いか……それとも資質を見込まれて……?
でも第三城壁内ということは、上級市民とはいっても市民に近いのでしたっけ?
ルリアの頭に、ロバートから聞いていた主都オーラスでの、階級による住居の区画分けの話が浮かぶ。
王都にやって来たときに、第三城壁内にも神殿らしき建物を見掛けたので、そちらでも孤児を養っているはずだし、マーリンエルトでも、癒やし手になれそうな子供は、より大きな神殿に預けられると聞いたことがある。
「……判った。そっちの方は私が捜してみる」
「アルドラ、何を勝手なことを――奥様の供であることを忘れたのか」
ルリアが考え込んでいた合間に、勝手に話を進めていたアルドラに対して、セバスが静かだがきつい口調で声を掛けた。その声音は身体がブルリと震えそうなほどに冷たいものだ。
アルドラはそのセバスに向かって、キッと睨むような視線を走らせてから、態度を改めてルリアに向き直る。
「奥様――申し訳ございません。いまの話でお察しかも知れませんが、私は孤児院育ちなんです。養われていたのは別の神殿でしたけど……同じ境遇の子供を放っておけません。勝手をする責めは受けますので、どうかその子を捜すのをお許しください!」
彼女の緑の瞳には強い決意の光が灯っている。
そんな彼女に対して、ルリアも表情を改めて口を開く。
「……いいえ、許しません」
「なッ!」
アルドラはルリアの言葉に絶句する。
次の瞬間、彼女の瞳に剣呑な怒りの光が浮かび上がろうとするのを制するように、ニコリ――と、ルリアはまるでいたずらを仕掛けた子供のような表情をつくってみせた。
「私たちもその
怒りの機先を制されたアルドラは、ルリアの笑顔に一瞬拍子抜けした様子になると、次の瞬間にはルリアにつられたような同種の表情を浮かべる。
「ありがとうございます奥様!」
「ルリア様!」
アルドラの喜色の滲む言葉を上げるが、そんなふたりの様子に、セバスが異議の意思を乗せてルリアの名を呼んだ。
「無駄ですよセバス殿。こうなってしまったら、もうルリア様の意思は
諦念の滲む言葉をアネットから掛けられたセバスは、アネットからアルドラへと視線を走らせると、最後にルリアを見詰めてから、その細い目をさらに伏せて静かに息を吐き出した。
「ありがとう、セバス!」
彼の動作は明らかに諦めのものだったが、それを了承と受け取ったルリアは、セバスに向けて陽が照ったような笑顔を向ける。
それは、彼女の外見に見合ったなんとも無垢な笑顔であった。
◇
「子供心にも孤児院から逃げ出すときには追われると考えるし、それにどこかに後ろめたい感じがして、大体は大通りは通らないもんなんですよ。……まあ、経験者は語るって奴ですけどね」
神殿に併設されている孤児院から、両親への恋しさもあって逃げ出したらしいサレアという幼い娘を捜しながら、ルリアたちは大通りから外れた路地を第三城壁へと向かっていた。
それでも見落としがあってはいけないと、セバスが大通りを探し、アルドラとアネット、そしてルリアの女性陣が共に行動している。
ここまで来る道すがら、アルドラが自分の過去を、ぽつりぽつりとルリアたちに語っていた。
それによると、彼女の両親はオーラスの城壁外に広がる街でパン屋を営んでいたのだという、だが小金を貯め込んでいると思われたのだろう、アルドラが五歳の時に押し込み強盗に入られて、両親は殺められてしまったのだそうだ。
両親を失い、身寄りの無かったアルドラは、第三城壁内にある神殿の孤児院で養われていたのだという。
ナーリアという巫女は、同じ孤児院の出身だそうだ。
彼女には今一度神殿の敷地内を捜すように促してから、ルリアたちは神殿を出た。
ナーリアの話では、他にも数人がサレアという少女を探す為に外にも出ているようだが、人手が多い方が良いのは間違いない。
「アタシがエヴィデンシア家に拾われたのは……その……」
エヴィデンシア家に仕える事になった顛末を話し始めたアルドラは、どこか恥ずかしそうに鼻頭を指でこすった。
「オルドー様の懐を狙ったからなんです……まあ、アルフレッドの旦那にばれてその場で捕まっちまったんですけどね」
それはスリをして失敗したことの告白だった。だが、それを語る彼女の表情は、どこかとても誇らしげだ。
「それで、どうしてエヴィデンシア家に侍女として仕える事になったんですか?」
ルリアは、アルドラの表情に好奇心を刺激されて続きを促す。
「アタシが、裕福そうに見えたオルドー様の懐を狙ったのは、アタシが養われていた孤児院がとても貧乏だったからなんですけどね。アルフレッドの旦那に捕まったアタシから話を聞いたオルドー様は、アタシを法務局に突き出す事もせずに孤児院に寄進してくださったんです」
彼女はその当時の想いが甦ったのか、大切な思い出を抱くように胸元で拳を握る。
「……あれからずっと、今もオルドー様は寄進を続けてくださっているんです。アタシは恩返しがしたくて、奉公に出られる年齢になったときに、ダメ元でエヴィデンシア家に仕えさせてくださいってお願いしました」
「なるほど、それでいま侍女として仕えているんですね」
「アタシがこんなに早く侍女として館に上がれたのは、ルリア様のおかげなんですよ。ルリア様がエヴィデンシア家に嫁いでくることに決まったんで、同じ歳のアタシが呼ばれたんです。でなければ……アタシはまだまだ館に上がることはできませんでした。だからアタシ……これでもルリア様には感謝しているんですよ」
そう言って、アルドラはニーッと笑った。
「……あれは……」
ルリアとアルドラの会話を一歩引いて微笑ましそうに聞いていたアネットが、二人を止めるように手で制して前方を指し示す。
アネットが指し示した場所には、どこかちぐはぐとした組み合わせの服を着た少女が、怯えた様子で裏路地を覗き込んでいた。
少女の髪の色は艶めいた濃い青色で、横顔から覗く瞳の色は涼やかな水色をしていた。
「ナーリアが言っていた特徴と一致しますね。間違いなさそうです」
「でも……何を覗き込んでいるのでしょうか?」
少女に気付かれないようにそろそろと近づいて行くと、裏路地から男の怒鳴り声と争うような物音が響いてきた。
「馬鹿にするな! 料理人の誇りを金で売れるか!! 客に毒を食わせるような真似――アンタたちに誇りはないのか!」
少女の直ぐ側までやってきたときに、毒――という、聞き捨てならない言葉が裏路地に響き、その怒鳴り声に怯えた少女が、その場から逃げだそうと後じさって振り返った。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「ウグッ!」
「だっ、誰だ!!」
少女が直ぐ後ろにいたルリアたちに驚いて上げた叫び声に、裏路地からは鈍い打撃音とうめき声が重なり、直後に焦りの滲んだ男の声が上がった。
ドサリ――と、誰かが倒れたような物音がした後、男たちの気配がドタドタとした足音と共にこちらへとやって来た。
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